くり坊
由木康訳の『パンセ』(パスカル著)を読んだ、読書日記です。
自分はクリスチャン(キリスト教徒)で、中野区にある「シオンの群教会」の教会員です。単立の、プロテスタントの教会になります。2021年までは、10年間、カトリック信徒でした。エキュメニカル(超教派)な視野でキリスト教の信仰を生きられたら...と願っています。
「自己紹介」を書いたのですが、入れておく「マガジン」がなかったので、作りました。「仕事依頼」や「固定プロフィール」も、こちらに格納しておきます。
地元図書館にて貸し出した本についての読書感想文を主にまとめています。
告白録(キリスト教古典叢書、アウグスティヌス著、宮谷宣史訳、教文館)を1章づつ読んで、読書感想を書いていきます。
この「note」は、自分にとっては、さまざまなことを「書き記し」たくなる誘惑の箱です。 「note」では「マガジン」が「20個」までしか作れない…という機能的制約を、つい昨日に気が付いて、目下、過去記事を整理している最中なのですが…わたしの主軸、その趣味は「読書」なので、以下の3つは、それほどブレずに継続できるかな?と思っています。 ・図書館で貸出した本の読書メモ ・地元読書会にて発表した本に関する「覚え書き」 もともと「読書メーター」というアプリをやりながら… そ
わたしたちは次の1冊に従って文章を読み進めています。 由木康訳であったので、白泉社の1冊を選びました。 以下、本文の引用に入ります。 パスカルの『パンセ』、初版の正式題名の和訳は『宗教および他のいくつかの問題に関するパスカル氏の諸考察 — 氏の死後にその書類中より発見されたるもの』。初版であるポール・ロワイヤル版は1669に印刷され、1670に発刊された。なので、この『パンセ』に含まれる時計に関する考察は、生前のパスカルが書き残したものだから、1669年よりも前…に記さ
岩手旅行、東京へ帰る新幹線に乗るまでの限られた待ち時間、駅ビル内にある「さわや書店」に足を運びました...。 さすが「岩手県」にある本屋さんだけあって「宮沢賢治」のコーナー、充実ぶりが、すごかったです! あとは、この新刊本屋さん、本を売ろう!という努力…頑張ってます。 「ワゴン売り」をしている本屋さんを見たのは初めてかもしれません。 あとは新刊本屋さんと云えば「面陳」の本たち…その贅沢なスペースの使い方でしょうか…小さな本屋さんでは、これはできません...。 私は何と
わたしが義父にメールを書いたのは8月下旬のことでした…。 そして歳月は流れて、今回は、わたくしの所属する教会である「シオンの群教会」の主任牧師、吉川直美師も、東京から、東北の地までご一緒頂けるという「ご好意」を賜り、その日程は、義母の誕生日、その前日である「10月30日」と決まりました。 そして、10月30日、当日、義父と、義母は、吉川牧師と初対面となりました。とても和やかな雰囲気の中で時が流れたのは、義父と、吉川牧師との、ともに義母を「想う」気持ちが一致した、同じ志(こ
東京は四ツ谷にカトリック麹町(聖イグナチオ)教会があり、その本堂の地下がクリプタ(納骨堂)になっており、そこへ「死者の月」には、お世話になったイエズス会士の方々へ、魂の平安を祈るため、墓参りに行くのが、わたしの、毎年の行事になっております。 もと、こちらが所属教会であったので、懐かしの場所です。 これに加えて、今年は、2021年に帰天(※プロテスタントの「召天」のこと)された、故イシドロ・リバスS.J(イエズス会士)のことを、この「死者の月」を契機として知ってもらおうと、
わたしは「双極症」という精神疾患を抱える「障がい者」です。 「双極症」とは、気分の波があって、気分が落ち込んだり、高揚したり、下がったり、上がったりを定期的に繰り返す…その度ごとに、社会的にも、実人生においても、影響を、周囲も巻き込みながら人生をこれまでは歩んできたので、10年前から、精神科に通院して薬物療法を受けるようになり、だいぶ安定はしてきたものの、それでも「波」のある自分の気性に打ち負かされながら…最近は、そういった自分をホームページにして、ブログを書いてみたりして
たった今、図書館で借りてきた岩波新書『アルベール・カミュ‐生きることへの愛‐』を手に取って、読み始めようとしていたところです。 この本を読む「きっかけ」は、わたしの20代前半に、このカミュに「はまって」「のめり込んで」いた時期があり…あれから30年以上が経って、わたしにとっての精神的な景色も変わったので、改めて、自分のなかでカミュの「位置付け」を確認しようと思い付いて、図書館の新しく入荷した本のコーナーに、この1冊があったので、表紙とタイトルだけで、本を開くことなく、自宅ま
この「ハシディズム」なる言葉を、わたしはマルティン・ブーバーの著作集によって、はじめて知りました。 次に「ハシディズム」に関する入門書を探したのですが、あいにく手島佑郎の『ユダヤ教の霊性‐ハシディズムのこころ』しか見当たらなかったものですから、まずは、そちらから読み始めてみるつもりでおります。 上記『ユダヤ教の霊性:ハシディズムのこころ』の「はじめに」という箇所から、少し文章を引用してみましょう。ハシディズムとは何か?が、今、こちらの文章を読んで頂いている方々にも理解して
本書の巻末には「年表」があり、アウグスティヌスの人生(354-430)までの、かなり細かく記述された内容のものが見つかりました。 本書『告白録』(キリスト教古典叢書、教文館、宮谷宣史訳)は、2012年2月29日が初版発行であり、訳者の宮谷氏は2015年10月15日に79歳で逝去していらっしゃるので、この本が世に出た頃には、訳者は晩年だったということになります。 それを思うと、細かく、アウグスティヌスの出来事を追った年表を配した理由が、読者の益になるため...というよりも、
わたしは、現在、滝澤武人著『マルコの世界‐イエス主義の源流』の読書記録を取りながら、マガジンにまとめています。 この『マルコの世界』という本… その本を書いた同じ著者が講談社現代新書で『人間イエス』という1冊も書いており… こちらはまだ未読で、Amazonでも「中古」にて安価なので、どこぞやで「中古本」を購入して読んでみようと思っている矢先、「メルカリ」にて見つけましたので、早速、購入してみました。 これから読もうとする前に、どのような評判なのか?を知ろうと思い、第三
「日本の古本屋」というサイトにて「アウグスティヌス」とキーワード検索をして、毎月、少しづつですが、アウグスティヌス関連の「掘り出し物」の本を探しては、買い求めております。 今回は『アウグスティヌス 生涯と業績』の「箱欠」「書き込み」「ライン引きあり」というコンディションで「読めればいい方向け」という1冊にて、掘り出し物が見つかりましたので購入致しました。 以下、実際の手元に届いた著作から写真を撮りました...。 ここまで個人情報に溢れている…そのうえで「ライン引き」が鉛
まず「井筒俊彦」という言語学者、日本の誇る、その碩学を紹介するに、慶應義塾大学出版会が入門者向けにサイトを構築しているので、そちらのリンクを貼っておきます。 その「井筒俊彦」氏について調べていた時のことです。井筒氏が、生前に、最後に対談した相手が、あの司馬遼太郎だと云うのです。 その対談は、タイトルが『二十世紀の闇と光』にて、あちこちの出版社、ハードカバーから文庫本まで、収録されておりますので、わたしは、こちらをダウンロードできるように、以下、用意しておきます。 この司馬
昨年11月末に「入籍」を致しまして、その時、義父に『何か欲しいものがあったら、何でも買ってやるから、遠慮なく、言ってみたまえ!』と申し出があり、これを素直に受け取って、わたしは『アウグスティヌス著作集』を所望しました。こちらはホームページを作り、現状報告させて頂きました。 こうして、ひとり、アウグスティヌスの著作を読み進める日々を重ねるうちに、わたしは「仲間」が欲しくなり、来年8月末(8月28日)を目標にして、「オンライン読書会」のメンバーを募る活動をしてみることに致しまし
新しく「マガジン」も作りまして… 本格的に始動できるのは「いつ頃」からなのか?は現在進行形で「不明」なのですが、おそらく「来年」からなので、タイトルを「今年のまとめ」にしておきました。 つい先日、「まぐまぐ」にて「メルマガ登録」も済ませましたので、将来的には、こちら「note」に記事を書いて、そちらをリンク先にして「メルマガ」の記事にしたいと思っています。 ※「まぐまぐ」とは、こちらのことです… さて…今年のまとめ…書きたいと思います。 今年は〈小岩井農場からの眺め~
※カバー画像は「フランス国立図書館」から… 『アウグスティヌス著作集』(全32冊、別巻2 教文館)を用いて、その邦訳された著作を用いて、こちらの「note」にて読書記録を作成してゆく予定でおりますが、それは『著作集』であり『全集』ではない…という点に、あらかじめ留意しておく必要があろうと思いまして、今回は文章を書いています。 『著作集』とは、全著作のなかから、主要な作品を選んで、これを邦訳する訳業を指します。これが『全集』となれば、そこには全作品が含まれます。 わたしが
写真は「都民の森」から眺めた「富士山」です。 母が、東京は西の端、秋川渓谷のほとりに「23区内」から転居してきたのは72歳のときで、2024年10月に誕生日を迎え、今年で82歳になりました。 その母の足腰が弱っていないか?の目安として、JR五日市線の武蔵五日市駅からバスで1時間ほど行った場所にある「都民の森」、「セラピーロード」を歩いて「三頭大滝」まで行って、無事に、武蔵五日市駅前まで戻ってこれるか?を、その「jハイキング」に行って帰って来れるか?を、目安にしています。