目の前の現実は頑張らないことを肯定してはくれない
不思議に思ったことがある。
この頃、頑張りすぎて会社に行けずズル休みをしてしまった人に対して、SNSでは "それで正解だよ休んで良いんだよ休むべき" なんて温かい意見を目にする。
良い世の中になったなと思う。
私も自分をそう肯定できなかったとしても、私以外の誰かが同じ状況に立っていた時、同じ言葉をかける。
良い世の中になったなと思う。
それなのに、良い世の中になった気がしていただけだった。
目の前の現実にぶち当たった時、休んだ時、同僚は心からそんな言葉をかけてくれるだろうか?思ってくれるだろうか?
そんなことは無かった。
"あいつが休んだせいで自分の負担が増えた"
"早く来てもらわないと困る"
"どうせズル休みだ"
"最近の若いのはすぐ休むんだから"
言い出せばキリがないが、こんなところである。
近い距離の被害を被る人たちからすれば、良い意見は出てこない。所詮そんなもんだった。
自分をよく見せようと思っているわけではないが、私は近い距離の人でも、自分が被害を被ろうとも、それについて肯定できる。
そんな心を自分は持ち合わせていて良かったと、唯一、誇れる。
周りが否定してきても、自分を貫いていきたい。
現実社会と、SNS社会の意見が違くても、人を傷つけないような意見の選択をし続けたい。
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