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「戸」の町へ   ~都道府県シリーズその2 青森~

「飛行機なら1時間かぁ。でもなかなか足が向かないのね」そんなことをつぶやいたのは四戸美咲。彼女は青森空港のターミナルのバス乗り場にいた。
 ここから市内青森駅行きのバスを待っている。

 都内に住んでいる美咲は、青森県八戸市出身。しかし父親の転勤で美咲が10歳のとき、両親とともに東京の江戸川区葛西に来た。それは2003年の3月のこと。前年12月に東北新幹線が八戸まで開通した直後であった。
 そして真新しい八戸駅を出発する新幹線は、東北の田園地帯を警戒に駆け抜け、3時間弱で東京駅に滑り込んだ。

 美咲は都内の小学校に転校。ところがそのときに馬鹿にされたことが、今でもトラウマになっていた。
「青森の八戸(はちのへ)からきました、四戸(しのへ)です」と自己紹介して席に着くと、耳元から聞こえてくる。「『へ』から来た『へ』さんだって。なんか臭そう」
「お、地図見ると、青森の近くにはいっぱい『へ』があるよ」「え、あ本当だ!青森って『へ』ばっかで臭いんだ」

 確かに八戸の周辺には多くの戸(へ)があった。一戸から九戸まであり、多くは青森にあるが、一部は岩手にある。 
しかも彼女の苗字である四戸は、なぜか地名にない。「あれ、『へ』が1から9まであるのに、4だけない」「なんで?それって『へ』の中でも、『4』は特に臭いから消されたのかな、ケケッヶケ!」

「あの日は本当に学校からの帰り悔しくて泣いたわ。地名も苗字もあそこまでけなされるなんて。八戸駅では新幹線の駅が出来たとき、みんな名前に誇りを持っていて、本当に嬉しそうだったのに」美咲は過去のトラウマを思い出したこと、そのことで急激に怒りが沸き起こる。そして目をしかめて顔を伏せる。

「ああいやだ。戸って何よ! 悔しくて両親にそのことを言ったら
『東京の子供は頭が悪いな。そもそも我が先祖は、甲斐源氏南部氏流の一族、四戸氏だ。昔は殿様だった名家で城に住んでたんだぞ。戸(へ)という響きだけで馬鹿にする同級生たちは、何も分かっておらん。大人になれば、それが馬鹿げたことに気づく。ほっておきなさい』と言って励まししてくれたけど」
 と、小声でつぶやきく。するとすぐ横にいた1歳年下の彼、佐川大貴が「美咲ちゃん。まだそんなこと気にしているの。俺はお父様と同じ考えで、そんなの子供が何もわかっていないだけだよ」と慰めてくれる。

 いじめと言ってもこの程度のからかいで終わった。あとは同級生と打ち解けられた美咲。しかし来たばかりに受けたこの洗礼は、彼女の心奥深くに突き刺さったまま。
「私が子供のころまで過ごした八戸は町中に住んでた。確かに東京と比べれば話にならないくらいの田舎。それはどうでも良いの。でも地名でいじめられるなんて、子供って本当に残酷だわ」
「確かに子供はな。大人なら言えないことを正直にズケズケというよ。俺も美咲も、子供のときにはどれだけの人を傷つけたかわからないや」

 美咲は大人になった今でも、この「からかい」の記憶が心の奥底に突き刺さっている。すぐに思春期の頃と重なったから嫌な気持ちだけが大人になるまで残った。最もひどいときには、故郷に対して多少の恨みすら持つほど。
 だから当時の美咲は、東京の言葉・アクセントを必死に覚えて青森出身であることを隠そうと努力した。

 さすがに大人になってからはそんな気持ちはないが、両親が八戸に帰るといったときも「何で?」と疑問に思ったし、ふたりが帰ってからもなかなか八戸に行こうという気がしない。だからいつも両親を訪ねるときは、八戸ではなく、青森市内か盛岡市内まで両親に来てもらって、ホテルで一緒に過ごすほど。
「最後に八戸に帰ったのは3年前。本当は帰りたくないけど、今回ばかりは仕方がないわね」
「おいおい、そんなこと言うか。美咲ちゃんの生まれた町を俺にも見せてくれよ」と大貴。美咲は黙って大貴に体をよせる。

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 横にいる大貴は同じ高校の映画部の後輩。そのときは別に単なる部員の先輩後輩という関係というだけで、特段仲が良いわけではなかった。そしてお互いの記憶はほとんど残らないまま別々の道に進む。
 美咲の両親は、5年前に故郷の八戸に戻った。都内の会社に就職していた美咲は、そのまま江戸川区葛西でひとり暮らし。

 その後3年前、偶然に映画館で美咲と大貴が再会することになる。
「あれ、ひょっとして四戸先輩ですか?」と声をかけてくる若い男性がいた。
「えっと」戸惑う美咲。「あ、佐川です」ここでようやく美咲は声の主がわかった。
「え?佐川君。まさかこんなところで」

 千葉の船橋に住んでいるという大貴との再開。懐かしさのあまり、上映が終わってから、ふたりは近くのカフェに立ち寄った。そしてそれがきっかけで交際がスタート。
 そして先月ついに大貴が美咲にプロポーズ。美咲は了承する。こうして将来を共に過ごすことを決めたふたりは、八戸に住む美咲の両親のもとに挨拶のため青森に到着した。

 青森空港からなら青森駅までバスに乗り、そこから鉄道に乗れば八戸に2時間近くで到着。しかし大貴は初めての青森と言うことに加え、美咲の両親に挨拶という大きな壁を前に戸惑いがある。「できれば十和田湖で一泊しよう」と言い出した。
「え!もううちの両親そんなに怖くないわ。あいさつの後からのほうが良くない」と諭すも、大貴は先に十和田湖に行きたいという。
 ということでこの日は十和田湖に行き、そこで1泊。午後に八戸に向かうことになった。

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 空港からバスに乗り、お昼前に青森駅に到着。ここで少し早い目の昼食をとった。そして13時過ぎに出発するバスに乗って十和田に向かう。
「ああ、3時間かかるのか。結構遠いわね」美咲は静かにため息をつく。
「ということは16時過ぎに到着。すぐにホテルチェックインだね」と大貴。
「ごめんね。本当は湖の遊覧をするとか、十和田名物のバラ焼きとか湖で取れたヒメマスとか食べられるお店を昨日チェックしてたんだけど、時間的に今日は無理みたい」

 美咲は計画通りに事が進まないことを少し悔やむ。だが大貴は口を緩ませ、笑顔で美咲を後ろから腰に手を置く。「いいよ、多分ホテルの夕食でそのあたり出るんじゃないかな。明日早起きして午前中に遊覧船に乗ろう。御実家は... ...」「ああ、それは大丈夫。夕方に着けば十分だから。私はあとで実家の両親に連絡しておくから気にしないで」

 青森市の中心部から十和田湖までは車で飛ばしても2時間弱かかる。そしてバスは、八甲田山や奥入瀬とかいろいろなところを経由する。だから3時間かかってしまうのだ。
 バスは青森市内からやがて山の中に入っていく。「俺、仙台から北に来たことがないから全部新鮮」と嬉しそうにバスの車窓から見える木々の緑を眺める大貴。
「大貴ちゃんが嬉しそうで良かった」と笑顔の美咲。とはいえ東京に引っ越す前、かすかな記憶で両親と十和田に来て以来の十和田湖。彼女もまた当時と今との違いを確認できるかと内心期待を持っていた。

 いろいろな経由地を通りながら十和田に向かうバス。子の口と呼ばれるバス停を通過すると、木々に阻まれながらもいよいよ右手に十和田の湖面が見えてきた。「おお、これが十和田湖か。思ったより大きいな」と大貴は嬉しそうに車窓を眺める。

 そしてほぼ予定通りの時刻で、バスは十和田湖のバス停に到着した。
「ホテルはバス停の近くよ」「うん」
 こうしてふたりはそのままホテルにチェックインした。通された部屋はレイクビュー。十和田湖の美しい湖面がゆったりと見渡せる。
 大貴は嬉しそうに窓越しにスマホを構えた。その後ろで美咲も懐かしそうに見つめる。湖面は想像以上に大きいそして天気が良いためか、鏡のように波もほとんど見えない。そして青くて静かである。
「えっと20年ぶりくらいかしら。私が小学生のとき以来ね。ああ、でもこんな感じだったのか。もう記憶が曖昧。私は風景より湖畔に羽ばたいていた蝶ばかりに目がいっていたから」

 あとで両親から聞いた話では美咲が3歳のとき、1996年に十和田湖で世界昆虫博が行われ、それにも行ったそうだ。でもそのときの記憶はない。ただその後小学生に入ったころの夏休みに、十和田のキャンプ場に親子3人でいった記憶だけははっきり覚えている。蝶のこともそのときの記憶の断片だ。

「明るいうちにお風呂に行こう、そうしたら後でゆっくりできる」と大貴はずいぶんテンションが高い。初めてのところに来た喜びもあるのだろう。でも美咲には、それ以上に翌日に彼が初めて実家の両親に会うことへのプレッシャーが強いのではと考えてしまう。
「そうね、それがいいわ」美咲は同意し、一緒に部屋を出た。

 大浴場は温泉である。そして美咲は開放的な空間でゆったりとくつろいだ。
「十和田湖って、思ったより良いところだわ。あれだけ大貴ちゃんが喜んでくれてよかった。このタイミングで、あのトラウマが少しでも... ...」
 開放的な大浴場の湯船には時間帯が良かったのか、ほかの入浴客がいない。大浴場をゆったりと貸切ることができた美咲。湯船に身を寄せれば、お湯のぬくもりが少しずつ真意入り込む。そして「とろける」という言葉に相応しく、余計なことを館得られないようなゆったりとしたひととき。それだけで、無意識のうちに心の中に溜まっていた、あらゆるものが流れ出されたように思える。

 ただ、少し長居をしてしまったようだ。時計を見て美咲は慌てた。「あちゃ、入りすぎ。大貴ちゃん怒ってなければいいけど」と美咲はあわただしく大浴場から出た。
 恐る恐る部屋に戻ると、大貴はスマホを操作している。「ごめん、ちょっとくつろぎすぎて」「ああ、全然。それよりさ」と大貴は美咲にスマホの画面を見せてきた。

「なにこれ?文字ばっかで難しいいよ」その画面は、何か青森の歴史を伝えるもののようであるが、文章が多くて美咲はすぐ頭が痛くなる。
「やっぱりだめか、じゃあ説明するよ。これは青森の『戸』の由来について書いていある。平安時代に坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)が蝦夷征伐のためにこの地域にやってきたときに。このあたりに前進基地を作ったんだって。それで敵からの防御のために柵を設けたんそうだ。でこの周辺にいた原住民の人のことを「柵戸(きのへ)の民」と呼んで、9つの組に分けた。それが八戸とかの戸の元々の興りなんだってさ」
 
 大貴の思わぬ説明の前に、思わず両目が大きく見開いた美咲。
「ええ!、そうなんだ。いつの間にこんなの調べてたの?」
「だって、美咲のご両親に明日御挨拶するんだよ。ご両親の立場からすれば、大切な娘を嫁がせる男が何者かは気になると思うんだ。
 とすればだよ。をある程度前提知識を知っておいたほうが話がスムーズって思ったんだ。
 もし俺が将来父親になって子供をとなったときに、何もわかっていない男よりかは、ある程度郷土に興味を持っていたほうがいいよ。『おう、ちゃんと我が町を予習してきたのか』と言って受け入れやすかなって気がしたんだ。それさっき風呂に入りながら思いついた。だから美咲が戻ってくる間にちゃんと調べて置いておこうってね」

 大貴の説明に美咲の顔全体が緩む。「さすが大貴ちゃん。そういうところが好き。でも大丈夫。私の両親はそんな人じゃないわ。心配しなくても絶対大貴ちゃんのこと気に入ってくれるって」と言いつつ、大貴の空いている左手を両手でつかんだ。

 大貴は美咲の手を通じて、湯上りの温かい手を体で感じながら、嬉しそうに顔の表情を緩める。でもさらに何かあるらしい。
「ねえ、もうひとつあるんだ。これ見て」と、スマホを少し操作して美咲に見せる。
「何この写真。城跡あ、四戸城跡って」「そう、美咲ちゃんのご先祖様が住んでいたと伝わる城跡。有名なところのように立派な天守閣はないけど、やっぱり気になったんだ。だからご両親のあいさつが終わった明後日、帰りにここ寄ってみないか。で、二戸駅から新幹線で帰ろう」

 明後日は、八戸駅からそのまま帰るつもりにしていた美咲。突然の追加の予定である。「ああ、そうかああ、そ・そうね。大貴ちゃんのいう通りかも。トラウマになった四戸の源流。そう自分の先祖が住んでいたというのをらこの機会に見ておこうかな」「それがいいよ。今こそ小学生の嫌な思い出を吹っ飛ばそう!」

「うん、私は大貴ちゃんのところに嫁いだら苗字が佐川に変わるから関係ないと思っていたけど、トラウマだった四戸の名前に対して名誉回復したほうがいいわ。これ多分父に相談したら、県を越えてでも案内してくれる。歴史、それも自分の先祖のことだから絶対に」
「ああ、そうか。四戸氏のこと詳しく教えてくれるかも」「そうよ。絶対に喜ぶわ。でそのまま二戸駅まで送ってくれると思う。うん、そうしよう。大貴ちゃんありがとう」
 
 そういって美咲は大貴に抱き着くように体を寄せるのだった。



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シリーズ 日々掌編短編小説 286
 (都道府県シリーズ その2 青森)

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