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【哲学入門書紹介】読書感想文_《体験の哲学》

こんにちは!

タイトルに読書感想文と書くのが、久しぶりすぎました。

最後にガッツリ読書感想文を書いたのは、10ヶ月前。


いや、書いてなさすぎやろ・・・。


当時は素人なりに、頭ひねって書いていたはずなのですが、いま改めて書こうと思うと、どうやって書いていたかが思い出せません。

それでも読書感想文として残しておきたい!と思った本があるので、書いていこうと思います!!!





本日は、《体験の哲学》です。


約一年前、わたしは哲学入門書を読みまくっていましたが、数多く出版されている哲学入門書の中でも、著者:飲茶さんの本は、抜群に読みやすく、ハードルが高いと思っていた哲学のことでも、するすると理解できる そんな印象があります。

そんな飲茶さんの、新刊です!

といっても、発売されたのは去年の6月。

わたし自身、「読まねば読まねば・・・」と思っていたのですが、気づけば年を越していました。(大反省)

でも、読み終えたとき、「読書感想文書くしかないだろ!!!」と思ったのです。

書き方や表現をそのまま伝えたい関係で、一部、引用で括ってない部分も引用してしまっていることがありますが、ご了承ください、、(汗)


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まず、この本のタイトルは「体験の哲学」ですが、
改めて「体験」といわれると、「どれのこと?」となりますよね。

この本の巻末には、「体験チェックリスト」というものがついています。

例えば【食べる】という項目の中には、『フルーツ』という項目があり、さらにその中の「イチゴ」は「イチゴを食べる」という体験を表しています。

見てみれば、一目瞭然なのですが、このチェック項目は【食べる】に限らず、【飲む】【行く】【身につける】・・・などなど、いくつかのカテゴリーに分けられており、日常のあらゆる体験がチェックリスト化しています。

【たべる】の『リンゴ』の中にも、「早生ふじ」「赤玉」「シナノスイート」・・のように、品種ごとに分かれているという細かさです!

日頃、些細な違いに感じるものまで、一つの「体験」として独立しているんですね。


この本では、このように並べられた数々の体験に関して、

「それを行った時に□にチェックを入れていき、すべての体験のコンプリートを目指す」ことを推奨しています。

チェックリストといわれると、なんだかゲームのようでちょっと楽しい。

ゲームのサブクエストを一つずつ消化していって100%にしていく感じと似ています。


でも、何でこんなチェックリストを使ってまで、「体験」をしなきゃならないのでしょうか?



それは、多くの人々が、普段「体験を意識しないで生きているから」だそうです。

体験の定義
(1)実際に経験すること、またはその経験内容。
(2)哲学用語で、主観的に見出される生き生きとした意識過程。

体験の哲学(辞書から)


上記を体験とするならば、
体験がなくなった状態は、「熟睡状態」と同じと言えます。

熟睡状態
・意識に何の感覚も思考も浮かんでこない
・時間を意識することができない

体験の哲学


そして、この「熟睡状態」が、これから先ずーーーーっと死ぬまで続いた時、




「あなたは生きていると言えますか?」



そう問いかけられるのです。



100年間身体が生命活動を続けていたとしても、意識が「熟睡状態」であったなら、それは「死んでいる」と同じなのでは?ということです。


この症状は、気づかないうちに自分の身の回りでも起きていてます。

たとえば、毎日の通勤通学など、「気づいたら会社についていた。」と、感じる人が大半ではないでしょうか。

そんな不可思議な現象が、じつは頻繁に自分の身に起こっているのです。


じっさい、毎日の通勤通学くらいだったら特別心配するようなことではないのかもしれませんが、日常生活にまで及んでしまった時が問題です。

「身体は習慣通り日常生活を営んでいるが、内面的には何も感じていない人間(意識に注目すべき対照がなく、何の感覚も受け取っていない人間)」のことを哲学の世界では「哲学的ゾンビ」と呼びます。

体験の哲学

えっ、、、


「哲学的ゾンビ」・・・・??


本当にそんなのあるの!?と思った私は検索をかけますが、ちゃんとWikipediaで出てきてびっくりしました。

たしかに、多くの人が感じていることだと思うので、専門用語としてあってもおかしくありません。



そんな「哲学的ゾンビ」にならないように、「体験を味わっていきよ」とこの本は推奨するわけですが、

決して「刺激的で非日常体験をたくさんしよう!」と言っているわけではなく、

「日常生活をしっかりと味わう生き方を身につける。」ということを強く言っています。

何かを「食べる」という行為から、「足の裏」「背中」「お尻」などの皮膚の感覚まで、そんな当たり前のことも味わって生きることができるというのです。

これは、体験理解(悟り)に心血を注いでいる、東洋哲学者の考えに近いそうです。


この考え(意識?)を自分たちの日常生活に落とし込むことで、
これまで「死(哲学的ゾンビ)」の状態であったとしても、「生きている」と実感できるようになる・・ということなんですね。


改めて、その手助けとして、巻末についている「体験のチェックリスト」は、未体験に気づくキッカケを作ってくれるものです。

もし、体験しているものであっても、「あれ?思い出せない」となったならば、そのとき自分は「哲学的ゾンビ」状態だったかもしれないので、再度体験してみることが良さそうですね。

コンプリートを目指しつつも、全てをやらなきゃいけないわけではなく、それぞれの事情や体質があって、実行できないものには、遠慮なく×をつけても良くて、「体験しないことも個性」といってくれています。

たとえば、日本人全員が「となりのトトロ」をみているのに「自分だけ見ていない」というのは誇るべき特殊な体験であり個性です。

体験の哲学

これには、めちゃめちゃ納得しました。

「トトロを観ていないということは、これから観ることもできるし、観ないこともできる。つまり私だけに選ぶ権利が与えられてということです。観ているあなたたちとは立場が違うのです。」

体験の哲学(かまいたち山内健司)

この本の途中には、たびたび元になった哲学やその人物が言った(であろう)フレーズが差し込まれていますが、
その中でも、お笑い芸人かまいたち 山内さんの言葉には、感動してしまいました。

たしかに、そういう見方もあるな。と気付かされたんです。

知らないからこそ、自分の中で想像が膨らんだり、見るか。見ないか。選べる権利があるということに。


「何をどう選ぼうが幸せになる哲学」

体験の哲学


書籍の冒頭では、このように書いてありますが、その意味がわかった気がします。



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飲茶さんの本は、読み終わったあと、いつも読んでよかったと思います。

そのあとの日常が、とても豊かになる気がするんです。

それは、これまでの自分が「哲学的ゾンビ」の状態に限りなく近かったからだと思います。

いまは自分なりにたくさん考えているので、どちらかというと「生きている」と実感できている気がします。

ただ、去年の9月からは会社で働きはじめて、1日の大半は仕事をしています。
そして、だんだんと仕事はルーチン化されていくので、何もしなければ、このまま気づかないうちに「哲学的ゾンビ」になっていくのだと思います。

去年、じぶんが無職だったときより、何倍も1日が終わるスピードが早いと感じるのがその証明です。

でも、それを「このままではマズい!」と思い、日々、試行錯誤し、「体験」を意識して生活を送っていきたいなぁと思いました。


長くなりましたが、
気になった方は、ぜひ《体験の哲学》を読んでみてください!
いつもの日常が、何割り増しかで豊かになること間違いありません。

それでは!^_^/



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