いい朝礼暮改、悪い朝令暮改
岸田政権の朝令暮改が続いている。
「令和の所得倍増」なんてのも言わなくなってしまったし、コロナ対策でも、一時期は日本人の帰国も不許可だったものが批判が上がるとOKにしたり、入試も濃厚接触者は別日対応と言っててこれも批判があると同日別会場って言ってみたり、最近では佐渡金山の世界遺産推薦もそうだ。地元で積み上げてきたものを韓国に言われたから止めにして、国内で批判があると一転して推薦したりする。
現場の官僚が独断でやったってことになってる件もあるのだが、官僚が自分の責任でやることではないし、実際、官邸には上げているという内部リークも散見される。
がしかし、結果的には良い方の結論になっていることもあるし、今の時代、一度決めたことに拘っていつまでも変えられない方が問題という指摘もある。朝令暮改でいいじゃないか、という論である。
それはそうなのだが、しかし岸田政権には釈然としないことが多い。
このモヤモヤを考えていたのだが、どうも朝令暮改にも、いい朝令暮改と悪い朝令暮改があるのではないか。私が考えるに、こんなイメージである。
いい朝令暮改とは、少なくとも目的がはっきりしている場合だ。どっちに向かっているか、どうしたいかが分かるのであれば、手段が多少変わってもついては行ける。一定の納得感もある。前の手段でうまくいかず、よりよい手段があるなら、変えることも致し方ない。
が、目的が良く分からず、基本的な方向が変わってしまうような朝令暮改はいただけない。何をどうしたいのかが見えないままで方向転換されると徒労感ばかりが漂ってしまう。
例えばラーメン屋さんを作るとして、「赤い看板がいい」と思って作ってたが、やぱり「黄色い看板の方がいいかも」と思い直すのは、いい朝令暮改だろう。見た目にも美味しそうなラーメン屋さんを作るのが目的だというのは分かる。赤と黄色とどちらがいいか、議論することもできる。
しかし、ラーメン屋さんの看板を作ろうとしてて「やっぱりマッサージ店にしよう」などと言われたら、たまったものではない。いったいどうしたいのか、はっきりして欲しい。
こうしてみると、目的を設定するのがリーダーの最大の仕事だということが良く分かる。岸田政権は、目的がはっきりしないのが最大の問題点なのだろう。