『道の手帖 今和次郎と考現学』 河出書房新社
学生時代は経済学部で経済史のゼミにいた。経済史に興味があったわけではなく、いわゆる「楽勝」だったからだ。そのゼミでの「必読文献」のようなものがずらずらとあって、その中に今和次郎の著作もあった。その関係でドメス出版の「今和次郎集」の『民家論』と『住居論』は手元にある。確か、大学生協の書籍部に注文をして手に入れたと記憶している。さっき本棚の奥からこれら2冊を引っ張り出してみたら、箱はそれなりに時代が付いたが、中の本そのものは時が止まったかのようだった。要するに、読んだ形跡が無い。「楽勝」ゼミで「必読」は意味を成さない。
それでも「今和次郎」という言葉は頭の中に引っ掛かっていて、大学を卒業して27年後の2012年にパナソニック汐留ミュージアムで開催された「今和次郎 採集講義」という展覧会にも足を運んだし、こうして卒業37年後にこんな本に手を伸ばしたりもする。今から思えば無理をしてでも「今和次郎集」は9巻全部を揃えておけばよかったかなとも思う。実は「今和次郎」の名を冠した本を読了したのはこれが最初なのだが、とても面白かった。でも、今読むから面白いと感じるのであって、若い頃ならそもそも読了できなかったと思う。
今和次郎は美大の図按科に学び、長らく早稲田の理工学部建築学科で教壇に立った。佐藤功一教授の誘いで「白茅会」に参加し、それが縁となって柳田國男の調査に同行して各地の民家のスケッチをするようになった。「考現学」というのは今の造語で、考古学に対して現在の人々の暮らしを研究するという意味だ。一般の人々の暮らしを研究対象にするということなら民俗学と何が違うのか、ということになる。実際に、柳田からもそういう指摘を受けたらしいが、今には今の「考現学」へのこだわりがあったという。
今の仕事で特筆すべき特徴はスケッチによる記録だろう。美大に進学するような人であった所為もあるだろうし、まだカメラが気軽に使える時代ではなかったという事情もあるかもしれない。しかし、一般の人々を相手に聞き取りをしたり、生活風景を記録したりする時に、録音機やカメラといった機械類を取り出したら、聞き取りを受けたり生活風景を晒したりする側は緊張したり警戒したりしてナマの状態から離れてしまう。そこはメモやスケッチの方が相手との間の仕切りを緩やかにして、実態に近い観察をするには都合がいい。フィールドワークは観察する側とされる側との間に信頼関係がなければ成立しない。観察される側が観察者の手元のメモやスケッチを覗き込むことで観察者に対して良い意味での関心が芽生えるということもあったと思う。
フィールドワークと言えば、民俗学だけでなく民族学の方にも共通する。事実、今は梅棹忠夫とも交流があったようで、本書にも梅棹が文章を寄せており、梅棹以外にも久保正敏、近藤雅樹といった国立民族学博物館の研究者が寄稿している。
民俗の方では、本書のシリーズで宮本常一の特集本を読んだ。宮本も当然、柳田と関係がある。
また、一般の人々の暮らしを研究対象にするという点では民藝運動とも通じるところがある。本書では美術史家の土田眞紀が寄稿している「日本の近代工芸と今和次郎」の中で「今和次郎と柳宗悦」という章を立てて民藝との関連を書いている。
国立民族学博物館も日本民藝館も、私は友の会の会員だ。民族学博物館の友の会は入会してから今年で15年目を迎えた。民藝館の方はもう少し長い。民族学博物館の広報誌である「月刊みんぱく」や友の会の機関誌「季刊民族学」の記事をネタにnoteに記事を書くこともある。東京で暮らしているのに大阪の民族学博物館の友の会に入会しているのは、初代館長の梅棹忠夫の著作を読んで好きになり、何か縁が欲しいと思ったからだ。民藝館のことは以前の勤務先の同僚にそういうものがあることを教えてもらって、今時こんな場所があるのかと感心してすぐに入会した。どちらの博物館も展示されている物や館内の世界観が気に入っているということはもちろんだが、どちらもいつ行っても空いているのがたまらない。民族学博物館の方は大阪なので年に1回行けるかどうか、というのが少々残念ではある。民族学博物館の近くに大阪日本民芸館があるが、ここもいい。
「自分」などというものも時間が経てば他人の一人だなどと無責任なことを思わないでもないのだが、やはり繋がっているところもあるようだ。今これを書いていて思ったのだが、学生時代のゼミから今日に至るまで、今和次郎であるとか、民俗や民族への関心であるとか、民藝への興味であるとか、自分の中の価値観とか世界観に通底するものがあるらしい。
無責任といえば、今は世間がすっかり無責任になった気がする。そんなことできるわけないだろう、と思うようなことが「コンプライアンス」だとか「説明責任」だとか何だとかんだとか言って当然のように要求されるようになった。結局、人の暮らしとか在り方を生き物としての総体ではなく、事細かに分解というか粉砕というかバラバラにして、その断片を取り上げて「最適」を求めることで何事か「正しい」ことをしている気になるのだろう。命ある総体を解剖して細かく部位に分けて「研究」し、あたかも標本のようにして理路整然とした説明を拵える。しかし、標本を繋げたところで、そこに命はない。標本を繋ぎ合わせた別の標本が出来上がるだけだ。標本毎に「専門家」とか「プロ」が尤もらしい分析を行うのだが、それが元の姿から切り離されて命を失ったものであることを了解した上でのことなのか、切り離されたものだけを見てのことなのか、誰も気にしている様子がない。総体や個々の関係を無視して目の前の表層以外に興味や関心を示さない。そんなところに価値が生まれるはずがないのだが、それでいて「貧困」だとかなんだかんだと騒ぎ立てる。不思議なことである。
最後に本書の中で今の言葉を備忘録として書いておく。
この農村と軍隊の関係はほぼ一般常識だろう。やっぱりそうだよな、という確認の意味で引用しておく。先日、noteに書いた『拝啓天皇陛下様』という映画はまさにそれがテーマのひとつだったと思う。映画で思い出したが、新藤兼人の遺作である『一枚のハガキ』のハガキの主もそういう農民だ。主人公が死を覚悟した戦友から預かったハガキを、復員後にその書き手である彼の妻に届ける場面に登場する農村の住まいは土間と板の間が目立つ間取りだったと記憶している。ロンドンのキュー・ガーデンの日本エリアにある古民家は1950年代まで豊橋で使われていた農家の建物だが、やはり土間と板の間中心の間取りだ。農家という社会の食生活の担い手の暮らしがこれで良いのかと思わずにはいられないが、そう思わせるような状況があるということが問題なのだと思う。
グローバル化とやらで人種や民族を超えて人は誰もが同じように思考するものと思われている節がある。元を辿れば一つではあるのだろうが、何万年もかかってそれぞれに多様な生き方を生んできたのだから、その蓄積を蔑ろにして物事を考えてよいとは思えない。しかし、現実は単純な方へ、安易な方へと自然に流れるものだろう。社会心理もグローバル化するのだろうか。
しばらく前から世間では「断捨離」が目指すべきことであるかのように言われるようになった。人間に感情がないかのように家の中を片付けることで、暮らしが「整う」かのように見えるらしい。一方で「ゴミ屋敷」での孤独死というのもよく聞くようになった。双方に因果関係があるとは思えないのだが、話題としての盛り上がりが呼応しているかのように感じる。あまり他人様の家に伺う機会はないのだが、片付きすぎているのも、散らかりすぎているのも、どちらも病的な気がする。
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