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⑤『法の歴史大図鑑 世界を知る新しい教科書』ポール・ミッチェル(2024・河出書房新社)
第3章「帝国と啓蒙思想」(1470~1800年)
この中に「ウェストファリア講和」ってのが出てくるんですけど・・・・
ヴェストファーレン条約(ヴェストファーレンじょうやく、羅: Pax Westphalica、独: Westfälischer Friede)は、1648年に締結された三十年戦争の講和条約で、ミュンスター講和条約とオスナブリュック講和条約の総称である[1]。ラテン語・英語読みでウェストファリア条約とも呼ばれる。近代における国際法発展の端緒となり、近代国際法の元祖ともいうべき条約である[1][2]。
この条約によって、ヨーロッパにおいて30年間続いたカトリックとプロテスタントによる宗教戦争は終止符が打たれ、条約締結国は相互の領土を尊重し内政への干渉を控えることを約し、新たなヨーロッパの秩序が形成されるに至った[1][2]。この秩序を「ヴェストファーレン体制」ともいう。
この条約により「各国の領土・人民・在外使節について有する排他的主権の概念が明らかになった」のだそう。「国家は国際法の下に、その大きさに関わらず平等である!」という考え方がキチンとなった。
それからアメリカ独立宣言。
「いかなる形態の政府であれ、その政府が有害なものになった時は・・・・それを改造しまたは廃止し、新たな政府を樹立することは人民の権利である」
独立を果たしたアメリカも、戦争に疲れたヨーロッパ各国も、訴えているのは自国の排他的主権。「よそのヤツらにアレコレ言われたくない!ウチのことはウチで決めさせてよねッ!」ってことだ。
こーゆうのって「家族」や「個人」にも置きかえて眺めることができる。
ウェストファリア講和の解説を読んだ時、「国家」は「家族」のことだと思った。更にその下の「個人」にだってあてはめることができる。「人類」が我々の最大単位ならば最小は「個人」だけど、こーゆう概念ってどのレベルにだって置き換え可能なモノだと思う。
私の育った家では父が絶対王政独裁の悪政を敷いていた。
癇癪持ちヒステリック情緒不安定の父は、己の不安を紛らわすために家族に当たり散らかし、ボロクソにこきおろすことによって自身のプライドを守るタイプのクズであった。
よって父の治める国家(家庭)には秩序も安定も平和もなく、主席様のご機嫌次第で如何様にも弱者が虐げられるよーな不幸で不平等な世界がひろがっていた。
で、私は、こーゆう秩序の在り方に対して、ずっとずっっっと疑問を抱いておったのです。
こいつの振り回すルール、やりかたは正しいのか、と。
父が怒り狂う時は必ず「おまえらが悪いから」ってゆってきやがんですよ。常に他罰姿勢。たとえば、私には「おまえが怠けるから」、妹には「おまえがブスだから」、母には「おまえが普通じゃないから」って言う。そのせいで俺はオマエらを怒らざるを得ないッ!・・・というのが父のスタンスだ。
たしかに私はMAX最大値の努力などしてないし、妹も環奈ちゃんのような美人ではない。母も「ふつう」とはどこか違うのかもしれないし、ってことは、父の言うことも丸っきりのウソじゃーないのです。父の言うように、「怠け者の私」は「物凄い美人じゃない妹」は「普通じゃないかもしれない母」は「100パーの潔白とは言えない」のです。
・・・・が。
とすれば我々はいったい「どれくらい悪い者」なのか。私の「怠け」は何パーくらいの悪さなのか。父が我々に赦しを与えられる「よき」レベルに至るためには、どのあたりの「よさ」まで自分をひきあげねばならないのか。ダメとOKの境目、「怠け度」「美人度」「普通度」の基準点ゼロはどこなのかっ!! はたまた、仮にそーゆう境目があるとして、それは誰がどーやって決めてんのかッッ!!!!!
で、そのうち気づくわけです。
ーーーオマエ、それ、勝手に決めてるよね? と。
仮に、父の中になんらかの「確固たる基準」があるのだとしても、どーして我々までがオメーのそれに従わねばならんのか。
ーーーおのれ、くっそジジイが。何をもってオマエがその権利を独占しとんじゃゆーてみい!!・・・みたいなコトになるわけです。最終的には。
こういう流れって人間の歴史、国家発展の歴史とだいたい同じですよね。法律図鑑を眺めててもそう思った。法律が出来上がってゆく過程と歴史とは、キチンと足並みが揃ってる。
この本読んでみてよかった。
法律の勉強がどーのってよか、自分の中のマイルールやマイ秩序(外界と関わる時の)を「どうしておくか」が、よりハッキリクッキリしてきたから。
若かりし日、悩んでた頃には一生懸命心理学の本をめくってみたりもしてたけど(だって普通はこのルートですよね?)、なぜか私の場合は全然しっくりとこず。どちらかというと歴史や哲学の方面に答えあり!な感じだった。今思えば。たぶん人によって何が参考になるのかが違うんだと思う。
ちなみに私はカウンセリングとも相性が悪かった。やってほしいこと・求めることが、あちら側の意向と全然噛み合わない。こんなんじゃ時間と金の無駄!!と思って2回でやめてしまったわけですが、こんなふうに、人によってはカウンセリングルームに通ってもダメな場合がある。様々な原因によってあーいうサービスと反りの合わない人は、カウンセラーの先生に丸投げなどせず、自分のベストを自力で手探りしていくしかない。
がんばれ、いつかきっとなんとかなる!・・・・と、心から応援してさしあげたい。悩める若者たちを。