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金融緩和と政治家の歴史的評価

江戸時代の代表的な悪徳政治家といえば、徳川綱吉と田沼意次が挙げられるだろう。実は二人には共通点がある。それは、二人とも金融緩和政策を実行した点だ。

今なら金融緩和は日銀の役割である。政府が発行した国債を買い入れるなどして、お札を大量に市中に出すことによって行われる。これにより世の中にお金が豊富に出回り景気がよくなる。なお日銀がお金を調達するのは、どこかから集めるのではなく、造幣局でお札を印刷することによる。

江戸時代には日銀はないが、金融緩和の基本的な考え方は同じだ。綱吉も意次も、大判小判などに含まれる金や銀の量を少なくし、その分多くの貨幣を発行した。なお綱吉の場合には荻原重秀という優秀な経済ブレーンによってなされた。

しかし、江戸時代の貨幣づくりは機械で大量生産などできるわけではなく、人手によるものだったから人件費はその分かかっただろう。幕府から放出された金銀はそのまま幕府の支出となる。現代のように完全に政府の信用によって価値が担保される紙切れではない。財政的には赤字が膨らむのである。

だがそうした金融緩和策で、確実に世の中は豊かになった。その証拠は文化の興隆だ。綱吉の時代は元禄文化が花開き、田沼意次の時代は化政文化の前半と重なる。幕府の財政は悪化したが、民は確実に豊かになったのである。

だが、幕府内部では、あまり快く思わない勢力も強かった。民が豊かになったのだから政策の成果と誇っていいはずのなのだが、いかんせん幕府としては財政悪化する方向の政策だったから、抵抗勢力も多かったのだ。

綱吉の生類憐みの令は、これによって江戸の治安が劇的に改善したなど、今では前向きに評価されることも増えてきた。意次は賄賂政治家として有名だが、その後の時代の水野忠邦の方が賄賂の額が大きかったなど、従来とは異なる見解も示されている。

つまり、今の視点では必ずしも悪徳とは言い切れない面が多々あるのだが、功績は無視もしくは軽視され、負の側面のみが強調されて歴史に残ることとなった。

現代でも、
・綱吉=犬公方
・意次=賄賂
というイメージは強いだろうが、
・綱吉=元禄文化
・意次=化政文化(宝暦天明文化)

がつながる人は、少ないのではないか。

安倍政権のアベノミクス3本の矢のうち、第一の矢である金融緩和は、少なくとも一定の成果を上げた。コロナ前には失業率は歴史的な低さであった。またコロナ期においても、70兆円を超える赤字国債発行(日銀引き受けによる金融緩和)により欧米諸国と比較して失業者の上昇は最小限に留めたといえる。

しかし、一部の勢力は安倍政権を森友・加計学園や桜を見る会などで徹底的に攻撃した。どちらも、とても疑惑とは言えないような”マスコミ疑惑”である。

これらの”疑惑追及”は、綱吉にとっての生類憐みの令批判、意次にとっての賄賂批判と同じだったのではないかと思っている。


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