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ポストはできないけど人と関わりたい!

「たまにはXを巡回しよう」

何かをするわけでもなく、ただ単に時間があるからXを見てみよう。

そう思ってXを開いたら衝撃を受けた。

noteのフォロワーさん同士がX上で絡んでいるではないか!


最初は「この人とこの人知り合いなんだ」と思っていたが、「あれこの人とも繋がってるの?」とか「あ、よくスキくれる人。この人とも会話してるじゃん」と次々に事態が発覚していく。

みなさん、僕とは絡んでくれないんですか?


そうなんだ。

みんな僕のこと嫌いなんだ。


かまちょ茶番はこれくらいにしておこう。

でも単純に「こういうのいいな」とは思った。

そうやって見ていった方々はnoteを投稿している人達なので、noteで表現をしつつXで親しげにしている様子は、職場でも仲がよく「この後コイツと飲みに行くんですよ!」といった感じの”公私共に仲がいい”に近い。

僕はそれを傍から見ていて、「あ、そうなんだ。いってらっしゃい」と見送っている感じ。

さみしいのかな?

それはあまり感じないけど、「いいな~」という”羨ましさ”は感じる。

誰かXで絡みません?


こうやって人に丸投げしているからいけないのである。

「人は変えられない。自分は自分しか変えられない」という言葉のように、自分で投稿するなり、リプを送りに行ったりすればいいのである。

ただ、僕にも経験値はある。

高校生という現在では「遅い」と言われる年代にスマホを与えられ、「Twitter」という青い鳥がアイコンだった時から使ってきたSNS。

僕はツイート、ポストが苦手である。

「つぶやき」ができないのだ。

つぶやき程度の小言をSNSに投稿する労力がかけられない。

書くなら字数制限マックスまで、なんならリプに繋げてオチを付けるまで書き続けたい。

ただ、そんな投稿は1日1個、最大で2個が限界である。

「ツイ廃」と言われるような、1行1単語をポンポン投稿していくことがずっとできていない。

Xってそういう「つぶやき」から会話が発生するでしょ?

頑張った時期もあったよ。

例えば星野源さんのファン、通称「源クラ」と呼ばれる界隈で源さんについて投稿することをやっていたこともある。

けどそう長くは続かんのよね。

「書くことがない」のではない。

「これ別に書かなくてよくね?」が増えるのである。

インスタだってそう。

ストーリーなんて滅多に更新しない。

これができている人達は、現代に対応した最新ver.の人類なのだろう。

そしてそのアプデに僕のOSは対応していない。

それどころか「古いから買い換えるか」もできないのである。

なので「ポストをする」という選択肢は消える。

残るはリプだな。

ということなので突然僕がリプに現れるかもしれない。

その時はよろしく。


なんか嬉しいな。

「人と関わりたい」という人間らしい欲求を、僕も持っているんだな。

叶えてあげよう。

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