マガジンのカバー画像

Essay

350
鳴海邦彦が思いつくままに、そして気ままに綴るフリーエッセー。
運営しているクリエイター

記事一覧

再生

ショートエッセー 「"MAD MAX"のOPシークエンスに見るカーチェイスの真髄」

OPからナイトライダーの自滅に至る畳み掛けるようなカーチェイスシークエンスは、ハリウッドの洗練されたカーチェイスとは全く異なる、荒々しく暴力的且つ新鮮なものだった。 MAD MAXは、カーチェイスというアクション映画にとって不可欠なシークエンスを高度に進化させることではなく、敢えてプリミティブ(原初的)な状態にディヴォルブ(退化)させることにより、それまでとは全く異なる新機軸を確立した画期的作品である。

再生

ショートエッセー 「WORLD ORDER "BIG BROTHER"に込められたメタファー」

来たるべき世界統一政府と、そのための布石となる超管理社会、超監視社会への警鐘を暗喩的なダンスパフォーマンスで表現するWORLD ORDER。 完璧に制御されたロボット的な動きは、スマホというデバイスを介し、体内にインプラントされたマイクロチップとそれに司令を出す5Gの電波に完全支配され白痴化た現代日本人への痛烈なアイロニーである。

再生

ショートエッセー「日本中の男達が憧れた "西部警察" のスーパーマシン」

何度でも言おう、日本ではこれを超える刑事ドラマは二度と作れない! 西部警察シリーズはまさに空前絶後、超弩級のアクションスペクタクルである。世界のどこへ出しても恥ずかしくない我が国の至宝である。 劇中、重要な役割を果たすのが高度にチューンナップされたスーパーマシン軍団。 初代スーパーマシンの「マシンX」(C210型スカイランGT TURBOをベース)の衝撃も冷めやらぬ中、新たに投入されたのはFJ20DET型エンジンを搭載するDR30型スカイラインRS TURBOをベースとしたRS-1、RS-2、RS3の3台が投入され、当時のクルマ好きヤングの心を鷲づかみにした。 アフターバナー(?!)を搭載したRS-1の怒涛の加速を見よ! しかし、都内でこんな撮影を敢行するとはさすがは石原軍団!現在ではとても撮影許可が取れない。 そして、車両面で全面的なバックアップを行った日産自動車も立派である。この時代の日産にはトヨタとは全く異質のアナーキーなパワーがあった。 西部警察シリーズは、80年代、我が国が最も国力があり、エネルギーに満ち溢れていた時代のアイコンとも言える作品である。 クルマやドラテクに興味がない男など存在しなかったあの頃。年頃の男達はみな西部警察に夢中だった。 当時、日本中の男達は西部警察の放送時間になるとテレビの前に陣取り、ブラウン管に映し出される迫力のカーチェイスと、そのシーンの所々にインサートされるヒール&トーを初めとするドライビングテクニックのインサート映像を食い入るように見つめていた。 70年後半から80年代初頭、男らしいものがカッコよく、女性もそれに憧れた。単純明快で純粋な時代。 クルマに興味がない若者が大多数を占める現代日本には、男のクルマやマシンに対する熱き思いなど到底理解できないだろう。 今の日本、閉塞感の中、無粋でつまらない輩が国中に溢れている。

ショートエッセー 「西部警察 聖地巡礼」

ポリスアクションドラマの金字塔”西部警察”第104話”栄光の爆破”の劇中、渡哲也演じる大門刑事のマシンXと凄腕の逃し屋が駆るS30フェアレディZが激しいカーチェイスを演じた撮影の舞台”芝浦”。 カーチェイスのクライマックスは追い詰められたS30フェアレディZによる芝浦運河を飛び越える大ジャンプ。この前人未到の大ジャンプに挑んだのは西部警察でカースタントを担当していた”マイクスタントチーム”を率いる伝説のスタントマン 三石千尋だった。 たまたま当時のロケ地を通ったのでワンシ

再生

ショートエッセー 「ラストマン・スタンディング」

相手は本気で殺しに来る。それに対し、こちも本気でなければ必ず殺られる。 容赦なく、徹底的に、完膚なきまでに無力化する。その気構えが大切。 これからますます世界は混沌となり、相互幇助、利他の精神は完全に霧散する。 ラストマン・スタンディング。秩序無き世界では理屈や道徳ではなく、生き残った者が正義である。

ショートエッセー 「至福の朝食」

イタリア屈指の高級リゾート、東リビエラ Santa Margherita Ligure(サンタ・マルゲリータ・リグレ)。 サンタ・マルゲリータ・リグレの中でも歴史と伝統を誇る五つ星ホテル " Grand Hotel Miramare " の朝食。 朝食は1階のレストランでブッフェタイプ。ブッフェと侮ることなかれ。それはファイブスターホテル、料理の種類が半端ない。しかも最高級の食材に最高のホスピタリティ。 一流とは何かを感じさせる朝食である。

再生

ショートエッセー 「New World Order(世界新秩序)」

いま世界はWorld Order(世界秩序)からNew World Order(世界新秩序)の時代へとパラダイムシフトしている。 New World Orderにおいては、ヘゲモニーは民族を核とした国家から、資本主義を主体とした国家を超越したグローバル企業に移管される。 今後はグローバル企業の統治により、国家、その中核となる民族、宗教、イデオロギーは消滅し、地球上すべての人類は弱肉強食を是とする経済資本主義による支配される事となる。

再生

ショートエッセー 「ソウルメイト」

ニキ・ラウダとジェームス・ハント、全く異なる人格、性格でありながら、彼らはソウルメイトであった。 人間、誰しも2つの人格を持っている。ハントはもう一人のラウダであり、ラウダはもう一人のハントである。 F1とは単なるレースではない。それは人生そのものである。

ショートエッセー 「コリン・チャップマン」

再生

エッセー 「考察」

2013年にボストン・マラソンで起きた爆弾テロ事件の爆発状況を映像で改めて検証してみると、極めて緻密に制御された爆破であることがよく分かる。 大手メディアにより「最悪な場所での爆破テロによる最悪の結果」と報道されたこの事件だが、これは明らかに「通常ならば大惨事になる場所で爆破させ、最小限の被害で抑えた"コントロールド・デモリッション"」のように見受けられる。 なぜなら、爆発の瞬間、敢えて爆心の半径を狭くして爆風が水平方向へ拡散するのを防ぎ、爆風のパワーを垂直方向に逃しているからだ。 これは爆心部にパワーを手中させるためモンロー・ノイマン効果を最大限に活用したためと推察される。恐らく現場の路面には小さな直径の深い穴が空いているのではなかろうか。 もしそうだとすれば、この爆破を成功させるには成型炸薬が不可欠で、とても素人に毛が生えたレベルのテロリストが作れるものではない。 こうした極めて高度な爆破ができるのは、軍隊の特殊部隊でゲリラ戦向けの小規及び限定的爆破破壊訓練を受けた者ないしは実戦経験者といった爆破のプロのみである。

再生

ショートエッセー「Live for nothing or die for something. Your call.」

人間のレゾンデートルを究極的に表現した言葉。 人間とは、漢(おとこ)とは。いま軟弱化した日本人すべてがこの金言を胸に刻むべきだ。 "There isn't one of us that doesn't wanna be somewhere else. But this is what we do. Who we are. Live for nothing or die for something. Your call." 誰だってこんなとこにいたいと思う奴はいない。だがここには我々でなければできないことがある。我々の本分はなんだ。無為に生きるかあるいは意義あることのために死ぬか。お前が決めろ。

再生

エッセー「"燃えよドラゴン"に見る道(タオ)イズムの真髄」

老子・荘子の思想(老荘思想)をその源泉とする"道(タオ)イズム"を極めて簡潔に表現するならば、それは"宇宙"の根本原理である。 "道(タオ)は道(タオ)と認識した段階で道(タオ)ではなくなる"、これは即ち道(タオ)とはいわゆる混沌(カオス)であり、実体があるようで実は無であり、いかような解釈も可能、無であって有、逆もまたしかり有であって無という極めて捉え処がないものであるということを端的に表わしている。 道(タオ)を理解しようと思考を巡らすことは極めて無意味である。思考を巡らせれば巡らせるほど迷路(ラビリンス)を彷徨い、最終的にはその遠大且つ深淵な世界に圧倒され茫然自失な状態となる。 道(タオ)は思考などでは到底理解不能な宇宙の根本原理であるが、道(タオ)を理解する方法がただ一つだけ存在する。それは"感じる"こと。無駄な思考を捨て、己の直感に任せ感じること。目の前の事象や思考に囚われていては簡潔にして美しい宇宙の根本原理を理解することは不可能なのである。 ブルース・リーは"燃えよドラゴン"OPシークエンスの一部である"Lao's Time"で彼が創設したジークンドーの根本思想である道(タオ)イズムの真髄を簡潔且つ平易に表現している。 リーは弟子のラオに対し「私を蹴って見ろ」と命ずる。ラオは戸惑いながらリーに対してサイドキックを繰り出す。しかしリーは「それはなんだ?まねごとか?必要なのは感情の内容だ」と一蹴する。そして「もう一度」と命じる。再び再度キックを繰り出すラオ。しかしリーは「感情の内容だと言ったはずだ、怒りではない、もう一度」と命じる。そして再び再度キックを放つラオ、二発目のキックを手で払ったリーは満足げに「そう、それだ、何を感じた?」するとラオは「考えるに。。」。そこでリーは間髪を入れずにこう諭す「考えるんじゃない、感じるんだ、この指は月への道を指し示している、しかし指に集中するとその先にある宇宙の荘厳さを見逃すことになる」 このわずか2分あまりのシーンにこそ"道(タオ)イズム"の真髄が凝縮されている。

再生

ショートエッセー 「 "マイティ・ハーキュリー" の想い出」

ギリシャ神話の英雄"ヘラクレス”の英語読みは"ハーキュリー"である。 1960年代から70年代にかけてはカートゥーン(アメリカのアニメ)全盛期で、様々な作品が日本のテレビでオンエアされていた。くだんの"マイティ・ハーキュリー"も一作品である。 当時、リアルタイムで観ていたが、この作品がきっかけてでギリシャ神話に傾倒し、自らをヘラクレスの末裔と妄想するようになった(笑)。 そんなヘラクレスの末裔(妄想)にとって、オリンポスの小川に流れる甘美な飲み物"ネクタール(ネクター)」は大の好物。 ネクターと言えば不二家ネクター。最近値上がったうえ、缶が小さくなった。 狂乱の物価高、ええかげんせ〜よ、アホ政権。

再生

ショートエッセー 「" マイティジャック "の想い出」

1968年(昭和43年)にフジテレビ系列で土曜日の夜に放送されていた' マイティジャック '。 科学の粋を結集して建造された万能戦艦マイティ号に乗り、世界制覇を企む悪の組織Qと戦う秘密組織マイティジャック(MJ)の活躍を描いたこの作品は、当時の少年少女達に、来るべき未来への夢と希望を与えてくれた。 かくゆう自分もその一人。月に一度、校庭の片隅に設けられた特設販売コーナーで購入した学研の「科学」を読みながら、遠い未来を夢みていた。