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やらなくてもいいと言ったその後。

我が家の子どもたちは学校に行くのがいささか苦手です。不登校を経て息子は行けるようにはなったけれども、気分の一喜一憂や何かしら抱えると行かなくなります。
娘は自由な登校スタイルでして、行きたいときに行くというそういうシステムです。

さて、先日支援級に在籍する娘は交流級での授業に参加するか悩んでいる様子。
どうしたの?と聞いたら行かなきゃいけないとは思うがどうにも気が進まない。人が多すぎて緊張するんだ、という。

そこで私はなんともなしにやらなくていいんじゃない?と言ったのですが娘はほんの少し真面目な顔をして「そのあとってどうすればいいの?」と聞くのです。

なるほど。そんなことを考えているんだと思いました。

やらなくていいよ、行かなくてもいいよ、そうは言えてもそのあとって何がどうなるのか本人はハテナなままなんですね。

行かないとかどうなるのか、やらなかったらどうなるのか。

行きたくない、その意志を尊重して肯定したとしてもその後を考えている。としたら、やはり最後まで親も一緒に考えるべきなんだろうと思います。

そこで私はまず行かなくても大丈夫な前提で個々の授業については休んだ分だけ習わないところが増えるしみんなより遅くなる。音楽や体育などは交流級で一度も参加しないと評定がつかないこともあること。単に言えば成績表にはいささか響いてしまうこと。なんでもかんでもやる前からやらないという選択をするのはちょっと早いこと。でも、やらないと決めたのならそれに対して文句をいったり人のせいにしてはいけないと思うこと。などを話しました。

また、何がどう嫌なのか苦手意識があるのか説明できるならば先生や周りの人に伝えてみてもいいのではないかということ。
どんな選択をしてもそれは尊重するし一緒に考えることもできる。
これで良かったのかあれが良かったのか悩むこともあるし、失敗することもある。それも含めてあなたの人生だし応援するよ、と伝える。

彼女は一度の失敗をとても大きく捉えます。二度とリトライなんて出来ないと思いこんでいます。
何事においても二度目はない、という考え方をしています。だから初めての場所や出来ごと、やることが恐ろしくてたまらないのだと思います。
失敗したらもう2度と取り返せないと想っていてそれはとても恥ずかしいことだと思っている。
それは遡ればまだ療育に通っていた未就学児のころ、送迎のバスに酔って吐いてしまいました。
そのときのみんなの顔や着いてからもなんで吐いたのかと聞かれ返す言葉もなくそれをからかわれたように感じたのかそれ以来送迎バスには乗れなくなり親が自転車で送迎することとなりました。

恐らくその一件が彼女にとって失敗は取り返せないと思ってしまったのかもしれません。
顔を合わせるたび、吐いたことを聞かれるからどうしていいか、こんなときなんて言えばいいのかわからないまま過ぎてしまったことが苦手意識に繋がったのではないかと思います。こうしてみたら?ともっと話をしてあげていればよかった。
体調が良くなかったから、と説明するだけで多分相手のお友達も納得したのかもしれません。そういう経験をしているかしていないか。
それは後々大きく響いているような気がします。

だからたくさん話を聞いて何に悩んだり困っているかを知るのはとても大切なことです。
手を貸せることもあるし、そうでない場合どう解決するかを共に考えることもできるからです。

こうしたらこうなる、という事より大切なことは自分はどうしたいのか、そしてどうするのか。それを考えてみてほしい。いつでも。
何かを選択する自由はあるし失敗しても挽回することもできる。一度の失敗に拘るのではなくてその先があることを知ってほしいなと思っています。

子供は親が思うより真剣に自分の未来を考えているかもしれない。どうなりたいか、どうなれるのか。悩んでいるし迷っていることもある。

私は自分が無防備に放った言葉に娘が真剣に考えていることを知って、その後もちゃんと考えていこうと改めて思いました。

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