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ファー(毛皮)第667話・11.20

 一段と寒くなったこの日、いよいよ冬将軍が街を覆ったのか、上からあるものを羽織る女性が増えてきた。それは毛皮。だがその毛皮を着こなしながら町を歩く女性に対して否定的な存在がいる。
「ふん、ばかばかしい。自分の物でもないのに、わが物のように来ているわ」
 その存在は、軽蔑のまなざしを待ちゆく女性たちに浴びせる。だが女性たちは存在に気付いていないのかまったく気にしない。
「どいつもこいつも、だいたいね。どういう理由か知らない。あいつら頭の上とか一部しか毛が生えないらしいけど、だからと言って、他の動物のものを毛の部分だけ借りて自分のものにしているなんて恥ずかしくないのかしら?」存在は、もちろん人間ではない。人間と同じ町に住みながら、今は4つ足で歩くものである。

「あ! 喋ってる?」突然視線があったかと思えば、ひとりの女の子が、こっちに来た。「しまった」存在は慌てて身を隠す。油断して声が出たようだ。素早く隙間に逃げる。「あぶねえなぁ、油断したよ全く」存在はしばらく静かに、視線の合った女の子が行き過ぎるのを待った。女の子は小学生にも入っていない幼稚園児くらいだろうか? 付き添いのように母親らしい人物の姿を見た。ちなみにふたりともおそろいの色の毛皮のマフラーを首に巻いていた。
「また、おかしなこと言って。あなたはいつもそうね。動物がしゃべるのは絵本や漫画の世界よ」
 母親は、女の子の右手を握ると、引っ張るように前に行く。女の子はどうも存在を探そうとしているが、体がどんどん母親に引っ張られる。しばらくすると諦めたのか、前に振り向きそのまま母親と去って行った。

「ふう、危うくばれるところだったぜ」存在は、完全にふたりの姿が消えるのを待ってから外に出た。「人間の言葉を話すなんて彼らにバレるとまずい。彼らの前では鳴き声でごまかすのが掟」
 存在は、人間のいるところから離れることに決めた。

「ねえ、本当に猫がちゃべったよ」「もういいわ、その話は」女の子はまだ存在の方を見ていた。存在はうかつに外に出られない。母親はあきれた表情でそこから引き離そうとする。女の子の視線は存在の方に向けたまま、存在はベンチの後ろに隠れて固唾をのむ。
「いい加減にしなさい」母親は声を張り上げると、女の手を強引に引っ張る。女の子は不快な表情を浮かべるが、大人の力にはかなわない。そしてそのまま母親とともに存在から離れていった。

「ふう、去ってくれたか」存在はゆっくりとベンチから出てきた。大きな欠伸をする。「いや待てよ。まだ近くにいるかもしれない。油断してはいけないな」存在は声を出すのをためらった。こうしてしばらく警戒していたが、いつまでたっても女の子の姿はない。「本当に帰ったようだな」存在は安心したが、同時になぜか寂しさが沸き起こった。

「せっかく、気づいてくれたのに、いないとなったら寂しくなっちまうぜ」存在は複雑な気持ち。間もなく日が暮れる。今日はベンチの下で眠ることにした。

ーーーーーー

 翌日、存在は女の子が来ていないか確認している。いない。「やっぱりいないか。うーん、ちょっと後悔だ」昨日までのように街歩く人が毛皮をしていても、それを気にすることはない。なぜか女の子の存在だけが気になっている。「一体どうしたってんだ。初めて気づいてくれた勘の鋭い子だからってしつこいぜ」

 やがてお昼前になると、存在が待ち焦がれていた女の子の姿が現れた。そして母親ではなく、中学生くらいの男の子が一緒だ。「本当に、猫がしゃべったのか」「うん、間違いない。ママはダメ。でも兄ちゃんなら」「ああ、わかった。探してみるよ」どうやら兄を連れてきて、存在を探すという。存在は、突然気持ちが期待と不安で高揚する。「おい、来てくれたよ。こうなったら正体を現すべきか」存在は、いよいよベンチからふたりの前に出ようとした。だが突然「ダメだ。それはできない」存在はためらった。
「目の前に出てしゃべったら、女の子は喜ぶかもしれない。だがそれをすれば間違いなく、大人の人々が大騒ぎし、捕らえられてしまうだろう。そして研究所に連れていかれ、様々な実験の素材にされるだけだ」

 存在は、わかっている。実は猫の格好をしているだけで猫ではない。もっと高知能な生命体。あくまで今は猫の体を借りているだけだ。
「やっぱりいないよ。疲れたからちょっと休もうか」兄は、女の子とともにベンチの前に来た。そしてベンチに座る。存在の目の前に女の子がいた。存在はどうするか迷っている。出るべきか隠れ続けるべきか......。
「あ、」存在は女の子の首を見た。首には毛皮のマフラーをしている。「そうだ!」存在はあることを思いつくと、魂だけが猫の体を飛び出し、女の子の毛皮に突撃した。

ーーーーーーー
「さて、改めて探そうか」兄がそういうが女の子は首を横に振った。「お兄ちゃんもういい」「え、いいのか」「うん、おうちに帰ろう」そういうと女の子は先に探すと家に向かって歩いていく。兄もその後を追いかけた。
「こういう手があったんだ。もうしゃらべられねぇけどさ」存在は女の子の毛皮のマフラーの中に宿っていた。そして女の子も、そのことに気づいたらしい。

 そしてベンチの後ろでは存在の魂が抜けた猫の体が亡骸のように横たわっていた。だが死んだのでない。存在が抜けたことで、眠っていた本来の猫の魂が起き上がる。こうして目覚めてひと鳴きした猫は、大きな欠伸をすると、何事もないようにベンチから立ち去るのだった。


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シリーズ 日々掌編短編小説 667/1000

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