子ども風土記─森は清流と遊びと文化の記録
玖珠(くす)盆地は北九州の中心に臍(へそ)のように小さく広がっている。かつては大分市や福岡市から電車で入っても三時間をかけなければたどりつくことができなかった辺境の地であった。しかし世界から閉ざされたようなこの小さな盆地に、かくも豊穣なタピストリーが編まれていく生活があったということを、ぼくたちは今号に一挙掲載した一千枚になんなんとする大作「山里こども風土記」ではじめて知るのだ。鋭い読書家である「草の葉」の読者諸兄にはいまさら言葉をかさねることもないが、これは驚くべき作品であり、はやくも古典として残る風貌をそこここに漂わせている。
この作品を編集しながらぼくは無性に篠田正浩監督の少年三部作とよばれる一連の作品がみたくなり、「瀬戸内野球少年団」と「少年時代」と「瀬戸内ムーンライト」をたて続けにみるのだ(「少年時代」が一番素晴らしい)。作家たちはある時期からなにか熱にうかされたように自伝的作品に取り組むが、なかでも少年時代にとりわけ心を奪われるのか、その時代を力をそそぎこんで描きあげていく。篠田もまた彼の少年時代を描くために三本もの作品を生みださなければならなかった。なぜ作家たちがかくも少年時代にこだわるのか。それはある年齢をへると過去をなつかしむという思いからくるのかもしれない。しかし創造とはそのような感傷からだけでは生まれない。
少年時代が彼らの創造精神を強く喚起するのは、ひょっとすると彼らに襲いかかった存在の危機というものに直面するからではないだろうか。彼らはそれまでたくさんの作品を生みだしてきた。さまざまな冒険を試み、さまざまな技巧をほどこし、さまざまな色彩を織りこんだ作品を創造してきた。しかし果たしてその創造はこの大地にかえっていくような生命力をもっているのだろうか。自分がなしとげてきた創造とは埋め立ちに直行するゴミのようなものではなかったのか。そういう不安と恐怖が彼に襲いかかってくる。とりわけ今日の変化の速度は尋常ではない。今日生まれたものは翌日にはもう古臭くなってしまうという凄まじいばかりの時代のなかで生きている。つねに存在の恐怖にさらされている作家たちは、そのとき彼を一人の人間としてこの大地に立たせてくれた少年時代を描くことによって、生命の大地とつながりたいという渇きに似た衝動が襲いかかってくるにちがいないのだ。
作家たちの故郷もことごとく変わってしまった。少年時代の景色はいまやどこにもない。しかしその景色は作家たちの記億の底にありありとやきついているのだ。そのセピア色の映像をたよりに、作家たちは少年時代を描いていく。木造校舎を、叱られてよじのぼった柿の木を、畔道の彼方を染める夕焼けを、友達と決闘した裏山を、溺れ死にそうになった渓流を。風景だけではない。その時代の空気や匂いまで刻みこんでいく。そのとき作家たちのなかに暖かいなつかしいものが流れていく。そしてひたひたと自分は大地につながる創造をしているのだという喜びの波が寄せてくるのだ。彼に襲いかかった危機は静かに去っていき、ふたたび精神の調和をとりもどしていく。
帆足さんもまたこの「山里こども風土記」に取り組んだときの幸福な気持ちを吐露しているが、しかし消え去った世界を描くには、その世界を再現していく筆力がなければならない。帆足さんはまず具象の力によってその世界をつくりだしていく。私たちの前に森の学校が、鉄道線路が、機関庫が、渓流が、家々のたたずまいが、ほこりをたてる田舎道までが見えてくるかのようだ。この具象の力を帆足さんはいったいどこで鍛えたのだろうか。帆足さんの仕事は航空機や電車の本を出版することだった。それら機械を描くとき記述は正確でなければならない。しかし少年時代を再現していくのは、それら機械の性能を正確に描くということとは本質的に異なるものだ。具象の力が芸術的な域まで高められると、そこに風景ばかりか、その景色をつつむ空気や匂いや音まで聞こえてくるものだが、この作品からも音が聞こえてくる。眠りについているような玖珠盆地に、シュシュと白い蒸気と黒い煙をけたてて近づいてくる機関車の音が。
この作品がそこらにあふれている過去を回想した類書から抜きんでいるのは、たしかな具象の力で描かれているということの上に、さらに世界を抽象するという力がまた並々ならぬ領域に達していることにもある。たとえば独楽(こま)を描いた十四の章を見よ。子供たちを熱中させた独楽遊びのなかから、ひとつの原理や精神の律動を抽出させ、澄むという概念を取り出していく。独楽遊びのなかにこのような深い分析と抽象をおこなった文章はいまだかってだれの手によっても書かれたことはない。対象をふかく分析してそこから一つの原理を抽出してくるという手法は科学のものであるが、帆足家のなかに脈々とながれている科学する精神がこの作品で見事に結実したということかもしれない。「山里こども風土記」は鋭い具象と抽象のタッチで描こうとする科学の精神で、まず強靭な横糸がはりめぐらされているのだ。
そしてこの横糸に織り込まれた縦糸のなんという豊かな色彩! 少年はさまざまな出来事や事件に出会って、白い心にその波紋をえがいていく。その出来事をえがくときの帆足さんの手腕は、すぐれた物語作家のそれだ。手が出る学校の話、発動機馬車の話、曽田ノ池の猛魚の正体、嵐の後に現れた巨大魚の話、三味線淵での不思議な体験、叱られての自棄歩き、担任先生との交換日記、飴形屋の仔牛墜死事件、こよなく愛した姉のこと。この作品のなかに散りばめられた玖珠盆地に伝わる民話や伝説とあいまって、それらのなつかしくあたたかい物語の数々に読者は酔いしれていく。人は物語によって過去を知ることができるのだ。物語こそ私たちと歴史をつなぐ糸である。私たちは物語によってしか歴史とつながることはできない。帆足さんは具象と抽象を科学の精神で描ききった横糸に、物語るという縦糸を配してこの見事なタピストリーを織りあげていったのだ。
「草の葉」はこのような作品に出会うたびに、かねてから提案している三百年をかけて良書を守り抜くという書のナショナルトラスト「草の葉クラブ」を誕生させなければならないと思うのだが、なかなかその力のない「草の葉」は踏み出せずにいるが、しかしいまこの書が単行本となってイカロス出版より今春にも発行されるとき、その単行本が世に広がるための先導の仕事をしたいと思っているのだが。
「草の葉」版を玖珠盆地にある町長と村長に謹呈しようと思うのだ。それはこういう提案をするためである。たとえば毎年、敬老の日に町や村の役場から老人たちに記念品が贈られるはずである。それは毛布であったり、赤いちゃんちゃんこであったする。しかしそれらどこでも手に入る物ではなく、この作品こそ彼らに贈るにふさわしいと思うのだ。彼らの少年時代がありありとそこに再現されている。その書にふれるということは彼らの生の痕跡をたどるということなのだ。ページを繰るたびに彼らの胸のなかに熱いものがこみあげていくだろう。
そしてまた玖珠盆地の教育長と小学校と中学校と高等学校の校長先生たちにも謹呈してみよう。それはこういうことである。郷土を深く知るために学校の先生たちにこの書の購入をすすめることもある。しかしそれ以上に子供たちにこの書を与えて欲しいのだ。卒業式のときに卒業記念品として全生徒に贈る物品の予算が計上されているはずである。それはおそらく国語辞典とか英語の辞書あたりであろうが、それらどこでも手に入るたいして有り難みのないものにかえて、この年からこの本を卒業記念品として彼らに贈るべきなのだ。この書は時間がたてばたつほど彼らの心のなかにしみこんでいくだろう。君たちが生きているこの玖珠盆地こそ君たちの精神と魂を作る場所なのだと。たとえ君たちがこの地を離れようとも、君たちの心のなかに玖珠盆地はついてまわるのだと。そしてやがて君たちも知っていくにちがいない。玖珠盆地こそまぎれもなく世界の中心だったということを。
この作品はもちろん玖珠盆地だけのものではない。ここに描かれた風景と生活と文化は日本人すべてのものであった。私たちはこういう時代を生きてきたのだ。ここには私たち日本人のいわば原風景というものが広がっている。この作品の登場によって、玖珠盆地は私たち日本人の精神の故郷となってしまった。まさに一つの奇跡としか言いようがない作品の誕生である。帆足さんの筆致はあくまでも抑制されていて、大切なものが失われていく嘆きや悲しみを、「あの大勢の子供たちの喚声と、唸りを発して回るあのコマの澄んだ回転音は今どこへ行ってしまったのだろうか。田舎の子供たちから、また一つ文化が消えてしまったのは返すがえすも借しまれる」と書く。新しい文化は古い文化をあっさりと淘汰していく。果たしてそれでいいのだろうか。「山里こども風土記」の底に静かに流れているこの思想が、ぼくにアメリカインディアンの古老たちから採録されたという詩を思い起こさせる。
Remember when our land smelled sweet?
Remember when our corn was good?
Remember when everything was rich and beautiful?
Not. I do not remember that.
I think that television has ruined our imaginations.
I used to look at cloud and see eagles and lions.
Now I look at them and see automobiles.
おれたちの土地がいい匂いをしていたときのことを覚えているかい。
おれたちのつくるトウモロコシがクールだったことを覚えているかい。
おれたちの土地がリッチでビューティフルだったことを覚えているかい。
そうだよな、それはもうすっかり昔のことになっちまった。
テレビっていうやつがなにもかもダメにしたんじゃないのかね。
おれたちはかつて空を見上げると、雲のなかに鷲やライオンを見ていたんだ。
いまじゃおれたちの目は、もう車しか見えなくなっちまったんだ。
想像力の強さと高さとは雲のなかに鷲やライオンをみることなのだ。かつて私たちの国にも、雲のなかに鷲やライオンをみることのできた精神の黄金時代があった。「山里こども風土記」は、いまや私たちは雲のなかに自動車しか見ない精神が衰弱した時代に生きているのだということをも鋭く照射している。
数学のテストはいつも白紙提出だった 1
長太は疲れるなあと思った。長太のもっとも苦手とする種類の女性だった。
「それでどんな教え方をするのですか?」
と見下したような調子で訊いてきた。
「まあ、教師はぼく一人しかいませんから、なんでも教えます」
「英語も数学もですか?」
「そうです。理科も社会もです。場合によったら体育も音楽もです」
彼女はその高慢そうな口元をちょっとゆがめた。
「さらに家庭科とか技術もです。ミシンの構造なんか詳しいですよ。エプロンの縫い方なんて作業も指導したりします」
長太は自虐的に言った。
「ときに、この塾に通っている子はどんな高校に入るのですか?」
「いろんなところに入っていますが、まあ、だいたいが都立ですね」
「慶応とか開成とか、もちろんありませんわね」
「もちろんありません」
と長太はその女性の馬鹿にしたような声にあわせて、ちょっとふざけ半分に言った。
「うちの子は一流とはいわないまでも、せめて大学進学率のいい海城ぐらいに入れたいのですけど。もしうちの子を預けるとしますと、どんな指導をしてもらえるのでしょうか」
と訊いてきた。長太はもうこういう女性とは話したくない気持ちでいっぱいだった。とてもこんな母親の子供は預かりたくなかった。そんな気持ちをさっきから言葉の端ににおわせているのに気づかないのか、あれこれと執拗にたずねてくる。長太は思い切って言った。
「塾はこの辺にもたくさんあります。どうもお宅のお子さんはここにはむいていないと思いますよ。まあ、この塾は勉強よりももっと大切なことがあるという方針でやっていますから、あまりおすすめできません。ヘんな塾ですから」
そして長太は立ち上がって、この話は終わりだということを態度で伝えた。
しかしその翌日、中学三年生が一人で部屋に入ってくると、この塾に入りたいと言った。目鼻だちのととのったいかにも大事に育てられたという感じの子だった。
「昨日、母がきたと思いますが」
「ああ、あの人か、あの人の息子か」
「そうです」
「いろいろとこの塾のことをたずねていったけど、ぼくはここにはむいていないと思ったけどね。ここは君のお母さんが思い描いているような塾じゃないよ。そのことはお母さんにもよくわかったと思うけど。お母さんがいいって言ったの?」
「いえ、母は反対です」
「そうだろうな。それはそうだよ」
「でもぼくは入りたいんです」
「どうしてなのかな。どうしてここに入りたいわけ」
「成田っているでしょう?」
「ああ、いるよ」
「あいつが面白い塾だからって。ぜんぜん勉強しない塾だからって」
「あいつがそんなことを言ってたのか」
「ええ」
「彼女は三年生だよ。受験だろう。三年生にはばんばん勉強させるよ」
「でもまあ、いいです」
「しかし、君のお母さんは許さないと思うよ。君のお母さんは慶応とか開成とか海城とか、そんなところに君を入れようとしているみたいだから」
「ぼくはそんな学校には入りませんよ」
「しかし君のお父さんもお母さんも、きっと一流大学を出ているんだろうな。君をそんな学校になにがなんでも入れたいと思っているんじゃないのかな」
「親は親、子供は子供じゃないですか」
「まあ、そうだけど。しかし塾のお金をだすのは親だからさ」
「大丈夫です。ちゃんと出しますよ。もう半分はぼくを見限っていますから」
「そんなことはないだろう」
「いえ、その方がぼくのためにはいいんです」
その中学生は加藤達也といった。自分はもう親からはっきりと独立しているのだと言わんばかりだった。しかしなにかこれには訳があるにちがいない、そう思った長太はいろいろとさぐりをいれてみると、数学の成績が一という話になった。これなんだな、と長太は思った。この子の母親がわざわざゼームス塾をたずねてきた理由は。達也の成績はほとんどオール五に近いらしい。体育も音楽も五だと言った。しかし数学だけは一だと言うのだ。
「いったいどういわけなんだ?」
「数学の先生とうまくいってないんです。試験のときいつも白紙で出しますから、一は当然だと思います」
「白紙で出すの」
「ええ」
「どうしてうまくいってないの」
「まあ、それはいろいろとあって。相手はぼくに憎しみをもっているし。ぼくはもっとはげしく憎んでいるし。ときどき殺してやりたいと思うくらい憎くなるんです」
「なんだかずいぶん物騒だな」
「まあ陰険な関係です。だから白紙で出すのは当然だし、相手が一をつけてくるのもまた当然だと思っています」
ちょっとおそろしい子だった。そういえばあの母親はいろいろとたずねながらも、なにかを話そうとしていた。実はこのことを話したかったにちがいないと、長太は謎がとけたように思えるのだった。
「しかし、どうも君がよくわからないな」
「そうかもしれません。でも人間って長くつきあわなければ、わかりあえないと思いますけど」
「いや、そうじゃなくてさ、君がどうしてここに入りたいかの理由がさ。君のようなよくできる子にむいている塾なんていっぱいあるじゃないか」
「ああいう塾って、ぼくはいやなんです。ただ点数だけで競争して、あいつが何点、こいつが何点ってことばっか気にして。ああいうのって馬鹿にしていると思うんですよ、ぼくたちを」
長太はこういう子に出会うのははじめてだった。すでにもう自己がはっきりと確立しているようにみえる。しかし本当なのだろうか。まだこの子の背後になにかが隠されていて、仮面のようなものをかぶっているのではないかとも思った。
「ここに入るためにはテストがあるんだよ」
「作文十枚なんでしょう」
「知っているんだね」
「ええ」
「じゃあ、書いてもらうよ。君には書くテーマがあるんだ。どうしてぼくは数学のテストを白紙で出すようになったかというテーマなんだ」
「げえげえっ!」
はじめて中学生らしい叫びをあげた。
彼はシャーペンを握ったままだった。さらさらとシャーペンの走る音がまったくしない。なにか書くことにひどく難渋しているのがよくわかった。ときどき深いためいきをもらしていたが、ついに彼は声をかけてきた。
「先生、この題を代えてくれませんか。なんか書けないんですよ。この題はちょっと重すぎて」
しかし長太はゆずらなかった。達也という子の内面のなかに入っていくのは、その一点にあるように思えるのだ。そこから彼の母親も家庭もみえてくるはずだった。
「だめだよ。そいつがここの入塾試験だから。ここにはだれでも入れるわけじゃないんだからね。いやな子供はどんどんやめさせていくんだ」
「そうですか、やっぱり」
それで彼は決心したようだった。それからシャーペンを走らせるさらさらした音がとぎれることなく続いた。
書き上げられた作文は、彼との会話から相当ませたものかなと思ったが、意外なことにそれはどこにでもいるようなごく普通の中学三年生の作文だった。文章も稚拙だし、誤字も多かった。そんな作文を読んで長太はちょっと安心するのだった。
問題の数学の教師とのいざこざがかなり克明に書かれていた。殺してしまいたいほど憎んでいると言ったから、なにか相当深刻な事件があったのかと思ったが、第三者からみるとそれは他愛もないことだった。
関数の授業のとき、先生のうっかりミスを達也が指摘した。そのとき達也は軽いジョークのつもりで、数学の先生なんだからしっかりして下さいよと言った。その言い方にどうやら教師はいたく傷つけられたらしいと彼は書いていた。そのことがあった次の週の数学の時間に、達也がちょっと隣の子とふざけていたら、その教師は彼だけを立たせてはげしいびんたをくわえたという。そこからもう二人の関係は悪化一途で、答案を白紙で出すというところまで達也の心はねじれていったらしい。
しかしその作文で、そのことをしめくくるかのように、その原因は自分にもあるように思えるし、何度かその教師が関係の改善を求めて接触してきたが、自分はかたくなに拒否していたその姿勢を反省しなければならないのかもしれないという意味のことも書いているのだった。
「君のジョークが、からぶりに終わったところからはじまったんだな」
「そうかもしれないけど、でもぼくにしたら深刻でした」
「そうだろうな。言葉では表現できないどろどろしたものがあったはずだよ」
「ええ。そうです」
「でもその先生も悩んでいると思うな」
「そうですかね」
「そうだよ。君のように白紙で出す生徒がいるなんて、自分は教師失格だって思うだろうな」
「そんなデリケートな先生じゃないんですよ」
「しかしぼくがその先生だったら、きっとそんなふうに悩むだろうな。だってその先生、君との関係をよくしようと何度か手をさしのべてきたんだろう」
「まあ、そうかもしれませんけど、そのときはそんなあいまいに解決したくなかったんです。ああいうふうに意味もなく殴りつけてきたってことは許せないですよ」
こうして達也はゼームス塾の生徒になった。
人生のデビュー 3
彼女は、その日の感動を邦彦に話して、明日からでも、宏美を自由広場に通わせたいと言った。しかし邦彦は、はげしく反対した。とにかく学校にいかせることだ、その努力を放棄すべきではないと。しかし新しい世界に立った智子には、もうその論理が、あやまちに満ちたものにみえるのだった。もはやいくら議論しても、その間隙を埋めることができない地点に、二人は立ってしまった。
結局、あの事件が起こってから、学校にいかなくなった宏美を、智子は《自由広場》に通わせることにした。そのことが、邦彦との間に決定的な溝をつくってしまうことになるのだということを、そのときの智子にはむろん予期することなどできなかった。
藤沢まで一時間半ほどかかるのだが、宏美は毎日六時前におきて、七時過ぎには家をでる。毎日が楽しいらしく、いってきますという声が、太陽のように明るいのだ。
そんな宏美の姿をみると、彼女の選択は、けっして間違っていなかったと思った。
宏美のその通学が軌道にのると、智子もまた仕事に打ちこめるようになっていったが、しかし智子のなかで微妙な変化が生まれていた。それはふと長太がもらした、あなたのような人は、宏美という教材を他人にまかすのではなく、自分をつくりだす教材にすべきだといった言葉が、しみじみと彼女のなかに広がっていったからだ。書庫の奥に投げこんであった、さまざまな教育学の本を取り出して、ぱらぱらとめくることが多くなった。
あちこちに鉛筆で書き込みがあった。そんな書き込みをみていると、かつて燃えるように取り組んでいた日々が胸をえぐるように思い出される。ずいぶん勉強したのだなと思い、燃えていたのだなと思い、そしてもう一度、教育とはなにかということに思いをめぐらしていくのだった。
《自由広場》には、子供の父母や、その活動を応援する人や、さらにそこから巣立った若者たちなどで構成される運営委員会が月に一度あった。毎回二十名近くの人がその席に顔を見せるのだが、その顔ぶれといったら多彩で、魚屋さんがいたり、スーパーマーケットの経営者がいたり、大学の助教授がいたり、もちろんフリーターの若者たちや魅力的なお母さんたちもいた。そんな人たちとの会話が、智子にはとても新鮮で刺激的だった。
その運営委員会は、連続授業といったものに取り組んでいた。それはその広場にやってくる子供たち全員を対象にして、一つのテーマを一年かけて追い続けていくという授業だった。ちょうど宏美が入ったときは、山本という定時制の高校の教師が《地球にやさしく》というテーマの授業を展開していた。ビデオ鑑賞からはじまり、さらには子供たちを海や山や川に連れ出していって、さまざまな角度から自然へ切り込んでいく活動だったが、自然の好きな宏美には毎月この日が待ちどおしくてたまらないようだった。とにかく一日中自然とかかわっていることができるのだから。
それにもう一本《音楽冒険》という授業も行われていた。さまざまな楽器に挑戦させ、果てはバンドをつくり、演奏会までしようという活動だった。そのコンサートが保育園や老人ホームで行われたが、地域と深く接触していくこの活動のありかたに、智子は新しい学校の萌芽を感じるのだった。
そしてその《音楽冒険》のあとになにをするとかということになって、思いつきで提案した智子のプランが採用され、なんとその連続授業を智子が行うはめになってしまった。その授業が探検シリーズだったから、智子は《世界の言葉探検》と名づけた。大使館にかけあって、駐在している館員の子供とか、あるいはその国から派遣されたビジネスマンたちの子供たちを《自由広場》に招き、その国の言葉や歴史といったものを学んだり、その子供たちと一緒に歌ったり遊んだりするという活動だった。アイルランド、ケニア、インド、トルコ、ペルー、そして日本人はもっと隣国のことを知らなければと、中国や韓国やフィリッピンの子供たちも招いた。
その授業は大成功だった。外国語というものが、英語だけではないということを肌で知り、なによりも世界の子供たちと手をとりあって遊んだということが、なにやら子供たちの視野や思考を、世界的な規模にさせたのではないかと思わせた。
《自由広場》の活動に領斜を深めていくにつれ、智子の内部にとじこめていたものが、再びぐつぐつと湧きたっていく。そんな彼女の心のドアをたたくかのような電話が、ゼームス児童館の望月からかかってきた。学校にいけなくなった母親が、《自由広場》のことを聞きたいと言うのだ。
「お母さん一人で悩んでいるんですよね。そのお母さん、このままではノイローゼになってしまうなんて言うんですが、ぼくにはもうそのお母さん、すでに重傷のように思えて。とにかく話しをしてもらうだけでいいんですが、会ってくれませんか」
児童館にいくと、その母親と不登校になったその子が智子を待っていた。三年生だというその子は、なにか小動物が穴ぐらから、ちらりちらりと外をうかがうようにおどおどしている。それにくらべて母親のほうは実にたくましい女性だった。クリーニング店を夫と二人できりもりしているが、朝から夜中まで仕事に迫われ、子供の面倒までとうていみることができない、とにかく学校にいってもらわなければほんとうに困るのだと悲鳴を上げるように愚痴りはじめた。
「こんな女の腐ったみたいな性格ですからね、やられたらやり返すということができないんですよね。主人が殴られたら殴りかえせ、いじめられた何倍にもして返してこいって言うんですけどね。ときどき喧嘩の特訓をしたりしてね。でもだめなんですね。こんな弱い性格の子だから、すぐにめそめそ泣いてしまうんですよ。だからいじめるほうにしたら面白くて仕方ないんですよね。とにかくすぐに泣くんだから。クラスのみんながむかつくときには、みんなでこの子をいじめるらしいんですよ。この子をいじめれば、むしゃくしゃしたものがはれるらしいんですね。この子の隣の女の子はクラス委員をしているんですがね、それがひどい子で、授業中にですよ、この子をつねったり、爪でひっかいたりするんですよ。ほんとうにいやらしい子で、かわいい顔しちゃって、あたしは優等生だって顔をしちゃって、机の下でつねったりひっかいたりで、ああいうのを二重人格っていうんですか、ほんとうにいやらしい子ですよ。そのことを先生に話すと、まさかという顔でしょう。なんにも見ていないんですよね、先生なんて。どれだけ陰険ないじめにあっているかが‥‥」
彼女はとめどなくその話を続ける。彼女の胸のうちに、それだけたくさんの恨みや嘆きや苦しみが蓄積されているのだろうが、こういう愚痴の羅列は聞くものを疲れさせるだけだった。
「一度、自由広場にいらっしゃるといいわ」
そしてその広場で、どんな活動が行われているかを智子は話したが、その母親はまるで上の空だった。智子の話の腰を折ると、再びわが子がどんないじめにあっているかを、えんえんと繰り返す。
同席している弘もまたそこから引き離そうと、
「ですからお母さん、一度学校からはなれた別の視点からみるということも必要だと思うのですよ」
と話題を切り変えようとするが、彼女は先生や学校を攻撃し、もうこの問題は教育委員会にもっていくしかないと言った。智子は思った。問題はこのお母さんにあるのだと。
その母親が帰ったあと、弘は悪いことでもしたように、
「すみませんでした。話があんなことばかりで」
「しかたがありませんわね。私も以前は、たぶんあんなだったのかしれないと思いました。なにもみえなくなるんですよね」
「一度学校から、目をはずせばいいんですけどね。それができないんですね」
「そうなんです」
「学校にいけない子が、最近はほんとうに多いんですよ。児童館の職員や学校の先生たちでつくっている子供を考える会というのがあるんですが、そこでもしばしば話題になって、品川にも自由広場みたいな学校にいけない子たちの拠点ができればいいなという話しになるんですね」
と弘は言ったが、そのとき智子は、なんだか自分にむけられた言葉のように思えた。そんなふうに受けとめるようになったのは、智子の心がうごめいていることの証拠でもあった。事実彼女の心は動いているのだ。
学校にいけない子供たちは、そのクリーニング店の子のようにじっと家にとじこもっている。そして母も子も学校にいけないことに苦しみ悩み、ひたすら学校にもどれる日を待ち続けている。そんな子供たちのためにいま自分は立ち上がらなければならないのではないのか。それがこれから自分が一生かけて実現させていく自分の宿題ではないのか。いま働いている貿易会社の仕事は順調にのびている。それはそれで面白い仕事だった。しかしなにか彼女の魂といったものを充足させるものではなかった。
その日、学生時代からの友人である妙子に会って、その話を雑談のなかにとけこませてみた。じっと智子の話をきいていた妙子が言った。
「もしも、あなたがそんな事業をするなら、離婚しなければならないわね」
智子ははっとして、
「どうして、離婚なの?」
「それは立派な事業よ。その事業をはじめるには、あなたに離婚の覚悟ができているかどうかだわね。田所智子から、野島智子に戻るってこと。そこまで考えておかなければだめね」
「夫を説得すればいいことでしょう」
「そこが甘いのよ。あなたは」
五年ほど前に、彼女は離婚して、五反田に女手一つでレストランをつくった。それが成功して、いま二件目を目黒にだそうとしていた。彼女は離婚することによって自己を確立したのだった。その彼女に甘いと言われても仕方がなかった。
「あなたの自宅ではじめるわけでしょう」
「それ以外に考えられないわ」
「彼はぜったいにうんとは言わないわよ」
「でもなんとか説得してみるのよ」
「彼はきっとどこまでも反対するわよ。彼ってそういう人じゃない。あなたはそういう人を選んだのよ。あなたは会社夫人におさまるために、彼と結婚したんだし、そのために先生であることをやめた人じゃないよ」
「彼の職業と結婚したわけじゃないわ」
「そこが甘いと言うのよ。彼があなたに期待しているのは、これからもまたずうっと期待しているのはビジネスマン夫人としてのあなたなのよ。彼はエリートの道を歩んでいるわけでしょう。課長夫人、部長夫人、そして果ては重役夫人。彼があなたに期待しているのはそれなのよ。その夫人が家でおかしな塾をはじめたら、彼の人生設計、台無しじゃないの。それだけであの人、出世レースから脱落するわね」
「そうなるのかしら」
「きまっているでしょう。あの人たちの世界ってそうなのよ。あなたが塾なんかはじめたら、たちまちあの人の査定リストに、私生活に乱れありって書かれるわね」
「私生活の乱れなわけ」
「そうよ。あの人たちの世界ではそうなるの。だから彼は会社では、宏美ちゃんが不登校児童だなんて、一言も言っていないはずよ。そのことがばれたら、たちまち出世レースからはじきとばされるの。妻や子供が管理できない人間に、どうして部下がまかせられるかっていうわけよ。あの人たちの世界って、そういうおかしな社会なのよ。だからあなたが、彼をちゃんと出世させようと思ったら、正しい夫人になっていなければならないの」
「そういうことなんだなって思うわ。思いあたることがいっぱいあるわ」
「問題の一つはそこね。それとさ、その仕事をはじめて、どこで採算を生みだせるかでしょうね。結局、事業というのはバランスシートで成り立つわけだから。数字の計算をきちとしなければいけないのよ」
「それはすぐには無理だわね。そのことですぐに収入を期待できる事業じゃないもの」
「でもただのボランティアみたいなものだったら、たぶんどこかで駄目になるのよ。その谷岡さんのとこだって、そんなに長く続いているのは、その仕事でちゃんとした収益をあげているからでしょう」
「いまはそこその収入があるはずだわ。子供たちだって、六十人近くそこに通っているんですから」
「やっぱりその情熱を持続していくのはお金なのよ。それで食べていけるという保証がなければ。ただ甘い幻想だけではじめたら、一年ももたないと思うわ」
なかなか辛辣だった。たった一人で、幾多の試練を乗り切ってきた彼女ならではの言葉だった。それはなるほど一つの事業だった。その事業をつくりだすには、そこに冷酷な計算が必要だった。その計算ができていなければ事業はスタートできないのだ。
それにしても、その仕事をはじめるには、離婚からだと言われたとき智子はどきりとした。なにか智子の内部を、女の勘の鋭さで見抜かれたように思えた。実際、そのとき智子と邦彦の関係は悪くなっていた。智子はときどき邦彦の背後に女の影を感じていた。ゴルフにでかけたのに、ほとんど陽に灼けてかえってこない日もあった。それまではどんなに遅くなっても、必ず家にもどってきたのだが、ときどき帰ってこない日もあった。そんな日の翌日は、いやにやさしくなるのだ。
なにか邦彦は、どんどん智子から離れていくように思えた。そして智子もまた離れていく彼の心に比例するかのように、邦彦がいやがるその塾づくりを心のなかにはらませていく。二人のあいだに走った亀裂の深まりと軌を一つにしていた。そういう意味でも、妙子の指摘は図星だったのだ。
その日、邦彦は、ひどく機嫌がよかった。夫婦の間に、久しぶりにしみじみとした会話ができた。邦彦が言った。
「宏美も、ずいぶん明るくなったね」
「そうなの。毎日が楽しくて仕方がないのよ」
「それでよかったのかね」
「中学校になれば、きっと学校にもどれるわ。もっとたくましく強くなって」
智子は《自由広場》の話をして、さらに、
「品川にも、そんな広場ができないものかと思うわ。ほんとうに不登校の子供って多いの。宏美があそこにいっているせいか、いろんなところでそんな話をされるのよ。品川にもそういう子供たちの集まる広場がないものかって」
「子供たちも、ストレスがいっぱいで大変なんだな」
智子は、邦彦にもだんだんわかってきたのだと思った。彼女はそのときはじめて自分のなかにふくらんでいく話をしてみた。
「この家で?」
と邦彦は、信じられないものを聞いたとでも言うような声をあげた。
「ええ、はじめるとしたら、ここからスタートする以外にないのよ」
「じゃあ、おれたちはどこに住むんだ?」
「昼間だけよ。子供たちは、夕方には帰っていくの。日曜日は休みだし」
「土曜日は、あるんだろう」
「ええ、でもその日は、みんなで外にでる活動をするわ」
「とんでもない話だ。家というものは疲れた体を休ませるためにあるんじゃないのか。そこが子供たちの暴れまわる場所になるなんて。そんなこと断じていやだね。君は気がちがったとしか思えないな」
「それがいやだったら、会社の寮が川崎にあると言ってたでしょう。そこに私たちが入ってもいいのよ」
「そのために、わざわざ引越すのか」
「ええ」
「馬鹿も休み休み言ってくれ。なるほど、ここの土地は、君の実家のものだ。しかしこの家を建てたのは、おれの金だ。そのローンも終わってないというのになんという馬鹿げた話をするんだ」
そして彼は毒づくように、宏美を藤沢のそのなんとか広場にいれてから君はおかしくなった。やれ会議だ、やれ全国大会だ、やれ運営委員会だとかけずりまわっている。おれのワイシャツのボタンがとれようがおかまいなしだ。もうおれのことなどどうでもいいのだ。おれの意見などどうでもいいのだ。そして邦彦はこれが結論だと言うように、
「いいかい。この家をそんなことに使うことは、ぜったいに反対だからな。ここはおれの家だ。そんなことはぜったいに許さない」
邦彦が怒るのは、当然かもしれなかった。だれだっていきなりそんなことを言われたら怒りだすだろう。しかし智子はその話を、たとえばのつもりで話したのだ。そんなふうにするのも、一つのプランだという程度にすぎなかった。邦彦がいやだと言えば、またそこから新しく考えればいいのだ。そんな気持ちで話したのだ。
しかし彼のはげしい怒りは、智子に二人の間に走る亀裂の深さを思わせるのだった。それまで邦彦は、もっと智子のそばにいた。どんな話でも、たとえそれが彼の反対することであっても、いつも智子に身をよせた考え方をしてくれる人だった。宏美のことも、教育の問題も、言葉がかよいあっていた。しかしいまはなにか言葉というものが、プラスとマイナスのように激しく反発しあう。
それからしばらくして、また弘から電話があった。
「クリーニング屋さんの子がいましたね」
「ええ」
「あの子が、大変なことをやってしまったんですよ」
「どうしたんですか」
「家に火をつけてしまったんです。風が強かったもんだからまたたくまに燃え広がって、あたりの家三軒がまる焼けというひどいことになりましてね」
智子は声もでなかった。穴ぐらから外をおどおどとのぞいているようなあの小学生の姿がありありと目に浮かんだ。ぐちゃぐちゃと愚痴をたれ流していた母親。あのとき彼女もまたその子も危険信号を発していたのだ。
「それで、児童館の職員とか、学校の先生とかでつくっている子供を考える会で、この問題をとりあげることになったんですが、そこでぜひ田所さんにスピーチしてもらいたいと思いまして」
その夜、会合の場所となった児童館にいくと、畳の部屋に十二、三人の人たちが車座になっていた。その放火事件が、こと細かく報告されると、あちこちから発言がとびかった。
「とにかく一日家にとじこもっていたわけだからね」
「しかも一人の友達もいなかった」
「ストレスがたまっていったんですね」
「家庭のなかもまたストレスがいっぱいでね。逃げ場がどこにもないわけだから」
「家族もまたその子を追いつめていったんだと思うね」
「学校にいけない子を、児童館で面倒をみるということはできないわけですか」
「児童館は原則として、朝から開かれているけど、学校にいきなさいという指導がまずされますからね」
「児童館のいまの体制では、とても不登校児童を面倒みることはできないでしょうね。まず法的な問題に抵触してくるし」
「しかしこれだけ多くの不登校児童がいるかぎり、もうそろそろ行政は、具体的にこの問題に手をつけていくべきなんだね」
「そうだね。ぼくらにも反省することがたくさんある」
「もっと積極的に声をかけて児童館に連れ出すとかね」
「待っているだけではいけないということですね」
智子はそんな会話を聞きながら、なんと心やさしい人たちなのだろうと思った。彼らの目はこの地域にむけられ、子供たち一人一人にむけられている。
その報告がなされたあと、智子がスピーチする番になった。そのころ智子は「不登校児童を考える全国集会」の実行委員になっていたりして、不登校に苦しむ人たち、それと戦っている人たち、さらに苦難をのりきった沢山の人たちの実践の例を知っていた。だから智子はそんな例をいくつもぬいこんで話していった。彼女の話は一座に深い感銘をあたえたようだった。
「もうそろそろ品川の地に、そんな場が生まれるべきですね」
智子のスピーチが拍手のうちに終わると、すかさず長野という人がそう言った。
「行政が手を出すということは、まずありえないからね」
「社会では、まだ認知されていない」
「しかしこれだけ多くの不登校児童がいる以上、いままでのように家庭や子供に責任の一切をおしつけて、そのすべてを覆い隠すことなんてできないよ。またそれをしてはいけないんだと思うね。そんなことをしていると、今度のように子供たちは放火というかたちで反乱するかもしれない」
「まず長太さんの塾あたりではじめたらどうなんだろうか」
とだれかが言うと、爆笑がおこった。
「いや、彼は蝶を追いかけることに忙しくてだめだよ」
「長さん、いまごろくしゃみしているな」
長太はいまは塾で授業をしているはずだった。もし彼がここにいたら、きっとその視線を、自分に向けてくるだろうと智子は思った。それこそあなたの役ですよと。
その集会が終わって、自宅にもどってくると、もう十時をすぎていた。
「お父さんは、まだなの」
と居間でテレビをみていた宏美に訊いた。
「一度帰ってきたけど、またでかけていったよ」
「どうしたのかしら」
「電話があってね‥‥」
と宏美は言いかけたが、ふとそこで言葉を切ってしまった。なにか隠しているそぶりだった。ひどく気になって、
「だれからの電話なの。宏美ちゃんがとったんでしょう」
「うん」
「会社の人なの?」
「ううん、うん」
とあいまいに濁そうとした。ひどくあやしげな態度だった。智子は詰問するように、だれなの、その人、名前をいったんでしょうと問いただした。
「松沢さんだって」
「松沢さんって?」
「ほら、一度家にきた人よ」
ああ、そうかと思った。だからこそ宏美は、言葉をにごそうとしたのかと思った。宏美にもいま二人が危うい状態にいることを鋭く感じとっているにちがいなかった。そしてその松沢という人こそ、二人の間に亀裂をうみだしている影の正体ではないかということを。
智子もまたそのときはじめて、邦彦の背後にただよう濃密な女性の影の正体をみたように思えた。会社から自宅が近いせいか、邦彦はよく部下たちを家に連れてくるが、その松沢という子も一度きたことがあった。そのとき邦彦は、いま会社で一番の美人なんだと智子に紹介したが、それは酔っているための冗談だけではなく、上品な表情をした姿のきれいな子だった。智子はその子にとてもいい印象をもった。それから何度か邦彦の会話のなかにその女性が出てきた。そして彼女が邦彦の課から引き抜かれて、専務の秘書になったということが話題になり、彼女の送別会をひらかねばならないなと邦彦が深いためいきとともに言ったとき、智子はかるい嫉妬にとらわれながら、あなたが一番寂しいんでしょうと言ったものだ。
その彼女なのだろうか。邦彦が急激にかたむいている人は。彼女から電話がかかってきた。それはたぶん宏美が電話に出たから、松沢は自分の名前を名乗ったのだろう。もしその電話に智子がでたら、彼女はきっとすぐに切ってしまったにちがいなかった。それほどまでの危険な電話をかけてくるには、なにか至急の用があったからなのだろうか。たった一本の電話で、邦彦はあたふたと出かけていった。なにがあったというのだろうか。そんなことをぐるぐると考えていると、智子はその夜ほとんど眠ることができなかった。
その夜、邦彦は帰ってこなかった。
智子はその次の日に、会社に泊まりこみだったと言い訳をする邦彦にこう言った。
「前から話していた塾をはじめたいと思うのよ」
「この家でかい」
「そう、ここで」
「それは、おれにここから出ていけということじゃないか」
「あなたはそうしたいんでしょう」
智子は、激しくつきあげてくる嫉妬をかくしながら言った。
「君の土地だから、おれは出ていけというわけだな」
「私たちはもうだめみたいだわ」
「別れようということなのかな」
そうではなかった。彼女が言いたいのは、そんなことではなかった。そしてまた塾を開くことでもなかった。たとえそうであるにしても、いま話したいのはそのことではなかった。それなのに、彼女はまたこう言った。
「あなたがそれを望んでいるんでしょう」
智子の胸の奥に、妙子の忠告がきりきりとよみがえってくる。あなたには離婚などできないわよ。離婚してまでそんなことをやるつもりはないのよ。そしてまた谷岡のあのやさしい声もふと耳をついた。家庭を大事にしなければ。その家庭に守られてはじめてできることなのよ。それらの声が、智子のなかで、悲しくこだますのだった。それなのに智子は、またそれらの声をふりはらうように、
「別れることしかないのかもしれないわ」
「君がそうしたいというなら、考えてもいいさ」
「もうそこまで、きてしまったんでしょう」
完
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?