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自分の言葉で書く『「好き」を言語化する技術』感想

三宅香帆さんの『「好き」を言語化する技術』を読みました。今日はその感想などを書いていきます。

三宅さんと言えば、『働いているとなぜ本が読めなくなるのか』が書店でとても売れています。今作は、それに比べてライトな語り口で書かれた新書です。

すごく感動したのに、「おもしろかった」しか言葉が出てこない。推しについてもっと語りたい。推しのよさを伝えたいけど方法がわかんない。そんな人に向けて書かれた一冊です。

他の誰かが書いているなら、書かなくてよいのではないか

僕は映画を楽しんだ後、noteで検索して、他の人の感想を読むことが多いです。

この際、自分の感想を書く前に、ついつい人の文章を読んでしまいます。

その後、「自分も感想を書こう!」と思うのですが、書いているうちに、「これってあの人が書いていた意見とおんなじじゃない?」とか考えてしまい、途中で書くことをやめることがあります。

ネットの海には大量の文章が転がっている。わざわざ自分が書く必要なんて、ないんじゃないかな。そんなことを考えたり。

ナイフのように飛び交う言葉

著者の三宅さんは、「あとがき」でなぜこの本を書くに至ったかについて、簡単に説明をされています。

「他人の言葉と距離をとろう。自分の言葉をつくろう」、これを言いたくて私はこの本を書きました。

『「好き」を言語化する技術』p262

SNSに出回っている言葉があまりに無防備で、まるでナイフのように飛び交っている。

強い言葉、激しい言葉は劇薬で、誰かの心に届きやすく、人は簡単に影響を受けてしまう。

自分自身、SNSを長くやっていて、「どんどん過激な表現になっている人がいるな」と思うことがあります。

誰かに見てほしくて、見られるのがうれしくて、極端な言い方に頼る人が増えているように感じる。

その上、炎上や論争の情報を、ついつい追いかけてしまうときがあります。もしかしたら、人間にはケンカに夢中になる特性があるのかもしれません。

また、先日はちょっとモヤモヤしたこともありました。

映画『花束みたいな恋をした』について、「⚪︎⚪︎という解釈は間違っている、恋愛経験が豊富であれば××という解釈に行き着く」みたいな言葉を見かけたときです。

いやー、いろんな解釈があっていいんじゃない?受け取り方は人それぞれなのに、どうしてひとつを押し付けるんだい?と悲しくなりました。

自分の言葉で感想を書こう

自分の言葉と他人の言葉が混ざって、自分が素直にどう思ったかがわからなくなりがち。

だからこそ、下手くそでもいいから、自分なりの言葉を書き残してみよう。

前回、僕は映画『ラストマイル』についての感想を書きました。

他の人の感想を見る前に、自分の言葉で書きました!と言いたいところですが、やっぱり書く前に5人くらいのnoteを読んでしまいました…

でも、その上で、「長期にわたる休職を経験した」「働くってなんだろうなって、ずっと考えてきた」という自分の経験を交えつつ、3000字の文章を書いてみました。

幸い、多くの人に読んでもらえてうれしかったです。

それ以上によかったのは、映画を観た直後に比べて、作品への愛が増したこと

映画を観た直後は5段階評価で3.8くらいだったのですが、作品を噛み砕いて、あぁでもない、こうでもないと書いていくうちに、評価が4.3くらいになりました。

映画が終わった直後は、「もっとアンナチュラル組が活躍すると思った」という期待と結果のギャップが頭を占めていたのですが、それを咀嚼できたような気がします。

おわりに

『ラストマイル』への愛が増してから、映画の主題歌である米津玄師の『がらくた』を何度も聴いています。

作品を存分に味わうために、拙くても感想を書くというのは大事な行為だ。だからこれからも、少しずつでいいから書いていきたい。

また、インターネットやSNSって本来、すごく魅力的な場所だと思うんですよ。世界中の人と繋がることができ、「この作品よかったよね」という感想を共有できる。

だけど、人間の負の面が活発に刺激されることもあるようで、殺伐とした空間だなと思うことがあります。うーん、もったいない。

そんな中で、ひとりひとりが感想を書くことは、ささやかな抵抗なのかもしれません。好きなこと、好きなものについて語り、ネットの海に流す。

それは砂漠に水をやるような行為かもしれませんが、とても大事なことのように思います。僕は僕なりに続けていきたいな。

もしかしたら、著者の三宅さんも、似たような思いを持たれたのかなって。そんなことを考えました。

読んでいただき、ありがとうございました。

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