真っ白な昼下がり、朱い金魚と
私は、金魚が大嫌いだ。金魚を見ると、自分がおばあちゃんにした、取返しのつかないことを思い出すから。
おばあちゃんが出て行った日
金魚とは、あの金魚である。お祭りでは必ずといっていいほど露店の出し物として見かける。朱や白の美しい体をひらひらとさせて、水中を優雅に泳いでいる。
金魚が好きな人には申し訳ないが、私は金魚がものすごく嫌いだ。見ていると口の中が生臭いような味がしてきて気持ち悪くなるし、何よりも昔の後悔を思い出すから。
私にはおばあちゃんがいる。おばあちゃんは隣の家に祖父と一緒に住んでいたけれど、私が高校生のときに、祖父との不仲が原因で家を出て行ってしまった。今は他県の施設で暮らしている。
おばあちゃんが出て行った日のことは今でもよく覚えている。あの日は休日で、私は自室で呑気に昼寝をしていた。
ガラガラと自室の引き戸が開けられる音が聞こえて、夢うつつの状態のままそちらに目をやると、おばあちゃんが立っていた。
昼間の真っ白い光を背景に、逆光で照らされたおばあちゃんは、
「くらちゃん。それじゃあ、ばぁばはもう行くから。ごめんね」
ちょっと力の抜けたような、申し訳なさそうな声音でそう言って、みしみしと音を立てて、階下へと去っていった。
私はそのときぼーっとしていて、それが夢なのか現実なのか今でもはっきりとわからない。けれど、その記憶は胸の奥底に、あの真っ白な光とともに焼き付いて離れない。
おばあちゃんのことが昔から大好きだった。その真っ白な昼下がりのことを忘れられないくらい大好きだったのに、それとは別に、ずっと、おばあちゃんに対して後ろめたさを感じて生きている。
ーーー金魚。金魚を見ると思い出すのは、おばあちゃんへの後ろめたさだった。
お祭りでの出来事
まだおばあちゃんが出て行くよりもずっと前、私がまだ小学校低学年だった頃に、地域のお祭りに一緒に行った。そのお祭りは地元の公民館がやっているものだったが、簡易なステージが用意されて和太鼓やダンスなどの出し物があったり、食べ物の露店があったりとそれなりに力が入っており、結構賑わっていた。
私はおばあちゃんと一緒に露店を回り、焼きそばや焼き鳥を食べた。そして、金魚すくいをして、うまくすくえなくて。おじさんがおまけで袋に入れてくれた二匹の金魚を連れて、おばあちゃんと一緒にステージ前のパイプ椅子に座った。
たしか、このあとの和太鼓の演奏におばあちゃんの知人が出るから、と聞かされていた。座って演奏をちょっと聴くだけ。それだけのはずなのに、そのときの私はひどく機嫌が良くなかった。
「くらちゃん、ねむい?」
おばあちゃんは私のことをたびたび気にかけてくれたけれど、私はそのたびに、ううん、と首を振った。
私の機嫌が良くなかったのは眠かったからではなくて。とても勝手な理由なのだが、おばあちゃんがお祭りで地元の知り合いに会うたびに、私は知らない人と挨拶や会話をしなければならず、人見知りだった私は、もうなにもかも嫌!という嫌々モードになってしまい、もはや泣き出しそうな気持ちにすらなっていた。
人混みも疲れた、でも、おばあちゃんが和太鼓見たいって言うし、ひとりじゃ帰れないから。
そう思って、付き合ってあげてる気持ちだった。おばあちゃんは不機嫌全開の顔をした私のことをとても心配そうにしていたけれど、そんなことは知ったこっちゃなかった。
もう少しで和太鼓のパフォーマンスが始まる。案内のアナウンスが流れたそのときだった。
少し眠気が来ていたからか、不意に私の手がゆるんでしまい、金魚の入った袋が地面に落ちてしまった。
「あ‼︎」
ぱちゃっ、っと静かに水が弾ける音が響いて、金魚が地面に放り出された。茶色い土の上でびちびちと跳ねる、朱色の魚。口をぱくぱくさせて、何かを求めるみたいに苦しそうに。
私はパニックになってしまい、「どうしよう!金魚が!」と叫ぶと、周りに座っていた人たちの注目が一気にこちらに集まる。みんながこっちを見ている。一体何をしてるんだこの子は? あれって金魚? まじまじと注がれる視線に、心臓がバクバクしてしまい尚更パニックになる。
おばあちゃんに、どうしよう、どうしようと縋り付くと、「あぁ……」と困ったように言いながら、おばあちゃんが金魚を拾おうとかがむ。でも、このときの私はただパニックになるばかりで、自分から金魚を拾おうともしなかった。おばあちゃんを「はやく! はやく!」と急かすだけ急かして。
金魚はおばあちゃんの手におさまらずに、びちびちと跳ねて逃げて行く。おばあちゃんのしわしわの手が、それを追いかける。
私は、金魚の命なんてどうでもよくて、ただ、周りから見られていることがひたすら恥ずかしかった。自分が注目を集めていることが怖かった。おばあちゃんに金魚を拾わせているくせに。……自分のことしか考えていない馬鹿だった。
本当に馬鹿だったからーーー私は、
「早くしてよ! 役立たず!」
気づいたらそんなことを口走っていた。びっくりした顔で私を見るおばあちゃん。私は自分の発した言葉にびっくりして、思わず顔を背けた。
役立たず。そんな言葉、今まで使ったこともなかったのに。つい最近まで読んでいたグリム童話で、いじわるなおばあさんが主人公の女の子をこき使うときに言っていた言葉を覚えてしまったばかりだったから……そんなことを考えていた。
そのあと、おばあちゃんが拾ってくれた金魚を袋の中で泳がせながら見た和太鼓のパフォーマンス。和太鼓の地面を震わせるほどの音が、私の胸の中をずんずんと締め付けた。私はなんてことを言ってしまったんだろう。あのときのおばあちゃんのびっくりした顔。悲しそうな顔。
申し訳なくて、馬鹿な自分のことが嫌で嫌で仕方がなくて、目に涙が滲んだ。
気まずい空気のまま、家に帰った。おばあちゃんの家の前で、私は、
「さっきは……ごめんなさい」
「ええ、なにが?」
おばあちゃんはわかっているのに、わからないふりをしているようだった。気にしてないし、何もされてないよ、と。それはおばあちゃんの優しさでもあったけれど、私にとってはもっと苦しくて、
「役立たずって、言ったこと」
振り絞るような声でそう言うと、おばあちゃんは、にこにこ笑って、いいんだよと言った。おばあちゃんはたぶん許してくれたのかもしれないけれど、私にとってはあの一瞬では謝り足りないような気持ちで、そのまま十何年が経って、今もそれを引きずっている。
私を映す金魚
あれから、おばあちゃんは何も変わらずに私に優しく、あたたかく接してくれる。けれど、私はおばあちゃんに優しくされるたびに、楽しいことをして一緒に笑うたびに、あの日のことを思い出してしまう。びちびちと地面に跳ねる金魚とともに、あの日のおばあちゃんの顔、自分が投げた最悪の言葉を思い出し、「私にはおばあちゃんと一緒に笑う資格なんてない」と思う。おばあちゃんを好きでいる資格なんてない、とすら思う。
私は金魚の悪夢を見ることが増えた。
真っ白い昼間、私に別れの言葉を投げかけたおばあちゃんの姿を思い出して、寂しくて悲しくて仕方がなくなるのに、その気持ちはごぼごぼと水中に埋め尽くされて、私の前に大きな朱色の金魚が現れる。ゆらゆらと尾鰭をはためかせて、そして、言うのだ。お前にそんな気持ちになる資格なんてないと。
あるいは、私は小さな金魚を手づかみにして、生きたままそれを口に入れてムシャムシャと食べる。口の中でびちびちとヒレや尾が暴れ回る感触と、生臭さと細かい骨を噛み砕く感じがあまりにもリアルで、吐き気とともに目が覚める。
どうすればいい? 私はまた、おばあちゃんに謝ればいいのか? あの日のことを何度でも何度でも、今からでもまた謝ればいいのか? 「あの日、役立たずって言ってごめんなさい」と。それで解決するのか?
きっと、そうではないのかもしれない。私は自分が苦しさから解放されるためだけに、私の自己満足のためだけにおばあちゃんを利用しようとしている。
私はこれから先、たとえ何度あの日のことをおばあちゃんに謝ったとしても、結局自分で自分のことを一生許せないまま。自分の吐いた言葉、おばあちゃんがあの言葉によって傷ついたという事実は絶対に消えないし、変わらないのだから。
私は金魚が大嫌いだ。金魚を見るたびに、あの日のことを思い出して、一生消えないものを背負っていくとーーーもう同じことを繰り返さないために、大切な人を傷つけないために。
何度でも同じことを思い出して、後悔を抱え続けていくことを思い知らされるから。