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ポップに生きようぜ


大好きな友達がいる。
心から愛してると断言できる友達がいる。

わたしは常に会話はテンポでありいかにおもろくくだらないかが重要だと考えてる。

ちゃんと社会人やってんだからプライベートくらい低レベルでくだらなくいさせてくれや。

そんな脊髄で会話してる仲間の話をしよう。

名前はそうだな、わたしはあの人を儚さの象徴として見てるから泡沫くんとでもいおうか。

泡沫くんは大学の頃に出会った友達だ。

巡り合わせなのかわからないが彼のことがずっと気になっていたのに、近いようで近くない彼とは、講義中にお腹がちぎれるくらいくだらなくてしょうもないことを一緒にするくらいで、遊んだり呑んだりはしたことがなかった。

一度だけ野外ライブへ行ったことがあるが心の中ではずっと、この人やっぱり好き!もっと一緒にいたい!と思っていたが、どうも近いようで遠い距離のまま卒業してしまった。


人生っていうのは面白いもので、社会人になってから何故かわたしは泡沫くんと定期的に会うようになった。

気付けばわたしは彼と夜通し飲む、飲み友になっていた。

わたしが彼を大好きな理由はいくつもあるが、とにかく彼からもらう言葉にいつも救われている。


一方でときどきわたしは不安になる。
彼にとってこの世界はあまりに痛みが多すぎる。
一部の人のこだわりのせいで、固定概念のせいでこの世界は傷つくことが多すぎる。

ほんとうに優しい人は傷つきやすい。

これはこの世の真理だとわたしは思う。

自分ならこうするのに、そんなこと考えなくても生きていけるのに

そんなことを周りは言ってくるが、泡沫くんもわたしも繊細すぎる感覚で生きていくしかない。


話は変わるがつい先日の天気のいい平日に電車で静かに泣いている女の人がいた。

溢れ出て抑えられない涙といった様子だった。

それをみた時、わたしや彼のようにこの世界に傷ついて絶望して生きている人はたくさんいるんだなと、ふと実感した。

ただ同じ電車に座っている人になんの思い入れももったことがなかったが、同じように堪えられなくなって泣いたことがあるからこそ、あの人の痛みがいつか少しでも治る日がくるといいな、なんて、思ったりした。


泡沫くんもわたしも今を生きている。
消えたくて、そんなわけなくて、それでも痛む気持ちと向き合いながら生きている。

泡沫くんはこれから新しい社会で生きていくことを選んだ。わたしはそれがとても嬉しい。

こんなつらつら重いこと言ってるけど、実際会うと誰よりもくだらなくてずっと大笑いしてるポップな私たちが好きでたまらない。

本人に直接伝えるわけではないけど、私は彼が思っている以上に彼からたくさん救いを与えられた。

どんな道に行こうと、何があろうと、私は彼の味方だ。

生きていこう、一緒に。


ではまた。

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