見出し画像

【太極拳】流派別の基礎的練習法から見た上達方法【形意拳、八卦掌】(2023/1/2修正)

太極拳、形意拳、八卦掌を主として、少林拳、蟷螂拳や八極拳も少しかじってきました。日本の少林寺拳法や和道流空手、国際松濤館流空手なども練習してきた中で、流派ごとの考え方とそれに基づいた練習方法を学んできて気づいたことがあります。

いわゆる、秘伝とか口伝というのは、流派ごとの特色であって、ある流派では秘伝でも、他の流派では使い物にならない。逆に、基本と呼ばれるような鍛錬方法が実は秘伝や口訣の塊であったり、技の秘伝はなくて鍛錬法に秘伝があったり様々です。

今のように情報が発達して、動画が見れて、Youtubeで達人の動きを見ることができるようになってくると、実は話に尾鰭がついた虚構であったり、逆に全然知られていないような人が信じられないような動きを見せてくれたりします。そもそも日常生活で武術を使うようなことがあると、怪我をさせてしまっただけで社会人としての人生が終わってしまいます。護身術と言っても、相手がナイフやハンマーを持っていたら、生兵法は怪我の元になってしまいます。

なので、今の時代に役に立つ本当の秘伝というのは、その流派の思想を体現するための秘訣であって、相手を効率的に傷つけるような秘伝は、秘伝であっても秘伝で無くなってきていると思います。逆に、基本的な鍛錬法を地道に繰り返して、その流派が目指していた体術を身につけることが大切だと思います。例えば、ある流派の秘伝を知ったとしても、A流派の鍛錬法を使ってB流派の練習をしたとしても、その秘伝がいくら魅力的でも、体の使い方が違うので怪我の元になります。身体の使い方についての考え方が違うので、流派が変わると套路の練習に役に立たないことも多いです。

そういう意味で、私の拙い経験と、見聞きした内容から、それぞれの流派ではこういうことを目指すといいよ、こう考えると良いんじゃないかな、ということを書いてみたいと思います。最初は共通に役立つところから始めて、後半ほど特殊事例です。

站椿功

まずは、站椿功についてです。この鍛錬法は中国武術に特有だと考えられていますが、実は空手にもあります。站椿と呼ばないだけで、姿勢や歩法の鍛錬(しごき?)の中で、騎馬立ち30分、猫足立ち15分とかやらされます。これらは明らかに足腰の鍛錬です。足がプルプルするまでやらされます。中国武術では足腰の鍛錬という部分もありますが、それだけにとどまらず、気功的な効果や、身体感覚の脱学習、再構築などを行います。

站椿功の歴史についてはいろいろな説があるようですが、私が知っている内容としては、站椿功の歴史は意外と浅いです。もともと太極拳には站椿功は無く、形意拳から始まっているようです。王向斉が創始した「意拳」で鍛錬法としてメジャー化するのですが、意拳の站椿功の多くは少林内勁一指禅から持ち込まれたものです。王向斉が郭雲深の最後の弟子というのも、時代的に無理があるという説もあるらしいですが、形意拳では伝統的に三体式の站椿功が鍛錬の中心として伝えられていたそうなので、站椿功が形意拳の鍛錬として重要なのは確実だと考えています。一方で、太極拳では、それまで長拳のように素早く動いていたものをゆっくり動くことで、体に染み付いた癖を脱学習させて、自然な動きを神経に教え込むということを可能にしました。武術界で最初のパラダイムシフトです。これは、ニューロ・ムーブメントとして西洋で再発見されています。

その後、0から1を創造する。逆に1を0にすると言った方がイメージしやすいかもしれません。動きを止めることによってさらに学習効果が高まることを発見したのが形意拳だと考えています。太極拳のゆっくり動く先に站椿功があったのか、形意拳家が独自に発見したのかは分かりません。

站椿功に少し西洋スポーツの知識を持ち込んで考えてみると、アイソメトリクス的な運動と呼べます。下半身は、足の形(姿勢)が変わらない状態で、体全体の重さを受け止め続けています。これをトレーニングに持ち込んだ発想自体には不自然なところは何もなく、例えば空気椅子で我慢している時、腕相撲で2人の力が拮抗している時、ラグビーでスクラムを組んで押し合っている時、相撲で立ち会い直後に膠着した時、動いていませんがお互いに最大の力を出し合っています。このアイソメトリクス的なトレーニングは、動かなくて良い、器具が不要、関節に優しい、使っている筋肉を意識しやすい、短時間で効果が得られる、というようなメリットがあります。一方で、集中していないと負荷が抜けやすい、力むと息を止めてしまいやすい、行っている角度でしか効果が得られない、というようなデメリットがあります。中国武術の站椿功では、気功的に呼吸を深くゆっくり行うことで力まないようになっていますし、初心者は目を閉じて立つことで集中力も持続します。この辺りは経験知を重視する中国文化のすごさだと思います。忘れられている(知られていない?)のは、アイソメトリクスは鍛錬しているその角度でのみ効果が得られるという点です。なので、形意拳では三体式で行い、八極拳では馬歩で行うのです。形意拳で馬歩站椿をしても気功的な意味しか得られないし、八極拳で三体式をしても技とつながりません。鍛錬した角度(姿勢)でしか効果が発揮されないので、その流派で最もよく出てくる姿勢で行う必要があります。なので、太極拳で行う場合は、気功的に馬歩站椿をするのは良いのですが、太極拳的な身体を作るには、野馬分鬃や楼膝拗歩や単鞭のような弓歩の站椿、手揮琵琶のような中段構えの站椿が良いです。形意拳では、構えであり打ち終わった形である三体式の姿勢を強固にすることで、発勁につながる力をつけることができます。八極拳では、馬歩が基本です。頂肘(肘打ち)や靠(体当たり)、衝捶(中段突き)は全て馬歩で行いますので馬歩が弱いと力が出せません。スクワットの力ではありません。馬歩の形を崩さない力が大事なので、站椿功は非常に重視されます。私の学んだ八極拳の流派では、拝師という内弟子になる時に儀式があるのですが、その中に馬歩站椿があります。決められた時間の馬歩站椿ができないと受け入れてもらえませんでした。実戦重視で、実力をキチンと測る八極拳らしい儀式だと思います。

ゆっくり動く

ただ、太極拳の身体運用としては、ある姿勢で止まって力を発揮するよりもゆっくり動く方が大切だと思います。その場合は、站椿功ではなくて、攬雀尾を左右繰り返すのが一番の近道です。何度も繰り返すと、めちゃくちゃ太極拳の力の使い方が分かってきます。僕が一時期、太極拳に力を入れて練習していた時期には、攬雀尾だけを毎日毎日繰り返していました。1000回くらいやってみると身体の使い方が変わってきたように感じました。どうして攬雀尾かというと、攬雀尾には掤捋擠按が入っているからです。この4つの動きが太極拳の身体運用の思想なので、何回も繰り返すことで太極拳がやりたいことが分かってきます。

※掤捋擠按というのは、掤(ポン)受けることです。体全体に「ふくらみ」を持たせるイメージで、腕を円弧にして手の甲側を相手に向けて、胸との間に弾力があるようにして、手甲や前腕の背部で相手の動きを受けます。力の方向は、体全体から、すべての方向に風船が膨らむようなイメージです。履(リ)流すことです。相手の力を下方向へ引き下ろしたり、引き込むイメージです。撫でるという意味の捋(リュウ)の字を使うこともあります。相手の腕や肩に触れて、相手の重心をずらして相手から見て下前の方向に誘導するようなイメージです。擠(チ)ひしめき合って押し合うという意味です。両手の掌を重ね合わせて、手と甲と掌で相手を前方に押します。受けと押しという矛盾した動きを一体化させた動きになります。按(アン)手でおさえるという意味です。頭の上に手を置く様も表しています。形としては手の掌で相手を押していますが、意識としては抑えるイメージです。

ゆっくり動く練習が太極拳の真髄です。重要なのは、漫然とゆっくり動きを繰り返すだけでは効果は得られないということです。常に、動作と、その動作から得られる感覚をフィードバックして、感じることが大切です。自分の腕や脚や体幹がどういう角度で、どの向きで、どの速度で動いているのかを全てコントロールできるようにします。苦手な動きのところは、少し早くなって誤魔化そうとします。自分にとって楽な動き方をしてしまいます。その早くなるところを自覚することが重要です。その動作が、癖になっている動作で誤魔化そうとしている動き方です。一定のスピードでゆっくりと動くことで、全ての状態で自分の体をコントロールできるようになります。

一番注意しないといけないのは、「あ、これはあの動きだ」「あの時と一緒だ」「あの動きを思い出すな・・・」という感覚です。この感覚は、せっかく生まれた新しい感覚を過去の習慣に引き戻してしまいます。つまり、既に身に付けて、自動化して、予測できる動作に紐付けてしまいます。別の言い方をすると、学びのスイッチ、習得のスイッチをオフにしてしまいます。常に、今あるその状態を感じて、新鮮な感覚で繰り返すことです。周りの空気の温度、湿度、風、一度も同じ状態はないはずです。さらに、俯瞰的に、自分が空間の中でどの方向を向いているか、自分の部屋のように狭いところにいるのか、体育館のように広い中のどこに立っているのか、隣に人はいるのか、屋根はどんな感じか、頭と屋根の間の空間はどんな感じか、周囲の人との距離感はどんな感じか、ということも感じられるようになると、同じ感覚は2回ありません。実際にやってみると、周囲を感じることでなぜか自分の動きの質も変わるのが感じられると思います。毎回、新しい感覚が得られますので、それを感じることが大切です。そうすると心が「今」を感じるようになり、デフォルト・モード・ネットワークと呼ばれる脳が勝手にあれこれ考えてしまうスイッチを切ることができます。中国ではこの状態を「意馬心猿(いばしんえん)」と呼びます。あばれている馬や、騒ぎまわっている猿を制するのは簡単ではないように、心が煩悩で乱れるのを押さえるのはたいへん難しいという意味です。

形意拳の基本

有名なのは最初の数年は三体式ばかりをやらされて、五行拳の1つ目の劈拳もなかなか教えてもらえないという逸話です。昔はそういうこともあったと思います。ただし、どうしてそういう練習方法だったのかということを考えると、まず站椿功による打ち終わりの形(三体式)を身体に覚え込ませて、その形に身体を馴染ませる必要があるからです。それができないと、いくら動きを練習しても暗勁ができるようにならないからです。明勁は動きがあるので筋力で打てます。暗勁は、表面的な動きを小さくしていき、関節や筋肉の反射、張力で力を伝えられるようにしていきます。簡単に言うと、普通に足音を気にせずに階段を登るとトントントンと足音がします。この時、登るスピードを緩めないで足音をさせないように意識すると、階段を登る動きはしますが、最後の瞬間に足の動きを急激に止めて(筋肉を絞って)足をつきますが体重はちゃんと乗せることができます。この動きが暗勁です。動きは急激に静かになるけれど、階段を登るスピードを落とさない、体重移動を遅くしない身体の使い方です。そろりそろりと動いてしまうと、それはただゆっくり動いているだけなので、力を緩めていることになります。あくまでも、スピードを落とさずに、でも音をさせずに階段を駆け登る動きです。

暗勁と浸透勁について

もし暗勁がうまく発力できなという人は、何度も階段を昇り降りして、自分の体の使い方を観察してみてください。そうすると、足を着く直前の形で足を急激に固めていることに気づきます。体の使い方を実際に感じてみるとなんとなく分かると思います。そうすると、強い暗勁を撃つためには、そもそもの明勁(ドンドンドンと音がしても良いので階段を登る力)が必要で、その力を超えられないことが分かります。音がしないように素早く静かに登っても、階段を登るスピードが速くならないのと同じです。まずは動きを制限せずに全力で階段を登るスピードを高める(明勁)、それから静かに素早く気配を消して駆け登る練習をする(暗勁)というのがイメージしやすいと思います。そして、明勁の段階から、站椿功によって身体をある形に維持する力を養うことで、明勁の動きと静止の落差ができて、それが暗勁の力になるということです。別の表現をすると、明勁の力をできるだけロスがないように小さな動きにまとめていくということです。不思議な力ではなくて、身体の上手な使い方です。

この暗勁に体重を乗せることができるようになると力積という力が増えるので、相手の運動量を変えることができるようになります。簡単に言うと、相手が自分の方に向かってくる時に、こちらが突きや体当たりをすることで相手の運動を止める、もしくは相手を押し戻すとします。その際には、相手の運動量を受け止めて、さらに運動方向を逆方向へ変える力が必要になります。この時お互いがボールとバット、ボールとラケットのように質量が小さければ、「撃力」と呼ばれる一瞬だけ大きな力を加えることで可能になります。野球のバッティングやゴルフのショット、テニスボールを打ち返す動きです。でも、武術の場合は相手も自分も同じくらい体重がありますし、一瞬だけ高速に動くというのも難しいです。相撲の立ち会いは、この撃力をかなり忠実に再現しようとしています。普通はあんなぶつかり合いはできないので、力の作用時間を伸ばして、相手の運動量を変える力を加えることが有効になります。これが、相手の胴体に作用すると浸透する力、浸透勁ということになります。表面を打つ力ではなくて、胴体に対して急激に運動方向を変えるような力です。イメージとしては、体と内臓が慣性の法則で前に進もうとしているのに、打撃などで急激に止められることで、内臓だけが体の内側でぶつかり合ってしまうので内臓にダメージが生じる感じです。これを感じるには、壁から棒(尖っているのではなくて、拳ぐらいの面積があると突きを感じられます)が突き出たようなところ、もしくは壁そのものに体当たりしてみると感じることができます。体は勢いがついて進もうとしているのに、巨大な物体に衝突して急激に止まる感覚です。その時に胴体への衝撃をどのくらい感じるかというのが、簡易的に浸透勁を感じる方法です。実際には打つ角度や、タイミングなどの技術もあるので、単純ではないのですが、簡易的にはこの感覚が分かりやすいです。

基本に戻って

発力について書きましたが、形意拳で大きな力を発することも含めて、どういう練習方法が良いのかと言うと、まず三体式をじっくり練ることです。長い時間でなくて良いので、形を身体に覚え込ませることが重要です。さらに、慢練と呼ばれる、太極拳のようなゆっくりした動きと、快練と呼ばれる速い動きを繰り返して、動きを身体に覚え込ませます。その落差が形意拳での発力の基礎となります。

強い発勁を打つための秘訣としてもう一つ忘れてはいけないのが、チェック機能としての站椿功です。以前に野球のピッチャーの動きを解析した論文を読んだところ、身体の各部分の加速度を測定すると、足先から指先まで順番に力が伝えられて加速していく、ということが分かったそうです。色々な人を測定すると、良いピッチャーほどその連携がスムーズで、下手なピッチャーは力の連動が腰や肩など途中で途切れていました。そうすると、そこから先は再加速が必要になってしまうため、ボールのスピードは落ちるし、怪我も多くなってしまいます。発勁でも同じです。暗勁のような体全体の力を集中させる動きほど、弱い部分があるとそこから力が逃げてしまいます。なので、站椿功で身体の隅々までチェックして、自分の弱いところを明らかにする、意識することが重要になります。そうすると、その後の慢練や快練でその部分を意識して強化することができるようになります。具体的には、站椿をしていて痛むところに弱いところや、姿勢が歪んでいるところがあります。このチェックを常に繰り返すことは重要です。練習というのは自分の体との対話でもあります。

八卦掌の基本

太極拳、形意拳と来たので、最後に八卦掌を。八卦掌は少し不思議な流派です。そもそも成立がよく分かっていませんし、伝えられている流派による技術体系もバラバラです。これは、あくまでも僕の知識+想像なのですが、創始者と言われている董海川はそれぞれの流派を身に付けた人を弟子に取っていたので、それぞれの伝えた方向性で技術が拡散していったのだと思います。ただし、重要な点が2つあって、1つ目は「左右対称に円周上を動く」ということ、2つ目は「八卦掌としての発力はひねった身体を解放する時の遠心力でしかない」ということです。他の流派で円周上を動く練習をするものは聞いたことがない(形意拳や秘宗拳はジグザグの波型)ので、そういう意味で一種のパラダイムシフトを起こしています。常に相手の死角に回るというのは当たり前ですが重要です。左右対称に練習するというのは、右からでも左からでも使えるので万能です。一般的な中国武術は左右が決まっています。例えば、形意拳の三体式站椿は伝統的には左しかしません。套路も左右が決まっていて、両方するというのはありません。太極拳でも左右両方ある技と、片方しかない技があります。そうすると、八卦掌の左右対称の動きはどのような武術とも合わせられます。普段の練習では偏りがあって、左右差を生みやすいですが、左右対称に動くことで怪我を減らして身体のバランスを整える養生としての価値も高くなります。一方で、発力の方法がシンプル、ある意味原始的な、身体を振り回す力なので、他の流派との併修で発力の方法を取り入れる必要が考えられます。多流派を学んだ人が多かったから、発力はあまり工夫されなかったのかもしれません。もしくは、董海川は宦官で王宮に仕えていたので、去勢していました。男性ホルモンが出ないということは、筋力はつかないので、筋力トレーニングによる発力よりも急所攻撃を好んだのかもしれません。暗器のような小さな武器を持てば全く問題ないのですが、長所もあれば短所もあるということです。

站椿をしない

八卦掌では站椿功を基本的にはしません。これは成立のところであるように、既に他流派を身に付けた人を対象にしていたので、あまり重要視しなかったということも考えられますが、僕としては別の考えを持っています。それは、体操選手が筋トレをしなくても、体操の練習の中で必要な筋力が身につくように、八卦掌は身体を常にひねって使いますし、上下の動きも多いので、套路を練習することがそのまま身体を強くすることにつながるのだと思います。さらに、動き続けることで、心肺機能も高まりますし、同様に身体を強くする効果があります。発力も、ひねった腰を解放することで、上半身を振り回す(回転させる)力を使います。何度も繰り返すことで自然と体幹が鍛えられます。そうすると、站椿のように止まって鍛える必要がありません。武術としても、止まる癖を付けるのではなく、逆に動き続けることで相手を翻弄して、死角から相手の急所を指先で突く、もしくは身体を回転させる力で弾き飛ばすことで十分に相手を倒せます。

走圏を繰り返す

「百練は一走にしかず、走を百練の祖となす」と言われるくらい、走圏(円周を歩く練習)が重要視されていますし、同時にこの歩法が秘伝でもあります。簡単に書くと、第一段階として、撑船篙があります。船と棹の関係のように、後ろ足が棹で、押す力で水面を滑らかに進む船のように前足を進めます。次に、履薄冰(薄氷を踏む)イメージです。一部に体重をかけると割れてしまう氷の上にいるように、集中して左右の足、さらにその足の裏に偏りがないように歩きます。この練習は、前脚にも後脚にも体重を乗せないという矛盾を解決することで、軽やかな歩法を身に付けます。搓麻縄(麻縄をよる)方法は、足の裏と地面の間で縄をよるイメージです。足裏を地面に擦るのではなく、ほんの少し隙間を開けて、でも地面から離しすぎない感覚を身に付けます。4番目が趟泥水(泥中を歩く)です。これが一般的に広まっている趟泥歩です。泥の中の足を前に進めるように、つま先から前に出して、抵抗感を感じながら歩く方法です。イメージを使った下半身の鍛錬の方法でもあります。踢門坎(敷居を蹴破る)というのは、暗腿です。いわゆる隠れた蹴り技です。敷居があって、それをつま先で蹴破るようにイメージしながら歩きます。形はずっと同じですが、意識する場所やイメージが違います。最後が、踩游蛇(蛇を踏みつける)です。これは形意拳にも同様の口訣があって、平起平落で踏み込む時は「毒虫を踏み潰すように」と言われます。一気に踏みつけるということです。先にかかとをついたり、じわじわ踏むと逆にびっくりした蛇に噛まれてしまいます。一発で蛇を踏み殺すように、早く、正確に、力強く歩を進めるためのイメージです。

プラスアルファとして、騰空走(虚空を進む)があり、今までの走圏ができるようになったら、さらに煉瓦の上を歩いてバランス感覚を高めます。最初は広い面を寝かして、横に立てて、最後には縦に立てて行います。負重行(重荷を背負う)というのもあって、走圏のときに両手と両足に荷重をかけるというものです。ぶっちゃけ、この段階まできた後に、こういう筋力トレーニング的なものに意味があるのかは疑問です。だからといって最初の頃にやってしまうと、変な癖がつくのでよくありません。なので、本当に必要なのかどうかは疑問です。方法としては、脚に砂袋を巻いたり、手に鉄輪をはめる、粘土の団子を掴む、手首や指に重りを吊るす、などですがやったことはないです。

効果的な練習方法としてはこの記事を参照ください

というのを2022年のうちに書こうと思っていたのですが、2023年になっちゃいました。明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。


リアル教室の宣伝です。


おわり


冬でも汗はかくので、水分補給は大切です。


頂いたサポートは、とてもモチベーションになっています。新しい記事を作る資料費として、感謝しながら有意義に使わせていただきます。 気功・太極拳を中心とした健康と、読んだ本について書いています。どちらも楽しんでいただけると嬉しいです。 サポートしてくれたあなたに幸せが訪れますように!