「福岡てらこや」で、子供の可能性を開く場をつくる。”新里 美帆さん”
新里 美帆さんのプロフィール
出身地:福岡市
活動地域:福岡市
経歴:”福岡女学院高等学校”卒業。と同時に、ダブルスクールとして通っていた、”BE-STAFF MAKE UP UNIVERSAL”を卒業。同校に入社。退職後、ヨガインストラクターになり、東京へ行く。出産し、東京で3.11を経験。その後、線維筋痛症を発病し、治癒のため福岡に戻る。治癒をした経験を基に、”福岡てらこや”を開く。
現在の職業および活動:
・YOGINI ヨガと子供未来教室
・福岡てらこや“あそび”
・Yin yoga teacher
・ペインケア
座右の銘:自由自在
「”てらこや”を通して、日本に”私教育”を再生させたいと思っています。」
Q1.新里さんは、どのような夢やビジョンをお持ちですか?
新里 美帆さん(以下 新里 敬称略)
”てらこや”を通して、日本に”私教育”を再生させたいと思っています。
今の学校教育は、”公教育”という、国力をあげるために必要な教育です。公教育が必要な時代はありましたが、今は日本の国力も強くなったので、今の教育が合わない人も増えているように感じます。
そもそも、昔からあった寺子屋は、 家庭、地域でお互いに学びあうことで、心も豊かになっていました。また、教える人は、近所の得意分野をもった女性だったんですね。母性的な教育の良さがあったのだと思います。
私教育も選択できたら、人間本来の可能性も伸ばせると思います。最近は寺子屋やフリースクールで、知識だけではなく、人間の個性を活かす場づくりは活性化されてきていると思います。私もそれに大賛成なので、「福岡てらこや」をつくり、教育のバランスをとりたいと思いました。
”てらこや”で、いっぱいの子供たちに囲まれながら年を重ねて、最後には孫たくさんのおばあちゃんになりたいですね。
「子供たちひとりひとりが可能性を伸ばせる様な、場と、人を提供しています。」
Q2.夢やビジョンを具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?
新里 私の仕事は、風みたいにつかみようの無いもので、ひとりひとりの子どもたちに合わせて土台や土壌をつくっています。そこから、可能性を発揮してほしいと思っています。
子どもたちを観察していると、ひとりひとりに個性があります。 同じことを言って伝わる子もいれば、伝わらない子もいます。 だからこそ、よく観察して、 その子が一番光り輝くにはどうしたらいいのか?どうしたら伝わるのか? を観ながら伝えています。
子供たちは、学校と家だけの世界になりやすく、その中で孤独になったり傷ついてる子も多くいます。そういう子たちが、自分のことを理解してくれる大人と出会うことで、心の苦しみが消え、「この人が居るなら、生きていける。」って思うんです。また、自分の生き方の見本となる大人と出会うことで、未来に希望がみえ、よりイキイキと可能性を発揮してくんですね。私は、子供たちが自分の可能性を自ら見つける姿をみるのが本当に嬉しいです。
「事故で寝たきりで絶望の中、固定観念をどんどん手放し発見した世界。あの時、私は一度死にました。」
Q3.そもそも、その夢やビジョンを持ったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見や出会いがあったのですか?
新里 自身の病気や事故を通して、とても苦しみましたが、同時に大きな発見と出会いました。
幼いころから体が弱く、病気がちでした。そんな私が結婚をし、出産、子育てをしていました。なんでも一生懸命取り組む性格から、知らず知らずのうちにストレスがたまったんでしょうね。線維筋痛症(せんいきんつうしょう)という体に激痛が走る病気が発病しました。毎日、体に激痛が走り、生きていることが地獄のようでした。
更にそのタイミングで、交通事故にあい、「もう死ぬかも!」という位の重症を負いました。私にとってはとても大きい事故で、その時、臨死体験の様なものを経験しました。意識があいまいになりながら、「死んだら何も持っていけない。だけど、記憶だけは持っていける。」という事に気づきます。
その後、命は助かりましたが、体は動かせなくなり、3~4ヶ月寝たきりの生活を送ります。本当に苦しくて、「死にたい」と何度も思いました。けど、私には子供がいる。子供が好き。死ぬわけにはいかなかったんです。だから、生きる方法だけを模索しました。
「どうせ、死んだら記憶しか持っていけないだ。」「だったら、手放せば良いんだ。」と思いました。
それまでは、私の中には、ちっぽけなプライドや執着が沢山ありました。けど、そのプライドや執着が私を傷つけていたことに気づきます。そのプライドや執着を一個一個手放していきました。
旦那と一緒にこうしたかった。けれど、「来世でいいや。」
息子と、こうしたかった。けれど、「これも来世でいいや。」
どんどん手放していくことで、考えがシンプルになっていったことを覚えています。一番最後には「全部いらないんだっっ!!」という、究極な発見にたどり着きました。
その瞬間、ものすごい自由な心に解放され、
「何も無い事が、こんなに幸せなんだー!」
「何とも戦わなくて、このままでいいんだー!」
そと、ものすごい歓喜と感動で、心から楽になれました!
とにかく、もの凄い感動だったので、「もう、あの地獄には絶対に戻りたくない!」と思いました。私は元々、深く考える人間だったので、それが苦しくて病気にもなってしまっていました。けど、母と息子は私の真逆で、めちゃノー天気なんですね。身近にお手本が居たことに気づきました。彼らからヒントを得て、徹底的にマネをして自分の内面を書き換えました。そうしたら、驚くほどに病気もどんどん良くなり、治ったんですね!!
「これで、どんな病気も治る!」と、確信しました。
この感覚を親子に伝えることで、子供たちの個性が発揮されて、その子供たちが大きくなったら、そういう教育をしてくれると思い、”てらこや”を始めました。
私の体が死んだとしても、意志は伝わって行く。そんな、「サグラダ・ファミリア」の様に、みんなで創っていきたいです!
「嘘をつけない。人に合わせれない苦しみ。出会いを通して見つけた光。だから私は”てらこや”をやります」
Q4.新里さんが病気の中で大きな気づきや発見をされたのには、どんな背景があったのですか?
新里 そうですね。私は、幼いころから感受性が強く、人が言っている嘘や裏表に気づくようになり、それに対して、いつも「どうして?」「なんで?」と、疑問をもっていました。内面と外面が違う人に違和感を持ち、嘘ついている様に見えて恥ずかしいと思っていました。そんな私は、小学校の時、「自分と人は違う」と感じ、必死に人に合わせていました。けど、どうしても合わせる事が苦痛で、友達をつくるのも大変だったんですね。
「私は人と違うんだ。合わせれないんだ。」と、どんどん自己否定や、劣等感が膨らみ、自分の中にどんどん靄がかかっていき、生きるのが辛い毎日でした。
そんな中で、高校生の時に、メイクの学校の先生と出会いました。先生と出会って、私は初めて私のことを理解してもらえて、涙が出るほど嬉しかったです。 それまで、本当に生きることが苦しかったけれど、先生との出会いによって、「私は生きてても良いんだ!こういう生き方で良いんだ!」って、初めて希望を持てました!先生から受けた教育が私にとって生きる場所をつくってくれる程に嬉しくて、「私もそういう場をつくりたい!」と思うようになりました。
その後、病気の時の経験で、全てを手放したことで、やっと自分の心に正直に生きる道を見つけることが出来ました。
ただ、私は、自分の生きる道に出会うのに40年もかかり、大分時間をロスしていると思います。「神様のイジワル。さっさと教えてよ。」って思いました(笑)。だから、早めに気づけるように、”てらこや”で親子に伝えていきたいって思いました。
どんな子供にも、どんな人にも、必ず光があります。その光を発見し輝かせて行くことに、これからも命を投じていきたいです。
記者 新里さんの背景のお話はとても驚きました。心の中の苦しみを自らの力で突破して、新しい生き方に転じる経験をされたからこそ、人の痛みも共感できるし、新しい生き方に導いてあげれるのだと思います。ひとりひとりが個性を開花できる教育によって、社会が明るくなると思い、とても楽しみです!貴重なお話をありがとうございました。
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Facebook:https://www.facebook.com/miho1976
【編集後記】インタビューの記者を担当した熊倉と平城です。
ご自身の力で、とらわれや執着から自由になり、本当の自分を発見された新里さん。彼女は、全く執着が無く、子供たちの個性を開きたい一心で、「福岡てらこや」をされています。彼女の生き方は、利他の心そのもの、全てを愛する母性そのものだと感じました。貴重なお話を本当にありがとうございました!!
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この記事は、リライズ・ニュースマガジン “美しい時代を創る人達” にも掲載されています。
https://note.mu/19960301/m/m891c62a08b36