昭和20年は夏を境に多くの人の立場が大きく変化した。人は社会性のある生き物だ。立場で物事を考える。生活ということに限れば、変わり身の早い方が「有利」なのかもしれない。戦中戦後で世相がどのように変化したのか。内田の『東京焼盡』は8月21日までなので、この点については山田と内田の比較はできない。
因みに、内田はその8月21日をこう締めている。
『東京焼盡』は日記の形式だが、執筆されたのは戦後数年を経てからであることを割り引いても、焼盡となった東京で暮らしているにしては明るい文章だ。それは前日8月20日に灯火管制が廃止され、空襲が無くなったということが実感されたであろうことと無関係ではあるまい。上に引用した最後の文は太田道灌の歌で、「急いては事を仕損じる」とほぼ同義だ。事を急いで戦争を始めたが、事態は変わりこれから世の中は落ち着くだろう、というようなつもりで書いたのではあるまいか。
確かに、戦後、日本は急速な復興を遂げた。それで我々の今がある。振り返ればあっという間のことかもしれないが、「鬼畜米英」「天皇陛下万歳」から「民主主義」「人権」「平和」への転換の渦中にいた当事者たちは精神の拠り所をどのように見出したのか。山田の9月2日の日記にはこうある。
しかし、その「自覚」とやらもどれほど確かなものなのだろうか。「自分」もひっくるめての「夢」ではないのか。「私」なんて幻想だろう。還暦を前にして、その向こうには死しかないのでそう実感するのかもしれないが、この60年は何だったのだろうと少々唖然としている。
10月に入るといよいよ世相は進駐軍に靡く。10月16日の日記にはこんなことが書いてある。
10月19日の日記の一部。
戦争は異常事態ではない。我々の歴史の一部でしかない。何かが狂ってそういうことになるのではなく、始終狂っているからそういうことも当たり前に起こるのである。生きることは綺麗事ではない。その時々においては何かに強烈に拘ったりするものなのだが、過ぎてしまえば嘘のように余所事に感じられるものである。だが、生きることは、そういう「拘り」の連鎖であることも現実である気がする。そもそも心静かになどという想いも幻想とか夢の類なのかもしれない。