本がつないだ、新しい会話のかたち
気の合う仲間と集まって、思いっきり騒ぐ。
そんな日常が少しだけ後ろめたくなってから、2度目の春が来た。
この春、わたしがやりたいこと。
コロナ禍で1年以上会えていない友人に、本を贈ること。
今日はわたしの友人、Kちゃんのある一言が、めぐりめぐって新しいコミュニケーションのヒントをくれた、そんな話をしようと思う。
◆◆◆
Kちゃんとは2009年、大学の部活動で知り合った。
仲良くなったのは、入学して少し時間が経った、6月頃だったと思う。
大学の「顔」ともいえる人気の部活動で、入部した新入生は100人超え。入部直後は、別々のグループで活動していて、話す機会がなかったのだ。
そんなわたしたちが、どうして仲良くなったのか。
それは、ある日の帰り道のことだった。実家から大学まで、電車で2時間半以上かけて通っていたわたし。友人達の中でも、いちばん家が遠かった。その日も、次々と電車を降りていく友人を見送ったあと、ひとりぼーっと揺られていた。
どんどん乗客が減っていく車内。ふと周りを見渡すと、少し離れた場所に、見覚えのある女の子が座っているのに気がついた。
「あれ?あの子ってもしかして……」
それは、わたしの実家の最寄り駅に着こうかという頃合いだった。なんとKちゃんは、わたしの最寄り駅から、わずか3駅の距離に住んでいたのだ。
こんな偶然、そのままにしておくわけにはいかない。次の日の帰り道、駅のホームでKちゃんを見つけ、さっそく話しかけてみた。
他県の大学に通うなかで、地元が同じという、盛り上がること間違いなしの共通点を持ったわたしたち。仲良くなるのに、時間はかからなかった。
それからは、長くて退屈だった帰りの電車が、Kちゃんと笑ったり、疲れて一緒に眠ったり、楽しくて、充実した時間になっていた。
◆◆◆
そして、2013年、春。
わたしたちは無事に大学を卒業した。
就職したのは、2人とも関東の会社だった。
学生時代と変わらず、卒業後もちょくちょく連絡を取っていたわたしたち。「このあいだ、こんなことがあってね」なんて、気軽に会っては、近況報告に花を咲かせていた。
◆◆◆
そんなわたしたちは今年、31歳になる。
つかずはなれず、かれこれ10年以上の付き合いだ。
Kちゃんは、29歳のときに結婚した。授かり婚だった。
独身の私と、新婚のKちゃん。しかも、Kちゃんは妊娠中。「これから、だんだん会わなくなっていくのかな」と、勝手にさみしく思っていた。
でも、そんな心配をよそに、わたしたちの距離感は全く変わらなかった。
「蔦屋書店行ってみたいなー」
「上野の美術館でムンク展始まってる」
「バカリズムの単独ライブチケット取れたわ」
こんな調子で、どちらからともなく誘い合い、月に1回くらいは会っていた。
「ライフステージが変わると、女は仲良くできなくなる」なんて呪いを唱えるひとがいるけれど、わたしたちの仲は、そんな呪いにかかることはなかった。この事実に、わたしはとても誇らしい気持ちになった。
◆◆◆
2019年の11月、Kちゃんが無事、赤ちゃんを産んだ。
LINEに届いた「無事に産まれたよ~」の文字と、ちょっと照れくさそうな顔文字。Kちゃんが、お母さんになった。なんだかそわそわして、鼓動が早くなったのを、今でも覚えている。
出産から2か月が経った、2020年の1月。
わたしは出産祝いを両手に、わくわくしながらKちゃんの新居を訪ねた。
まだまだ、コロナは対岸の火事のよう。
「怖いね」と言いながらも、どこか他人事だった。だってまだ、「国内で初の感染者が確認されました」というレベルだったから。そのときのわたしたちには、目の前の赤ちゃんの泣き声の方が、大きな関心事だった。
「またね!次はお花見かな~」
そう言って、その日はKちゃんと別れた。
◆◆◆
それから、世の中があんなことになって。
2021年4月。気を付けながら外出をしようという雰囲気の今もまだ、Kちゃんに「会おう」って言えずにいる。
ライフステージが変わると、女は仲良くできなくなる――。そんな呪いはどこ吹く風だった、わたしたちの固く強い仲。会えなくたって、気持ちの距離は変わらないけれど。
「会おう」って、気軽に言えない。
変わってしまった日常に、イラついている自分がいた。
会おうと言ったら、Kちゃんはきっと「いつにする?」って言ってくれる。でもわたしは、「自分が無症状なだけで、Kちゃんに、子どもに移してしまったら?」という思いが消えなかった。これじゃ、会っても100%の気持ちで楽しめない。
「このまま離れていくのは、さみしいな」
その気持ちは、2人とも一緒だったと思う。会わない時間、つぶやくように送り合っていたLINE上のひとこと、ふたことが楽しかった。
「鬼滅ブーム乗り遅れた」
「今日はいよいよM-1決勝戦だ」
「この動画おもろいから見て」
そうは言っても、「やっぱり会いたいなぁ」そんな風に思う気持ちも、なくなりはしなかった。
◆◆◆
コロナの猛威をとめるため、初めての緊急事態宣言が出されてから約1年。ウィズコロナの生活にようやく慣れてきた、最近のわたし。
もともとインドアだったこともあり、今まで以上に家にこもって、本ばかり読んでいる。誰かとスキを共有したくなって、読んだ本の感想をnoteに残すようになった。
先日、これまでに読んだ本も記録しておこうと思い、本棚の整理をしていると、ある本に目が留まった。本屋さんで、Kちゃんにおすすめされて買った本だ。
ひさしぶりに読み返してみたら、不思議な気持ちになった。
なんだか、Kちゃんと会話しているみたい。
人が誰かに本をすすめるとき、その本には、その人の思想や人柄、感情、いろんな要素が乗せられているように感じる。言葉が無くても、そばにいなくても、同じ時間を共有している感覚が、たしかにそこにあった。
そうだ、本を贈ってみたらどうだろう――。
そんな風に思った。わたしが感じたこの気持ち、Kちゃんもきっと感じるはず。そして、ふと、むかしKちゃんが言ってくれた言葉を思い出した。
「ねこちゃんがしてくれる本の話は、いつも面白いね」
「こういう本好きだよね!ねこちゃんらしさ全開だよ」
わたしのスキが、大好きなKちゃんの楽しいにつながったら。「わたしらしい」って、面白がってくれたら。どんなに嬉しいだろう。
あの時のKちゃんの「面白い」と言ってくれた笑顔を思い出して、手紙じゃ伝えきれない気持ちを、本に乗せて伝えたい、そう思った。
◆◆◆
春。新しいことを始めるきっかけをくれる、そんな季節。
Kちゃんに、わたしらしく、大好きだよって気持ちを伝えられる本はなんだろう。そう考えるだけで、なんだか温かい気持ちになることは、嬉しい発見だった。
この春やりたいこと。
それは、大好きな友人に、気持ちを伝える1冊を贈ること。
これからの人生、わたしたちの間には、なんども危機が訪れるだろう。いろんな要因が重なって、会わなくなる時期もあるかもしれない。
でも、離れていたって、同じ時間を共有する手段がある――。この気づきは、きっと私たちの人生を、これまでよりも豊かにしてくれるはず。
ライフステージの変化にゆるやかに順応するように、変わっていく時代に順応するように、折に触れて、大切な人に本を贈る。
この春は、そんな新しいコミュニケーションを始めたい。