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発光宣言
説明がないまま僕は溶けてゆく 季節はずれの蛍の光
大学の地下のトイレットペーパーが三角に折り畳まれてて笑う
瓶ラムネ シャワーを浴びているうちに君を忘れるヒットメーカー
アクセルもブレーキも踏めない君を感知したエアバッグの誤作動
二つめと四つめが比較的自信あるかな。あとの二つはまだ改善の余地があるように思う。考えても思いつかないからこうやって改善の余地の予感を残したまま投稿してるんだけど。
めちゃくちゃ尊敬する先輩がめちゃくちゃかっこよくて、感動したと伝えたら「やっぱりLIFE IS カマしですよ」と言われた。まじでそうだと思った。いつか死ぬ僕たちは自分の生を光らせないといけない。妥協しちゃダメだなと心から思った。
だからこそ、noteについての考え方も揺らぎつつある。自分の頭の中をただただ言葉にして、投稿して、それでいいんだろうかとか思う。
もちろんいままでの自分のnoteを全否定するつもりはない。僕が僕の地獄をそのまま言葉にすれば、僕が今まで僕の地獄を生きてきた分の何かがそこには宿るはずだ。似たような地獄にいるどこかの誰かの胸を打つこともできるかもしれない。
あと、僕はnoteを書くことを純粋なアウトプットとは思ってない。頭の中にあるものを言葉にしていくそのプロセスの中で、言葉に導かれるようにして僕の思考は並び替えられ、整理され、そしてそこからさらに加速していく。言語を介して僕が生成変化する。noteを書いて言葉を並び替えるとき、僕は僕自身を並び替えている。
(ほら、こんな風に思ってもみなかったかっこいい言い回しがぽろっと出てきたりする。)
でも、やっぱり、もっと強度が高いもの、人の心を打ち抜けるものを作りたいなとも思う。それはある意味今までの自分のnoteを否定することでもあるんだけど、別にそんな悪いことでもないかなと思う。今までの自分のnoteのやり方にある程度満足できるようになったからこそ、今の僕はそれを否定できてるんだと思う。満開になった桜がそのあと花びらを散らすような、成長の自然な過程だと思う。アウフヘーベンですわ。
だからこの記事も、まず短歌を書いてそのおまけみたいに文章を書くというスタイルになっている。ここから僕が、僕のnoteが、どうなっていくか自分でもわからない。めちゃくちゃ楽しみではある。とりあえず光り続けていたい。光ることに妥協したくない。あと、忘れてたけど文章書くの普通にめちゃくちゃ好き。だから書かなくなることはないのかな。頻度は落ちるかもだけど。いやそれもわからないか。
いや、でもやっぱり、僕が書くことをやめることはないと思う。僕は生きている限り文章を書き続けると思う。
うん、宣言します。僕は書くことをやめない。
読んでくれてありがとうございました。また書くから、また読んでね。おわり。