個性と多様性の終点。
個性や多様性っていうのは便利だ。
人とは違う価値観や行動なんかもこの言葉を使うだけで、簡単に正当化出来る。
個性や多様性、この言葉に救われた人は決して少なくはないだろう。
だけど、個性や多様性という言葉を巧みに操り、人と違う価値観や行動を認めさせた上でそれを免罪符に横暴に振る舞う輩も増えてきたと思う。
個性って弱味やコンプレックスだと感じていたものを、発想の転換で自分だけの強みに変えるっていう自分と向き合った先にあるものだと思っている。
多様性も、自分の考えや価値観とは相容れないかもしれないけど、それを受け止められる器のデカさとか思考の柔軟さが生んだ考え方だろう。
言葉の本質的にはカッコいい言葉、人を助ける言葉だったはず。
だけど、今は自分のワガママや怠慢を押し通す為の手段でしかない。
それならいっそのこと、多様性だ個性だなんて言葉は使われない方が良いのかもしれない。
どんどん弱くなっていくだけだもの。