見出し画像

『幸福な死』

たった今、図書館で借りてきた岩波新書『アルベール・カミュ‐生きることへの愛‐』を手に取って、読み始めようとしていたところです。

岩波新書の表紙から…

この本を読む「きっかけ」は、わたしの20代前半に、このカミュに「はまって」「のめり込んで」いた時期があり…あれから30年以上が経って、わたしにとっての精神的な景色も変わったので、改めて、自分のなかでカミュの「位置付け」を確認しようと思い付いて、図書館の新しく入荷した本のコーナーに、この1冊があったので、表紙とタイトルだけで、本を開くことなく、自宅まで連れてきてしまった…そんな次第です。

本書を、後ろから「走り読み」をして、『全体主義の起源』を書いたハンナ・アーレントが『わたしは、あなたの『反抗的人間』が大好きです』と、カミュ宛てに手紙を書いていた逸話などが書かれていて、そこは通底しているのだな…などと腑に落ちたり、そんなこんな前の方のページへ近づくにつれて、次の文章に辿り着いて、わたしのページをめくる手と、思考の断片が、ふと止まった。

『幸福な死』を殺人の場面で始めたカミュは、その後も不条理の系列の作品群において…中略…メルソー、ムルソー、カリギュラ、マルタ、これらの殺人者たちは、病死、処刑、暗殺、自死とその形態はさまざまであるが、全員が物語の終わりにおいて死を迎える。ただ前二者の殺人者が潔白を保ったまま死を迎えるのに対して、あとの二人は罪深い殺人者として死んでいくのである。

『アルベール・カミュ』(三野博司著、岩波新書)第2章 不条理の時代 87ページより引用

わたしは、ここで、マルタという人物を知らないことを、『幸福な死』という作品が未読な自分に気が付いたのでした。

さっそく「Google」にて検索をして『幸福な死』について書かれた小論文を3つばかり見つけました。

あとは、次回に、図書館に行ったときに、カミュの『幸福な死』を貸し出せば、一件落着です。

人生の「忘れ物」、読書、その1冊を、危うく「逃す」ところでした。

無事、見つかって、よかったです。

めでたし、めでたし...。

サポートして頂いた金額は、その全額を「障がい者」支援の活動に充当させて頂きます。活動やってます。 https://circlecolumba.mystrikingly.com/