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ショートエッセー「日本中の男達が憧れた "西部警察" のスーパーマシン」
何度でも言おう、日本ではこれを超える刑事ドラマは二度と作れない! 西部警察シリーズはまさに空前絶後、超弩級のアクションスペクタクルである。世界のどこへ出しても恥ずかしくない我が国の至宝である。 劇中、重要な役割を果たすのが高度にチューンナップされたスーパーマシン軍団。 初代スーパーマシンの「マシンX」(C210型スカイランGT TURBOをベース)の衝撃も冷めやらぬ中、新たに投入されたのはFJ20DET型エンジンを搭載するDR30型スカイラインRS TURBOをベースとしたRS-1、RS-2、RS3の3台が投入され、当時のクルマ好きヤングの心を鷲づかみにした。 アフターバナー(?!)を搭載したRS-1の怒涛の加速を見よ! しかし、都内でこんな撮影を敢行するとはさすがは石原軍団!現在ではとても撮影許可が取れない。 そして、車両面で全面的なバックアップを行った日産自動車も立派である。この時代の日産にはトヨタとは全く異質のアナーキーなパワーがあった。 西部警察シリーズは、80年代、我が国が最も国力があり、エネルギーに満ち溢れていた時代のアイコンとも言える作品である。 クルマやドラテクに興味がない男など存在しなかったあの頃。年頃の男達はみな西部警察に夢中だった。 当時、日本中の男達は西部警察の放送時間になるとテレビの前に陣取り、ブラウン管に映し出される迫力のカーチェイスと、そのシーンの所々にインサートされるヒール&トーを初めとするドライビングテクニックのインサート映像を食い入るように見つめていた。 70年後半から80年代初頭、男らしいものがカッコよく、女性もそれに憧れた。単純明快で純粋な時代。 クルマに興味がない若者が大多数を占める現代日本には、男のクルマやマシンに対する熱き思いなど到底理解できないだろう。 今の日本、閉塞感の中、無粋でつまらない輩が国中に溢れている。
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エッセー 「考察」
2013年にボストン・マラソンで起きた爆弾テロ事件の爆発状況を映像で改めて検証してみると、極めて緻密に制御された爆破であることがよく分かる。 大手メディアにより「最悪な場所での爆破テロによる最悪の結果」と報道されたこの事件だが、これは明らかに「通常ならば大惨事になる場所で爆破させ、最小限の被害で抑えた"コントロールド・デモリッション"」のように見受けられる。 なぜなら、爆発の瞬間、敢えて爆心の半径を狭くして爆風が水平方向へ拡散するのを防ぎ、爆風のパワーを垂直方向に逃しているからだ。 これは爆心部にパワーを手中させるためモンロー・ノイマン効果を最大限に活用したためと推察される。恐らく現場の路面には小さな直径の深い穴が空いているのではなかろうか。 もしそうだとすれば、この爆破を成功させるには成型炸薬が不可欠で、とても素人に毛が生えたレベルのテロリストが作れるものではない。 こうした極めて高度な爆破ができるのは、軍隊の特殊部隊でゲリラ戦向けの小規及び限定的爆破破壊訓練を受けた者ないしは実戦経験者といった爆破のプロのみである。
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ショートエッセー「Live for nothing or die for something. Your call.」
人間のレゾンデートルを究極的に表現した言葉。 人間とは、漢(おとこ)とは。いま軟弱化した日本人すべてがこの金言を胸に刻むべきだ。 "There isn't one of us that doesn't wanna be somewhere else. But this is what we do. Who we are. Live for nothing or die for something. Your call." 誰だってこんなとこにいたいと思う奴はいない。だがここには我々でなければできないことがある。我々の本分はなんだ。無為に生きるかあるいは意義あることのために死ぬか。お前が決めろ。
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エッセー「"燃えよドラゴン"に見る道(タオ)イズムの真髄」
老子・荘子の思想(老荘思想)をその源泉とする"道(タオ)イズム"を極めて簡潔に表現するならば、それは"宇宙"の根本原理である。 "道(タオ)は道(タオ)と認識した段階で道(タオ)ではなくなる"、これは即ち道(タオ)とはいわゆる混沌(カオス)であり、実体があるようで実は無であり、いかような解釈も可能、無であって有、逆もまたしかり有であって無という極めて捉え処がないものであるということを端的に表わしている。 道(タオ)を理解しようと思考を巡らすことは極めて無意味である。思考を巡らせれば巡らせるほど迷路(ラビリンス)を彷徨い、最終的にはその遠大且つ深淵な世界に圧倒され茫然自失な状態となる。 道(タオ)は思考などでは到底理解不能な宇宙の根本原理であるが、道(タオ)を理解する方法がただ一つだけ存在する。それは"感じる"こと。無駄な思考を捨て、己の直感に任せ感じること。目の前の事象や思考に囚われていては簡潔にして美しい宇宙の根本原理を理解することは不可能なのである。 ブルース・リーは"燃えよドラゴン"OPシークエンスの一部である"Lao's Time"で彼が創設したジークンドーの根本思想である道(タオ)イズムの真髄を簡潔且つ平易に表現している。 リーは弟子のラオに対し「私を蹴って見ろ」と命ずる。ラオは戸惑いながらリーに対してサイドキックを繰り出す。しかしリーは「それはなんだ?まねごとか?必要なのは感情の内容だ」と一蹴する。そして「もう一度」と命じる。再び再度キックを繰り出すラオ。しかしリーは「感情の内容だと言ったはずだ、怒りではない、もう一度」と命じる。そして再び再度キックを放つラオ、二発目のキックを手で払ったリーは満足げに「そう、それだ、何を感じた?」するとラオは「考えるに。。」。そこでリーは間髪を入れずにこう諭す「考えるんじゃない、感じるんだ、この指は月への道を指し示している、しかし指に集中するとその先にある宇宙の荘厳さを見逃すことになる」 このわずか2分あまりのシーンにこそ"道(タオ)イズム"の真髄が凝縮されている。
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ショートエッセー 「 "マイティ・ハーキュリー" の想い出」
ギリシャ神話の英雄"ヘラクレス”の英語読みは"ハーキュリー"である。 1960年代から70年代にかけてはカートゥーン(アメリカのアニメ)全盛期で、様々な作品が日本のテレビでオンエアされていた。くだんの"マイティ・ハーキュリー"も一作品である。 当時、リアルタイムで観ていたが、この作品がきっかけてでギリシャ神話に傾倒し、自らをヘラクレスの末裔と妄想するようになった(笑)。 そんなヘラクレスの末裔(妄想)にとって、オリンポスの小川に流れる甘美な飲み物"ネクタール(ネクター)」は大の好物。 ネクターと言えば不二家ネクター。最近値上がったうえ、缶が小さくなった。 狂乱の物価高、ええかげんせ〜よ、アホ政権。