【和歌】大切な人/愛ならば
知らぬ間に
人は季節を
重ねてく
気付けばそばに
大切な人
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今日は昔の和歌をご紹介しまーす☆
大切な人という言葉に触れて、思い浮かぶ人はどれくらいいるでしょう。
日々の生活の中で当たり前に幾度の出会いや別れを繰り返していく中、ずっと一緒にいて安らぐ人とか楽しい人とか飽きない人とか護りたい人とか一緒にいるのが当たり前な人とかたくさん出てくると思います。
肩書きなんて関係はありません。
大切だと自分が思ったら、その人は間違いなく大切な人です。自分の日々の生活の中で、掛け替えのない存在です。
だからこそ、お互いに価値観や考えのすれ違いでぶつかることもあるかもしれません。
それでも、互いに話し合い、受け入れ、許し合うことで、また更に絆は深くなっていき、より大切な人になっていきます。
その人が喜べば、こっちも嬉しいとか。
その人が悲しめば、こっちも悲しいとか。
その人が幸せなら、こったも幸せとか。
単純に見えて、実は複雑なことだったり。
無条件で慈しむことができたなら、もう大切な人になっていると思います。
もはや愛そのものではないでしょうか。
愛ならば↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
心から
それを愛だと
呼ぶのなら
ただ愛として
受け止めるだけ
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色んな愛のカタチがあるなぁと本当に思わされるときがあります。
そして、いつもいつも愛は本当に美しいと思います。
特別な感情を超越するというか、唯一無二の感情というか、不純がない純粋な相手を慈しみ思いやる心がとにかく美しすぎて心が光で満たされる感覚です。
ただ、時として愛を履き違えていたり、愛の暴走ともとれることもしばしば…。
そりゃ難しいですよね。定義すら曖昧なのもですから、判断も曖昧になって当然です。
長い年月を経て、相手に届く愛もあるくらいですし。
その時には愛だと気付けないものも中にはあります。
決して愛とは呼べないものだってありますが、基準が曖昧な分それを愛だと思い込み間違ったことをしてしまう場合もあるくらいです。
本当に突き詰めていくと難しい概念だなって思います。
ただ明らかな勘違いも多くあると思います。
例えば、自分と一緒にいたら不幸せになるとかよくわからない理由を置いて突然消えたり、次の日から避けたりするのは本当に反則だと思います。
そうなるって何でお前がわかるの?って思うからです。不幸せかどうかはこっちが決めることだよねって、問い詰めたくなります。笑
気遣ってくれているのか、ただ単に離れたいだけなのか意図がわからないと余計混乱します。後者なら全然問題ないんです。
でも、こちらを思ってのことでやむを得ず選択した結果の場合は、違ってきます。
本気でちょ!!待てよ!!ってなると思うんです。
他にもたくさん似たようなことはあります。
一緒にいても楽しくないでしょ?とか、こんな話してもつまらないでしょ?とか。
過去他の人でそんな感じだったかとか知りませんが、だからってそいつと同じだと思うなよって話です。
楽しくないかつまらないかはこっちが決めることなので、せめて反応とかリアクションとかでちゃんと判断して欲しいですよね。
昨日今日会ったやつとかうわべだけの付き合いとかならまだしも、それなりにお互いを知っているくらいの関係なら尚更です。
気持ちを隠した時点で、対等な関係は成立しないと思思います。つまらなかったらつまらないとか、楽しくなかったら楽しくないってちゃんと何かしら伝えるはずです。
相手を思いやるが故どうしたらいいかわからなくなってしまうなんてことも派生してくるものなんでしょう。
確かなこととして、思いやるということは相手と向き合っているという事実があることを前提としたものであることだと思うのです。
向き合いもせずに相手の気持ちを知ったつもりでする思いやりは間違った判断をしてしまいやすいと思います。
と、まぁある意味僕が愛について暴走するというカタチとなりました。笑
愛とは美しく時に面倒で残酷にもなり得る、脆い宝石のようだ。
そんな迷言を残し、結びとさせて頂きます。笑
最後まで読んで頂き、ありがとうございました(*^^*)