【連載小説】君と創る世界|09
【第五章】懐かしい世界(1)
退院して、僕の新しい生活は、アパートの狭い一室から始まった。
まだ最低限のものしか揃ってなくて、とても殺風景だけれど、ここから僕の第二の人生が始まる。
実家はずいぶん前に取り壊され、今は別の家が建っていた。昔の思い出が詰まった場所がもう存在しないことを、少し寂しく感じた。
可琳が住んでいた家も、知らない家になっていた。
街を歩くと、β世界と変わらない部分もあれば、全く知らない景色になっているところもあった。
見覚えのある通りも、店の看板や建物の色が変わっていて、どこか「しばらくぶりに帰ってきた故郷」という雰囲気だった。それは懐かしくもあり、少しだけ心細くもあった。
僕の足は、自然と窪のラーメン屋へ向かう。
僕にとっては数か月前にバイトをしていた場所だけれど、現実ではもう十数年も訪れていない場所だ。
店の外観はほとんど変わっていなかった。けれど、外に掲げられたメニューの看板を見ると、メニュー名こそ同じだけれど、ラーメンの写真は、僕がバイトで作っていたラーメンとは似ても似つかないものだった。時間の流れを思い知らされた気がして、複雑な気持ちになった。
「らっしゃい!」
扉を開けて入ると、窪の威勢のいい声が出迎えた。
ラーメンの湯切りをしながらこちらを見た窪に、僕は何ともいえない気持ちになりながらカウンターに座る。
「お前……もしかして……」
窪は、チャッチャッと湯切りをしながら、僕の顔を不思議そうに見つめた。
「久しぶり。窪」
僕が笑いながら言うと、窪の手が止まった。
「やっぱり洵……だよな? え! おい、目が覚めたのか! お前、生きてたのか!」
「生きてるよ! ……窪、ラーメン、ラーメン」
驚きと喜びのあまり固まる窪に、僕は笑いながら促した。
僕の世界の窪は、少しぽっちゃりしてお腹もわずかに出ていたが、現実世界の窪は全体的に引き締まっていて、無駄のない筋肉がついていた。その違いに思わず見入ってしまい、懐かしさの中にも違和感を覚える。
窪は「ああ」と声を漏らし、手際よくスープに麺を入れトッピングを盛り付けながら話し始めた。
「何度かお見舞いに行ったんだけど、もう目が覚めないって聞いてたからさ……ほんと驚いたよ。最近全然会いに行ってなくてごめんな。でもよかった。元気そうで」
窪が歯を見せながらニッと笑う。その笑顔は、僕の知っている窪とまったく変わらなかった。
僕はうん、と笑顔で頷いて、壁に貼ってあるメニューを見上げた。
「味噌ラーメンください」
「味噌一丁!」
窪が嬉しそうにオーダーを通す。
「今、何やってるんだ?」
窪がラーメンを作りながら僕に話しかける。
「まだ退院したばっかりで。これから就職先を探すところ。父さんがいた、アストラルアークを受けてみたいなって思ってる」
「そうか。いろいろ落ち着くまで大変だな。職が決まるまで、ここでバイトでもするか?」
僕はふふっと笑う。窪の誘いが嬉しかったからだ。
「こっちの世界でも、窪はバイトに誘ってくれるんだな」
「は? 何の話だ?」窪が不思議そうな顔をする。
「いや、なんでもない」
僕は軽く首を振りながら考える。
僕の世界の窪は、父さんが窪から得たデータをもとに、AIがその後の窪を形成したのだろう。でも、体格みたいにAIの予想と現実が違う場合もあれば、こうして僕のことを気にかけてくれる変わらない窪もいる。
窪の2つの未来を見ているようで、少し面白い。
二人の窪から、未来予測の曖昧さと、人の変わらない本質を感じていた。
あっという間に僕が注文したラーメンが完成した。
「小さい頃に食べたラーメンと見た目が違うね。なんかオシャレ」
「ラーメンも映えを意識する時代だからな」
「バエ?」
「ああ、見た目がいいと、お客さんがSNSに写真をアップしてくれて、宣伝になるんだよ」
「なるほどね。それを『映え』っていうのか」
僕は「いただきます」と一口スープを飲む。見た目は違っても、味はそのままだった。懐かしい味だ。
当たり前だけど、変わっているものもあれば、変わらないものもある。
窪のラーメンは、見た目こそ少し垢抜けたけれど、こうしてラーメンを食べていると、数ヶ月前にここでバイトしていたときと何ら変わりがない気がしてくる。ふと、あの頃の記憶が甦る。
――そう。夜になったら「ハチ!」って可琳が扉を開けて入ってくるんだ。
「ねえ窪。可琳って、今でもこの店に来る?」
窪がラーメンの湯切りをしながら顔を上げた。
「可琳……? 誰だ? 洵の友達か?」
「――いや、なんでもない」
名前を口にした瞬間、喉がひどく詰まるような感覚がした。そして、すぐに後悔が押し寄せた。
「なんだよ。さっきから変なやつだな」
窪がニヤッと笑って、チャッチャッと湯切りを再開する。その明るい声が、僕の心を少し軽くしてくれる。
「まあ目が覚めたばかりなら、世界がいろいろ変わっててとまどうことも多いよな。何か困ったことがあったらいつでも頼ってくれよな」
「窪は窪のままだ」
窪は「なんだよ」と首を傾げた後、得意げに胸を張った。
「まあな! でも俺、ちょっとはかっこよくなっただろ?」
「そうだね、ほんの少しね」
僕がそう言って微笑むと、窪は大きな声で笑った。
*
僕は家に戻ると、腕時計型のMAHORA端末を装着する。
β版――僕だけの世界を選択し、ログインした。
どうしても、可琳に会いたかった。
たとえAIだったとしても、もう一度、彼女の笑顔を見て、あの優しい声を聞きたかった。
目を開けると、懐かしい天井が見えた。
ベッドに寝ていた僕は、体を起こす。
現実ではもう取り壊されてしまった、僕が生まれ育った家の、僕の部屋。
少し日に焼けた色をしたカーテン、小学生の頃から使っていた古びた机、そして本棚に並ぶ懐かしい本たち。ほんの数ヶ月ぶりだけれど、僕は懐かしく部屋を見回してから、リビングへ向かった。
キッチンでは母さんが料理をしていた。
エプロンをつけ、まな板に包丁を走らせている。その背中を見た瞬間、僕の胸がぎゅっと締め付けられるような感覚に襲われた。
目の前にいる母さんは、僕を置いていった母さんではない。
この世界の母さんは、ずっと僕を見守り、そしてこれまで支えてくれた人だ。それはもちろんわかっている。
だけど――心の奥で、僕を捨てた現実の母さんの面影がどうしてもちらついてしまう。
「ちょっと出かけてくる」
僕がそう声をかけると、母さんが手を止めて驚いたように振り返った。
「洵! あなた帰ってたの? 今までどこにいたの? 連絡も取れないし、母さん心配したのよ!」
そうか、僕がログインしていない間、この世界では僕の存在が消えていたのか。僕がいないまま、この世界はきちんと時を刻んでいたんだ。
母さんはずっと僕の帰りを待っていてくれたのか――そう思うと、胸がちくりと痛んだ。
「ちょっと東京に用事があって……勝手にいなくなってごめん。これからはちゃんと出かける前に言うよ」
母さんは安堵の表情を浮かべたけれど、そのあとすぐに小言が始まった。
「もう……あなたがいない間、母さんどれだけ心配したと思ってるの? こんな心臓に悪いこと、もうやめてね?」
僕は苦笑しながら母さんの小言を聞き流す。心の中にはぐちゃぐちゃとした感情が渦巻いていた。
――この世界の母さんは、浮気もしてないし、僕を捨ててもいない。何も悪くない。
わかっているのに、僕を捨てた母さんが、目の前の母さんの姿に重なるたび、胸の奥で怒りと悲しみの感情が溢れ出す。
なんとかすべての小言を聞き終えると、僕は玄関の扉を勢いよく開け、外へ飛び出した。夏の湿った空気が肌にまとわりつく。僕は息を切らしながら、可琳の家を目指した。
可琳の家は、まるで時間が止まったかのように静まり返っていた。まだそんなに遅い時間ではないのに、厚いカーテンが引かれ、中の様子は見えない。
スマホを取り出し、可琳からのメッセージが届いていないか確認する。
母さんや窪から、僕を心配するメッセージが山のように届いていた。けれど――
『何かあったの? 心配だから、このメッセージを見たら連絡をください』
あの日、僕が可琳に送った最後のメッセージは、相変わらず既読にならないままだった。
拳を握りしめ、玄関の扉を軽く叩いてみる。反応はない。
まるで可琳という存在が、僕の世界からすっぽりと抜け落ちてしまったかのようだった。
「くそ……!」
気持ちを抑えられず、僕はまた走り出した。そして辿り着いたのは、窪のラーメン屋だった。
扉を開けると、いつも通り、窪の「らっしゃい!」という威勢のいい声が出迎えた。けれど、すぐに窪の表情が変わった。
「洵! お前、どこ行ってたんだよ! バイトにも来ないで、俺たちどれだけ心配したと思ってるんだ!」
僕は息を整えながら、申し訳なさそうに答える。
「ごめん……いろいろあって」
肩を落とした僕を見て、窪は表情を緩めると、小さくため息をついた。
「まったく……で、どうしたんだ?」
「可琳は……最近ここに来てる?」
その名前を出した瞬間、窪の眉が少し動くのがわかった。
「時安もお前がいなくなった頃から、全然姿を見なくなったんだよ。――もしかして、お前ら何かあったのか?」
「可琳が突然、何も言わずにいなくなったんだ。ずっと探してたんだけど見つからなくて……どこにいるか知らないか?」
窪は「マジかよ」……と驚いた表情を浮かべた。
さっきまで怒っていたのが嘘のように、窪は僕の話を親身に聞いてくれた。その眼差しは、いつものように親しみ深く、この窪がAIだなんて、信じられなかった。
「もし可琳が来たら、連絡がほしい」
「わかった。……あんまり気を落とすなよ」
窪の声には優しさが滲んでいた。
「うん。ありがとう。あと……しばらくバイトには来れない。本当にごめん」
「いいって。こっちは気にするな。俺も可琳のこと、ちょっと探してみるよ」
「ありがとう」
僕は窪の言葉にほっとして店を出た。
可琳と子どもの頃に遊んだ場所、再び出会ってから一緒に訪れた場所を一つ一つ探したけれど、可琳の姿はどこにもなかった。
誰もいない公園で、呆然と立ち尽くす。
なぜ、可琳は僕の前から姿を消してしまったんだろう。
何か、嫌われることをしてしまった?
どうしたらいいかわからないまま、僕は可琳を探し続けた。
歩き疲れた僕の足は、自然と自宅へ向かった。
鍵を開けて玄関に入ると、住み慣れた家の空気が、ほんの少しだけ僕を安心させてくれた。
「ただいま」
「おかえり洵。お友達が来てるわよ」
母さんがリビングから顔を出して微笑む。
「洵のお部屋で待っててもらってるわ」
え? 窪かな?
いや、窪なら母さんは「窪」って名前で呼ぶはずだ。――もしかして、可琳……!?
僕の胸は一気に高鳴り、階段を駆け上がると勢いよく自室のドアを開けた。
「こんにちは」
振り返ったその顔に、見覚えはなかった。
年齢は僕と同じくらいか、少し年下のように見える男性。――いや、どこかで見たような……僕はこの顔を知っている。
記憶の断片が頭の中を駆け巡り、ようやく繋がった。
そうだ。彼は――
「君は……もしかして、可琳の弟?」
僕が問いかけると、彼は柔らかく微笑んだ。
「うん」
とまどう僕とは違い、まるで全てを知っているようなその視線に、少しだけ不安になる。
「こうして会えたということは……洵、目が覚めたんだね」
彼は僕の目をまっすぐ見つめながら、嬉しそうに微笑んだ。
「おめでとう」
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