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eriko_fukaki
ふと出逢ったひと〜本のひととき〜
「 船出」辻征夫
新聞のコラム欄で見かけた一節が心に残った。昭和初期に生まれ、高度成長期に活躍した詩人。江戸っ子でもあるらしい。辻征夫という名前をはじめて知った。
新聞に載っていたのは、このフレーズだろうか。(グレー部分は引用)
こころぼそいときは/こころがとおく/うすくたなびいていて/びふうにも/みだれて/きえて/しまいそうになっている(かぜのひきかた)
「病は気から」との言葉がある。
病で気が弱るのか、はたまた心が弱るから病になるのか。無関係とは言い切れない。
体と心はリンクしている。
強がって見栄を張ったら(あるいはあらがう元気もなく)りっぱに風邪をひいてしまった、というオチ。
我が子なのか、小さな子どもに宛てたような作品も多い。
泣き止まぬ赤子をなだめつつ、途方に暮れている「子守唄の成立」。
互いにずる休みをした父子を描いた「 学校」。
あたりまえじゃないか/ひとの内部ってのは やわらかい 壊れやすい 暗闇だから/無闇にずかずか踏み込んではいけない/それが礼儀なんだよ
車窓を眺めながら、大人の自分が少年の自分に語りかける「電車と霙の雑木林」。
ここに来るまで/およそ四十年かかるというこは/気のとおくなるはなしです/いくつかの都市と/学校と/いくつかのこころの地獄を/なんとか通過して来るのですが
犬の描写がかわいい「 夜道」。
夜道で/犬と会った/「こんばんは」「 わんわんわ」 亡くした子犬を/さがしていて/ぼくが その子じゃないかと/たしかめているのかな
少しの哀しみがにじんでいる。
たとえいなかはどこでも/ミミコはミミコ/ぼくはぼく/それでじゅうぶん/この世界はなりたっている
存在しているだけですばらしい。相手を認めて勇気づける「桃の花」。
エールのような詩のさいごに、
もうだいじょうぶだよ/なぜだかぼくにもわからないけれど/きみはだいじょうぶだとぼくは思うんだ/でも 泣きたいときにはたくさん泣くといい/涙がたりなかったらお水を飲んで/泣きやむまで 泣くといい
「 見知らぬ子へ」はやさしく心に触れる。
泣くのは悪いことじゃない。弱さではない。
いいのだ、泣いても。
自分の心をリセットするために、泣きたいときにはうんと泣いてしまおう。
そう思ったのだ。