今日のnoteは違う意味で「恥ずかしい」
当たり前なことなんだけど、noteって人に見られているんだよな。
今まで、380記事ほどのnoteを出してきた。
ちゃんと文章を書いた時もあれば、3行日記の時もあるし、つぶやきの時もある。
その種類がなんであれ、これまで380回ほど投稿ボタンを押してきた。
そして当然のように人に読まれている。
最初に言っておくが「読むな!」なんて言わないよ。
SNSには「人の投稿を勝手に見るとかおかしくね?」と、よくわからないことを言う人がいる。
SNSとはそういう場所であり、「投稿する」ということは影響力がどれほどのものであっても「世間に見られる」という”覚悟”なのか”前提条件”なのか、とにかく「そういうものだ」と認識した上で投稿しなければいけない。
だから僕がこれまでnoteに投稿してきたものは、僕が「投稿してもいい」と思って投稿してきたものである。
ので、「読むな!」とは言わない。
言わないんだけど「読まれてるんだよな」という”恥ずかしい感情”が、どこかにはある。
わかるだろうか。
投稿するのは恥ずかしくないんだよ。
だけど「このnoteよかったです」と、賞賛してくれるコメントには感謝を持ちつつも「読まれたのか」という”恥ずかしさ”がある。
おそらくこれは「慣れ」の問題だ。
自分の話を聞かれること、ひいてはそれに賛同してもらうことに慣れていない。
先日話した「16タイプ性格診断」の話になるが、僕のタイプであるINTPは「感情表現が苦手」と言われている。
よくわかる。
良く言えば「変人」、もっと褒めるなら「おかしな人」と言われてきた。
ここからもわかる通り「おかしな人」である。
だから基本的に人から賛同を得られることはないので、極力自分の話をしないようにしている。
僕が話し出すと輪が乱れるから。
そんな建前を言いつつ本音のところでは、感情がよくわからないのだ。
「楽しい」と言うことはできる。
ただ「何が楽しいの?」と問われると、すぐには出てこない。
そうやって楽しい時間は過ぎていき、落ち着いたところで「こうこうこういう理由で楽しかった」と、具体的な感情表現が思い付く。
しかし時は経ち、友達とは解散し、気付ば一人でお風呂に入っている。
思い付くのはたいていそういう場所だ(noteのネタもお風呂で思い付くことが多いけど、たいてい忘れる😭)。
何が言いたいのかというと、僕が「表現できる」となった時には表現できる環境が無いので、基本的に「共感される」という出来事が起こらない。
ただnoteという媒体は、いつでも表現ができる環境である。
だから僕は自分のペースで感情や思考を整理でき、それを文章化して表現できる。
そしてそれが人に届く。
結論としては「いつもありがとう」である。
それは「note」という場所を提供してくれるnoteさんもそうだし、読んでくれるあなたにもだ。
ただ、読まれることを「恥ずかしい」と思っている自分もいる。
だけどこの「恥ずかしい」は悪いことじゃない。
慣れようとしている過程である。
愛する人に裸を見られるのも、最初は恥ずかしいものである。
だけど「恥ずかしい」からと言って「拒否している」わけじゃないだろ。
「恥ずかしいけど見て欲しい」
そういう矛盾した感情が人にはある。
となると、僕は愛する人がたくさんいる浮気者ということになるのだろうか。
「他の女のところに行っているんでしょ」という、平安貴族のような、『光る君へ』のような世界観があるのかな。
でも安心してくれ。
僕はあなただけを愛しているよ。
以上!くろだでした。
読んでくれてありがとうございました。
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ではまた👋
【16タイプ性格診断のnote】