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坂の街の祭禮:越中八尾曳山祭

こんにちは

GW、いかがお過ごしでしょうか。

ボクは連休を利用して富山県に行ってきたのですが、5月5日に石川県の能登半島で地震が発生しました。
その時には帰路の途中で北陸から離れていまして、自分には影響はないものの、被害が出た地域、また被害に遭われた方もいらっしゃいます。

被害が最小限に治まることを願うばかりです、、

すみません、急に。

地震が発生する数時間前まで居た北陸地方での地震でしたし、他人事に思えなくて。
その都度ニュースを確認しながら帰ってきた、という感じです。

改めて、自然災害が多い日本、ということを認識させられる出来事だと思います。

▼追記:被災地支援のクラウドファンディングが立ち上がっています。
少しだけですが、支援させていただきました。

※現在は終了しました。



では、本題に入りますね。

今回の旅で訪ねた内の一つ。
富山市八尾町で開催された越中八尾曳山祭を見学させていただきました。

日本各地で祭礼行事があります。

地域の安寧や五穀豊穣など、それぞれ対象になる物事はあるものの儀式として、また祭り囃子に心躍るのもお祭り。
地域それぞれの形式がありますが、人の想い(祈念、祈願、祈り、願い)をのせ、形に残してきた文化がお祭りという見方もできるかと思います。

そんなお話をしてまいります。
お付き合いいただけたら嬉しいです。

それではよろしくお願いします。


■そこは坂の街


今回ボクが訪ねたのは毎年5月3日に開催される「越中八尾曳山祭」です。

そこは坂の街と言われる富山市八尾町。
おわら風の盆、と言えば地域の名前を聞いたことがある方もいらっしゃるかと思います。

江戸時代、八尾町は飛騨地方や富山城下などを結ぶ街道の重要な中継地として経済的な発展を遂げていて、さらに蚕糸、和紙、薬草など多くの物資が集まる、市場町、としても発展。

「富山藩の御納戸(おなんど)」との異名があったと言われています。
(※富山藩にとって大事な場所)


1986年には「八尾町道諏訪町本通り」が日本の道100選に選定され、通りに並ぶ家々から当時の名残を感じられる格子のまち並みが形成されています。

石畳みの坂道に沿って伝統的な建築が連なっている風景はとてもキレイです。
ボクが訪れた日のまち並みは、祭りの装いに変化していましてきっと普段とはまた違う姿を見れたんじゃないかな、そんな風に思います。

この辺りのお話は建具的な視点でまた別の機会でnoteに綴りたいと考えています。
▼こちらになります。※追記

では続けますね。

祭り囃子の音を聞くと心が踊ります。
お祭りは子供の頃から慣れ親しんでいたこともあり、いつもと違うぞ、というのを直感的にわかるのかもしれません。

そう、ハレの日、です。


■越中八尾曳山祭と町民文化

まずは、簡単に越中八尾曳山祭ついて

かつて、富山藩の御納戸として栄華を極めた八尾町。八尾商人の財力の象徴として、また町民文化の集大成として、八尾曳山は今も伝承されています。

八尾曳山の起源は、寛保元年(1741年)に八尾八幡社の例祭が行われた際、上新町が花山を作りその上に、富山藩より拝領した在原業平(ありわらのなりひら)の人形(ひとがた)を飾って曳き廻したのが起源と言われています。その後、東町・西町・今町・諏訪町・下新町が曳山を作り、それぞれが財力を競いあうようにして豪華な曳山になっていきました。

越中八尾観光協会ホームページより抜粋

越中八尾観光協会の抜粋させていただきましたが、曳山も和紙、彫金、漆、彫刻、富山の技術が集結した豪華な造りとなっています。
そうした一つ一つの装飾からも、当時の町や人の繁栄ぶりが窺えますし、町民文化と言われる所以を知ります。

(※「八尾町祭礼曳山」は富山県有形民俗文化財に指定されています。)

夜には提灯山に姿を変えるための提灯。
いつか見てみたい

ケヤキで作られた車輪が回るたびに聞こえる、ギィ・ギィ、ときしむ音
通りの角を回る(角廻し)時の威勢の良い掛け声
曳山の中から聞こえる祭り囃子の音色。

そうした音が、また通りの家々に張られた幕や提灯によって町がお祭り空間に包まれます。

非日常(ハレ)、とはこういうことなのかなと思える時間を味わえます

▼Instagramに動画アップしました。
ちょっとだけでも雰囲気が伝わったらと思います。


■想いの受け皿

各地域それぞれの祭礼の形があります。
共通しているのは、一年を通じて、地域が穏やかに、あるいは田畑や漁が豊作(豊漁)になることを神社を通じて神様(自然)に祈願していること。

これはボクの勝手な見解ですが、儀式としての神事(大きな括り)とは別に、個人の祈りや想いに寄り添ってくれる、拠り所、あるいは受け皿になってくれるのも祭礼なのかなと感じています。

地域とお祭り、人と祈り、そのような関係性の背景には、大いなる自然の力、に対して向き合ってきた、歩み(歴史)、でもあると思っています。

能登半島の地震と関連付けるつもりはなかったのですが、今回の出来事が自分の中で祭礼との結びつきを改めて考えることになった気がします。

最後はお堅い話になってしまいましたが、今回はこの辺りで失礼します。

ここまでご覧くださりありがとうございました。

それではまた。


▼記事内以外で参考にさせていただいたサイト

▼おわら風の盆


▼よろしければご覧ください。


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倉嶋 洋介
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