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キリスト教思想の形成者たち 序

わたしは、かなり長い時間を費やして、一冊の本を「note」に要点をまとめながら読もうとしている。ハンス・キュングの本は、現在、邦訳されているものを増えつつあるが、その中で、この1冊を選んだ理由は「個人的」なものだが…それは追々、書くことにしよう…今、わたしが手元にしている本の邦題は『キリスト教思想の形成者たち』である。

わたしだけかもしれないが、新しく本を読むときは、その本を手にして、まずは目次に目を通したあとに、巻末にある「解説文」や「訳者あとがき」または「参考文献」に目を通す。次に「序文」「はじめに」といった巻頭に来る短い文章に目を通して、続いて「エピローグ」「あとがき」といった巻末にある文章を読んでしまう。そうやって、1冊の本、その全体的なイメージを、ある程度、事前に持ちながら、全部を通読すべきなのか、もしくは目次を参照して、部分的に必要箇所だけを拾い読みすれば事足りる本なのかの判断をしてゆく。
でも、今回は、この本の全体像、その紹介も兼ねるので、全てを「note」にて要約してゆく予定…わたしの根気と読解力の許すかぎりにおいて、である。

今回は、本書にて「」と書かれた巻頭部分に、まずは目を落してみたい。こんな文章が見つかる。

序‐神学への小さな入門書

この小さな書物が読者に提供しているのは、多少毛色の変わった、しかし望むらくは比較的やさしいキリスト教神学への入門書である。つまりそこでは、神学がなにをめぐって営まれ、いかにして行われるかが語られるのである。神学への入門書は数多い。ほとんどの場合それらは、主題を中心にして抽象的な方法原理や注釈原理を応用して営まれている。わたしはこの書物で、わたしも楽しみつつ別の道をとろうと思う。その道とは実践された神学であり、人生の企図の中にある神学である。すなわち、キリスト教史のパラダイム的人間像を鏡とした神学、つまりそれぞれの時代全体を代表する偉大なキリスト教思想家を鏡として浮かび上がらせる神学である。

『キリスト教思想の形成者たち』より引用

ここでいきなり「パラダイム」なる言葉が出てきたので、一応のこと、Wikiのリンクを、以下に貼っておきます。

あと、自分で忘れないうちに書いておきますが、今回、紹介している『キリスト教思想の形成者たち』は「キリスト教神学への入門書」として書かれておりますが、もう一歩、先に進みたい方は、同じ、ハンス・キュングの邦訳本で『キリスト教』という1冊があります。こちらは「入門書」ではありませんので満足がゆくかもしれません。下に、Amazonのリンクを貼っておきます。

話をもとに戻しますが、さきほど引用した序文のなかに「それぞれの時代全体を代表する偉大なキリスト教思想家」という言葉が出てきましたが、では、その「偉大さ」とは、どのような尺度なのか?これにも、キュングは「序」のなかで応えています。

いやしくもキリスト教神学者たるものの偉大さは、唯一、ただ彼の仕事を通じてキリスト教的使信つまり聖書が、照明の中に置かれているかどうか、すなわち神の言葉そのものになっているかどうかによって、測られるものである。神学者というものは、ロゴスの第一の奉仕者、御言葉の奉仕者であるべきである。彼自身の理念ではなく、神の言葉こそ、彼の時代の人々のために伝達されるべきなのである。倦むことなく問いかけ、また研究することによって、神学者たちは、神の事柄を新しく理解しなければならない。そしてそのつどの時代精神に気に入られようと気に入られまいと。

『キリスト教思想の形成者たち』より引用

偉大なキリスト教思想家とは、その「偉大さ」とは、彼自身の理念ではなく、神の言葉が、彼の時代の人々のために伝達されているかどうか?にかかっていると、キュングは語っている。
「序」の文章は続く。

それゆえに、これからお目にかける七つの簡単な肖像画において重視されなければならないことは、或る二重の事柄、すなわち叙述と批判の両方である。しかもそれはとりわけ、これらの偉大な思想家の今日まで続いている影響史を顧慮しつつなされるのである。彼らは自分の仕事によって、世界をただ単に様々に解釈したのではなく、世界を変えた。彼らは(最初の一人を除けば)残らず、ちょっとした図書室級の書物を著作した人物であり、そして(一人の例外もなく)彼らについて図書館級の書物が著作されたところの人物である。その彼らを、わずかばかりの頁で、その生涯を背景にしつつ彼らの基本的な思想を含めて表現するということ、しかもそれと同時に彼らを批判的に評価するということは、簡単なことではないだろう。神学史の専門家ならば-私は彼らに多くを負っているのだが-このことを理解してくれるだろう。このような企ての書物の中で、全ての事柄や個々の事柄に言及することは不可能である。視野の広がりは、これらの偉大な人間像自身にとって中心的であった事柄と結び合さなければならないのである。私のこの小さな書物は、彼らの著作を読むことの代用にはならないし、そうであってはならない。むしろ、その逆である。もしこの書物が、読者をこれらの偉大な人々自身の世界と著作に飛び込んでいくことへと誘うことができるなら、それこそが、この書物の最高の成果だろう。

『キリスト教思想の形成者たち』より引用

上記、「もしこの書物が、読者をこれらの偉大な人々自身の世界と著作に飛び込んでいくことへ誘うことができるなら、それこそが、この書物の最高の成果だろう」という下りは、まさしく自分に当てはまります。
わたしは、この1冊から、最終的には「アウグスティヌス著作集」を買い求める動機となりましたので…。

2,000文字を超えました。長文となりました。

次回は「訳者あとがき」に目を通して、著者である、ハンス・キュング氏について、知っていこうと思います。

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