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【連載小説】10 days (17)

10.九日目(日曜日)

10.1

 朝食の片付けが終わった後。
「お前も飲むだろう」
 返事を待たずに、健一は泰子の分までコーヒーをれた。佑斗はコップにオレンジジュースを注いでいる。
「今日の干物は、佑斗が作ったんだ」
「本当?」
 泰子は昨日から驚き放っしだ。
「嘘を言ってどうする。焼いたのも、佑斗だ」
「そう。とても美味しかったわ」
 泰子は目を細める。
「僕は、天日干ししただけだけどね」
「それで十分さ。それが一番大事な作業工程だからな。この後、燻製くんせい作りの続きをやるぞ」
「じゃあ、僕、作業用の服に着替えてくる」
 佑斗は部屋に戻っていった。

 健一が準備のため腰を上げようとすると、泰子が引き留めた。健一は嫌な予感がした。
「ねえ、お父さん、折り入って相談したいことがあるんだけど」
 思い詰めたような口調だ。来たな。健一は身構える。
「何だ」
「実はね、出張の前々日に、植村さんから電話があったの」
「植村さんって、お前の……」
「そう」
 泰子の元夫は植村聡と云った。
「今さら、どの面下げて……」
「ううん、彼じゃない。お義父さんからなの。彼が病気だって。ガンだそうよ。余命宣告を受けていて、もう長くないらしいの。お義父さん、さめざめと泣くのよ」
「だが、もうお前とは、何の関係もないことだ」
「そうなんだけど、彼が佑斗に会いたがっているって」
「養育費だって、お前、鐚一文びたいちもんもらってないだろう。随分虫がいい話じゃないか」

 彼の母親は、祖母が地方の旧家の出だそうで、やたらと気位の高い人だった。どこの馬の骨とも分からない女と息子を結婚させられない。彼女は最初から反対で、何とか別れさせようと画策していた。そんな矢先、泰子の妊娠が分かり渋々だが結婚を認めざるを得なくなった。
 だが、佑斗が生まれて一年もしないうちに夫の聡から離婚したいと言い出した。母親は安堵あんどの胸をで下ろしたことだろう。佑斗は泰子が引き取ったが、それに対して何の口出しもなかった。

「身勝手なお願いだと、恐縮していたわ。でも最期に一目会わせてやりたいって」
「お父さん、どうしたらいい?」
「彼の奥さんや子供とか、大丈夫なのか?」
「あの後結婚したらしいけど、子供はいないそうよ。そっちも離婚して、今は一人だって」
「自分達の希望だけを通すのは、俺は気に食わん。だが、これは佑斗の問題だ」
「会わせた方がいい?」
 佑斗は階段の途中で立ち止まった。二人の会話が聞こえたからだ。
「ねえ、どうしたらいいと思う?」
「逆に聞くが、お前はどうしたいんだ?」
「会わせた方がいいと思うんだけど、どうしても自分の感情が、先に立ってしまって……」
「そうか。おい、佑斗。そこにいるんだろう。出てこい」
 佑斗がのそりと顔を出した。健一は始めから泰子の話を繰り返して、「これはお前が決めることだ」と佑斗にゆだねた。
「そんなこと言われても、どうしたらいいのか、わからないよ。だって、顔さえ覚えていないんだよ」
 佑斗は戸惑いを見せる。
「それでも会えば、父親だってわかるさ。それが血ってものだ」

「お前は中学生だ。もう中学生だと前向きに進むか、まだ中学生だからと尻込みするか。それはお前次第だ。望むなら俺は助言するが、最終的に決めるのはお前だ。それでいいか」
「うん」
「会うと後悔するかも知れん。だがな、後になって会えばよかったと悔やんでも、その時は遅い。もう父親はこの世にいないんだ。だから、やれる時に、やれることを、全部やっておいた方がいい。した後悔は時間が経つと薄れていくが、しなかった後悔は、取り返しが付かない分、後々段々大きくなって、心をさいなむかも知れんからな」
「分かった。考えてみるよ。少し時間もらってもいい?」
「当たり前だ。泰子、時間はどれくらいあるんだ?」
「長くて半年と聞いてるわ」
「よし、一ヶ月の内に決めろ。それ以上悩んでも一緒だ」
「分かった。相談に乗ってくれる?」
「もちろんだ」
 佑斗はほっとした顔を見せた。
「よかった、父さんに佑斗を預けて。実はね、お母さんに断られた時、十日間ぐらいだったら、もう佑斗一人でも大丈夫だと思ってたの。でもね。私の留守中に、植村さんから電話が掛かって来たら、あの子が混乱するでしょう」
「お前は、良い母親だよ。後お前に必要なのは、こいつを一人の人間として認めて、黙って見守る勇気だけだよ」
 うん。泰子はこくんと頭を下げた。


「じゃあ、始めるか」
「始めるって、何を?」
「燻製だよ。佑斗、冷蔵庫からバットを出してくれ」
「うん」
 佑斗は冷蔵庫からバットを出してきた。健一はバットの液を流しに捨て、代わりに細く絞った水道の水を流し入れた。
「このまま二時間ほど流水で塩抜きして、その後丸一日干しするんだが、今時は暑いから冷蔵庫で保管だな」
「えーっ。じゃあ、僕、食べられないじゃない」
「ん? あっ、そうか。お前、明日には帰るのか」
 健一はすっかり忘れていた。
「そうか……。迂闊うかつだった。ぎりぎりだな」
 明日は何をしよう。次はどこに連れだそう。この所、そればかりが健一の頭を占めていた。
「間に合わなかったら、その時は後で送ってやるよ。取り敢えず、塩抜きだ」

「待っている間、お茶でもするか」
 健一の楽しみはもう少しで終わる。

 二人は手分けして塩抜きを終えた魚を風通しのよい場所で陰干しにした。その間、泰子は佑斗の動きをずっと目で追っていた。こんなに生き生きとして、これほど表情豊かな子だと知らなかった。泰子はなぜだか涙が出そうになった。

 作業を終えたのは昼少し前だった。

「お昼、何か作ろうか?」
 泰子が言うと、健一は「いや、外に出る」と答えた。佑斗はそれが当然のように服を着替えてきた。
「どこに行くの? 車、出すわよ」
「佑斗が来てからずっと、世話になってる所だ。お前も一緒に行くか?」
「レストランとかじゃないの? えっ、普通のうちなの? 違うの? 私が一緒に行ったら、迷惑じゃない?」
「そんなに次々に聞くな。大丈夫だ。気にする人じゃない」
「その人、お父さんの、いい人?」
「そんなんじゃないが、大切な人だ」
 そばで聞いていた佑斗が口を挟む。
「いい人とか大切な人って、ママのことを好きだってこと?」
「うーん。お前はまた、答えに困る質問をするなぁ。まあ大人は色々難しいんだよ」
「ママって?」
 泰子が言葉尻をとらえた。
「行けば分かるよ」
 健一は泰子の問いを透かした。
「一昨日は、どうしたの? 母さんも、連れて行ったの?」
「いいや。断わりの電話、入れたよ。さあ、行こう」
 健一は会話を終わりにした。


 徒歩だと三十分以上掛かるが、車だと数分で着く。駅の近くの有料駐車場に車を駐めて『サクラ』まで歩いた。
 どんな人かしら。泰子は好奇の目でちらちら健一を見る。
 健一は『サクラ』の前で立ち止まって、小さく咳払いした。
「お父さん、緊張してる?」
 健一は無視してさっさとドアをくぐる。佑斗が続く。泰子は最後に店に入った。
「ケン、遅かったな。昨日は、ママと差しだったぜ」
「ユウくん、いらっしゃい」
 ママは認めて駆け寄ろうとしてたが、後ろの女性に気づいて立ち止まった。目が佑斗に説明を求めている。佑斗はママに近寄ってハグした。泰子は息子の行動に目が点になる。まさか佑斗がそんな行動に出るとは思いも及ばなかった。
「こちらが『サクラ』のママで、さくらさん。これが僕の母で、泰子です」
「息子が色々とお世話になりました」
「いいえ、こちらこそ。ユウくんのお陰で、嬉しいことを一杯もらいました」
「私事ながら、仕事で中々しつけまで手が回りません。失礼がなかったか心配です」
「どうしてどうして、素直でいいお子さんですよ」

「それから。こちらは、ケンさんの飲み友達でケンカ友達の、源三さん。母の泰子です」
「橘源三です。余りにお綺麗きれいで、ケンの娘さんとは信じられないです。きっとお母さん似なんですね」
 源三が改まる。
「源さん、止めてよ。『お綺麗』とか『です』とか、気持ち悪いよ」
「佑斗、何てことを言うんですか。失礼でしょう」
「源三、いつも通りでいいよ。俺も聞いてて、虫酸むしずが走りそうだったぞ」
「やっぱ、そうか。俺も使い慣れない言葉で、舌を噛み切るところだっだぜ」
 源三が爆笑を誘う。
「ええ。父も口が悪い方ですから、いつも通りで……。その方が私も耳に馴染なじみがいいですから」

「ママ、これ」
 健一が袋を差し出す。
「何?」
「佑斗が作った干物だ。魚は源三の孫が持って来てくれた」
「作ったと言っても、天日干ししただけだよ」
 佑斗は小声で言い添える。
「そんな大事なもの、お母さんを差し置いて、私がもらっていいの?」
「どうぞ。私は今朝、焼いたものを頂きましたから」
「何、圭太の魚か?」
 源三が身を乗り出す。
「ああ。お前もほしかったら、まだあるから、やるぞ。後で取りに来い」
「干物なんて、珍しくもないが、そこまで言うんだったら、もらってやっても、いいぞ」
 源三は上がり掛けた口角をへの字に戻した。
「相変わらず、素直じゃないな。お前、その性格直したほうがいいぞ」
「お前に言われたかぁないわ」

「ママ、一人増えたけど、大丈夫かな?」
「源さんとケンさんの分を減らすから、問題ないわ。さあ、座って」
「じゃあ、俺達は、その分、ビールで腹を膨らますか」
「何、バカなことを言ってるの」
 泰子も少しずつ、この三人の相関図が見えてきた。笑いながら、
「私にも、何かお手伝いさせて下さい」
 と申し出る。二人はてきぱきと昼食を整えた。

 雑言や軽口が飛び交う。賑やかで、楽しくも短い昼食の時間。
 口を動かしている時間より喋っている方が長いくらいだ。

「とても美味しかったです。私もこんな美味しいものが、作れればいいんですけど……」
 泰子がぽつりとこぼすと、佑斗が
「僕、未だ手の込んだのはできないけど、ママから『漬け丼』習ったから、今度、家でも作るよ」
 えっ。泰子は目を丸くする。
 ――私は今まで佑斗の何を見ていたんだろう。そう言えば……。
「……私が二日酔いした朝、いつもおかゆを作ってくれるものね」
「あれは、ご飯に水を加えて、電子レンジでチンするだけだから……」
 健一は佑斗を顎で差しながら、
「俺も驚いたよ。自分からママに教えてくれって頼んだんだ」
 と泰子への気遣いを見せた。だが、その後がいけない。
「かわいい子には旅をさせろって云うだろう。その成果だよ。お前は、俺に預けると云う、いい決断をしたってことだ」
 とやらかした。
「でも、ケンさん、最初の日、僕に『はっきり言って迷惑だ』って言ったよ」
「バカ。それはだなぁ、そう、言葉の綾だよ、言葉の綾」
 ママが失笑する。
「ケン、それはアウトだ」
 源三が大袈裟おおげさにアウトのポーズをすると、皆の爆笑を誘った。

 熱浦市の花火大会も今日が最終日。
 ――祭の後のわびしさ……か。どうせなら、ぱぁーと最後は派手に打ち上げてやるか。

 健一はそう思い立った。

魚の燻製の作り方は、「手前板前」氏のホームページを参考にしました。

<続く>







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来戸 廉
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