見出し画像

自分の中に潜む醜い感情

※これは、以前ブログの方に書いた記事です。認知症の母を介護していたときに書いたもので、少し重い内容になっています。

*************

年明け早々、いろいろありまして。
母のノロがきっかけなんですけど、それはもう地獄を見ました。
自分の体がしんどい時って、本当にもう全てが終わりますね。
きっと自分もノロに感染しなければ乗り越えられたと思うのですが……。

上から下からの汚物処理と大量の洗濯と家中の消毒と。
自分の体調も最悪な中、絶食な中、続く試練。
なんだろう、なんの罰なんだろう。そればっかり考えてました。

そんな時に、認知症だとわかっていても、母から浴びせられる言葉と態度に絶望し、ケアマネさんに泣きついてみたけれど感染性の病気がある場合は母の受け入れ先がなく。
このことがきっかけとなって、いろいろなケアをたくさん受けれるように、ゆくゆくは特養に入れるように、介護度の区分変更をかけましょう、とケアマネさんに提案してもらいました。


要介護1から2になった時は凄くショックでした。
あぁ、症状が進行してしまったのか、と。
でもフォロワーさんから「限度額が上がって使えるサービスが増えた~くらいの気持ちで大丈夫」と言っていただけて救われました。

今回の要介護2から3への変更は、望んでの変更。
今は審査が厳しくなっているとのことで、結果が来るまでドキドキでした。

晴れて、要介護3となり、ほっとしている私。

同居を始めてから二年半くらい。
初めは母の介護をとても前向きに考えてました。やっと母に恩返しができる~くらいの気持ちでした。
母に強い帰宅願望、被害妄想が頻繁に起きるようになってから、私の中で気持ちに変化が起き始めました。
ドロドロとした醜い感情。
大好きだった母を、大好きなままいられる自信がなくなるほどの。

最近ショートステイを多めに入れてもらっていて、母と離れている時間の方が多くなりました。自分の心に余裕ができたからか、今は母も私も穏やかです。母の症状は確実に進行していますが……。

母の事を嫌いになりたくない。
ただそれだけなんです。
でも認知症とは、そんな小さな望みすら奪う。

今のこの感情を、介護を始めた頃の自分に話して相談しても、きっと理解してもらえないんじゃないかなって思います。
そのくらい、自分の心に変化が起きました。

自分一人で抱えきれなくて、醜い感情を吐き出したことがありました。
でもそのたびに、介護クラスタの方々が共感してくれて。
え、私だけじゃなかったんだ、と。

私もだよー。
あぁ、わかるなー。

そんな言葉に救われました。

まだ頭の中にぼんやりとしかありませんが。
あえて醜い部分を書いたら、それを読んで救われる人がいたりするのかな、とか考えてます。
でも、それって、たぶん共感できない人もたくさんいそうで……。
むしろ、共感できない人の方が多いかも……。
だからまだ書く勇気はありませんが。

先日、たまたま『明日の記憶』という認知症の映画?をBSで観て。
あぁ、ここから先の話が観たいのに、というところで終わってしまいました。
でも、確かにこの先を映像にしたら辛すぎるよな、と。
綺麗に終わるには、このあたりまでだよな、と。
認知症を扱った映画やドラマはいくつか観ましたが、みんな綺麗な部分で終わってしまう……。

とりとめなく、しかもひたすら重い内容になってしまいました……
次からはまたオキラクに戻ります。

そういえば、よくツイッターで「うん●」ツイートをするとフォロワーが減るとか言われてますが、介護クラスタで「うん●」ツイートするとフォロワーが増えます(笑)

不思議なワードですね(笑)

---------------------------------

【追記&お知らせ】
2019年12月に、母の介護の実体験を元にしたお話を含む短編集『おもちゃの指輪が絆ぐ時』をAmazon Kindleにて出版しました。
Kindle Unlimited で読むこともできますので、よろしければ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?