定食に入っていたグリーンピースって
ここはある公共の図書館。大きな図書館なので、夕方まで営業している食堂が併設されていた。
「閉店になりました」「店長お疲れさまです」閉店を告げる還暦を控えた白衣姿の店長に挨拶するのは、パートで来ているエプロン姿の恵美子である。
「ああ、恵美子さん。今週始まったばかりなのに明日も休みだったね」
「ええ、そうですよ。週3日のシフトなので、では明後日ね」と言って恵美子はエプロンを外す。
この店には恵美子のほかにパートの女性が3人来ている。店長はその中でも恵美子が気に入っていた。ほかのパートよりも少し若い恵美子は、とにかく動きがシャープ。店長が支持する前にすべてをやり終えてしまう。だから店長は恵美子が来る日が楽しみなのだ。
「そうか、仕方がない。いや最近は、彼の方が最近よく来ていることになるなって思ってね。今日もいつもと同じ時間だったし」
「ああ、彼のことね。たしか私の休みの日も来ているって聞いたわ」
恵美子は2週間ほど前からスーツ姿で毎日のようにこの食堂に来ている若者を思い出した。「そういえばあの人毎日来て、サービスCランチを食べるそうね。たまには、日替わりBランチとか、スペシャルA定食とかも食べてほしいけどね」
「多分、無職でお金がないのだろう。仕事を探しているのかもしれないな。俺は15年この食堂で働いているから図書館に来る人の背景が、なんとなくわかるような気がする。暇つぶしに来ている営業マンにはとても思えない」
恵美子は目を大きく見開き「そんなのわかる。へえ、店長凄いわね。私なんかここで働いて3年目だけど、そこまで全然わからないわ」
「ハハッハア」店長は笑い出す。「いやいやまあ、でも本当かどうか知らないよ。あくまで俺の予想だからさ。ただ毎日図書館に来ている人といっても、まあこの食堂を利用する人だけに限られるけどね」
店長はそういうと視線を図書館の閲覧エリアに向ける。
「俺はどうやらヒューマンウォッチングが好きかなあ。よく来る人を見ると、どんな素性なのか気になって勝手に想像しちゃうとかね。でもね、今までの経験上、このウォッチングが結構当たる気がする」
「例えば?どんな人」恵美子は店長のほうに身を乗り出す。
「実はたまに珍しい材料を仕入れて、A定食に入れているのだけど、やっぱりそういう日は、珍しいのが残されちゃんだな」
「あ、それたまにあるわね。私も苦手。やっぱり食べ慣れていないものはダメ、仕方ないわよ。それはヒューマンウオッチングと言うより、ただ変わった食べ物を避けているだけ。よほど珍しいものが好きな人でないと、定番のものが安心するわ」
「だろう。ところが、驚いたことに、今日もダメだろうと思ってチェックしてたらさ。驚いたことにみんな食べていたよ。ずいぶんみんな新しいものに挑戦していんだなあと思ってさ」
「ええ?今日?そんな珍しいのあったかしら」
気が付けばヒューマンウォッチングの話題から、店長の変わった食材の話になっていたが、店長が知らぬ間に話題を変えることは、日常のことだったから恵美子は全く気にならない。
ただ、今日のA定食に変わった食材など入っていたのだろうか? 記憶が曖昧だ。
「一体何かしら」と不思議そうに記憶をよみがえらせようとしていた恵美子である。だがそんなことはお構いなしの店長は、あるものを恵美子の前に出してきた。
「これだよ」と店長が厨房から取り出したのは緑色の豆である。「え?これってグリーピースじゃないの」
「違う」「じゃあ何よ?」
「実はこれナスビなんだ」
「ええ??だってこれどう見てもグリーンピースだって、ちょっと店長!私をバカにしているの?」
「違う、違う、これは本当にナスビ。ほらこっちの方がグリーンピースね」
といいながら、店主はもうひとつの丸い緑の豆を出してきた。恵美子はふたつの豆をよく見る。
「... ...」
「どうだ、よく見ると違うだろう」
「言われてみればなんとなく……」
「そうだろう。こちらは『スズメナス』という名前だ」
「はあ!スズメナス?」
恵美子はしばらく、スズメナスなる緑の丸を、呆然と見つめていた。
「でも…店長これ誰も分からないわよ。多分みんなグリーンピースと思って、何の疑問も思わずに食べただけじゃないの。小鉢の煮物の上に3粒載っていただけだから」
恵美子は視線を店長に向けると、店長は腕を組みながらうなりだす。
「そうか、うーん味は絶対に違うはずなのだがなあ」と、いいながら少し残念そうな表情になる。
「店長、それをもっと早く行ってほしかったわね。もし知っていたら、しっかり味見してみたかったのに」
「恵美子さんまだあるよ。だったら食べてみる?」
「え!本当に、そしたらお願い、味見させて」
無邪気な恵美子を見ながら店長は、残っていたスズメナスの煮物を3粒ほど小皿に入れた。
「ついでにグリーンピースも用意するよ。食べ比べればその違いわかるから」
恵美子は、店長が出してきた2つの小皿に入った緑の丸を眺めながら、ゆっくりとそのうちのひとつを箸でつまむ。
「まずは左のグリーンピースから。うん、そうこれは普通のグリーンピース」次に、右側の小皿に橋を延ばす。
スズメナスという、初めて聞く食材と分かったからなのか、箸の先が少し震えた。しかしそれをしっかりつかむと、恵美子が口を開けゆっくりと口に運んだ。口の中に入れてその粒を舌でゆっくりと転がしながら、外側の感触を確かめる。その後はを使ってその小さな丸を砕く。その時に中の成分が舌を通じた味覚として伝わる。このとき恵美子にグリーンピースとは違う違和感を味わった。
「うん、あっ違う! 味が凝縮されているというか、うん、これ美味しいわ」
「そうだろう」店長がうれしそうに頷く。
「似て非なるものって、こういうものだよな。スズメナスの凝縮された旨みと渋みに比べたら、グリーンピースは味に個性が無いな」
「でも店長、なんでこんな変わったナスビのこと知ったの? それにこれ、どこで仕入れたの??」
「いやあ、実は昨年の春ごろに友達とタイ料理を食べに行ってね。そしたら注文したタイのグリーンカレーの中に、これが入っていたの」「ほう、これがタイのカレーに!」店長は大きくうなづく。
「俺もさ、最初は恵美子さんの言う通り、最初はてっきりグリーンピースかと思ったら、食べて見たら味が違った。
だから気になってさ、次の日この店の営業終わってから、家に帰らずにそこの閲覧室で探したら見つけたんだよ。スズメナスというナスビの存在を」
「食堂の店長が図書館の閲覧室でで調べものって!」
恵美子は毎日のように料理を作っている店長が、真剣に図書館の本で調べものをしている姿を思い浮かべると、どうしても滑稽に見え、口を押えて笑いをこらえる。
「だから『こりゃおもしれえや』と思ったらよ。それじゃあ一回タイでも行ってみようかと」「それで、ちょうど一年前にいきなりタイ旅行へ!」
恵美子の問いに大きく頷く店長。
「そう、向こうのツアーで観光がメインだったけど、レストランでも、これが入っているカレーを確かに食べた。それから最終日は1日自由行動があったから、向こうのスーパーの野菜売り場見に行ったら本当に売っていたよ。それから、こんなのも」
と、店長が取り出したのは、ちょっと大きい緑色をした球体の野菜。
「こ、これは?」
「実はこれもタイのナスビらしい。いわれて見れば、スズメナスのような小さいのよりはそれっぽいけど。でも色も形も日本のナスビじゃないよな。これはみんな気づいてくれるかな? 明日のA定食に入れようかなあと思ってね」
「でもそれどうしたの?まさか現地から?」恵美子の驚きに、笑いながら否定する店長。
「恵美子さん違うって、あれから1年経っている。缶詰じゃあるまいし、いくらなんでも腐ってしまうよ。これはちゃんと日本で売っているものだ。
実は4駅先の繁華街近くに、タイ料理の食材専門店があったのよ。
面白そうだからって、ずっと気になっていたスズメナスとこのタイナス。この前の休みの日に思い切って仕入れたというわけ」
恵美子は店長の不思議な行動に、ただ呆れるばかり。
「店長…どうでもいいけどなんかすごいわね。そんな疑問で突然海外旅行に行くなんて思い切っているわ」「そうかい、そういう性分何でさ」と店長は頭に左手を置いて照れながら笑う。
「ほんと、びっくりしたけど。でも、あのときのお土産でいただいたマカデミアンナッツは御馳走になりました」
「ああ、あれはたいした物でもないけどね」と、と言いながら、店長は3つの食材を元の位置に戻していく。
「なんだかいろいろあるのよね。そうか、ここ図書館だし、私も店長みたいに今からちゃんと調べてみようかな。タイのナスビ2種類のこと」
恵美子は誰にも聞こえないほどの大きさで小さくつぶやいた。「じやあお疲れさまでした」と店長に挨拶すると、帰るのをやめて閉館まであと3時間ある図書館の閲覧室の中に入っていく。
「まいっか、ちょっとくらい遅く帰ってもせっかくだから。さて勤務先の目の前にある図書館で勉強してみるってワクワクするわね。しかしこの年になっても知らないことばっかりだわ。あんなのがナスビだなんて気になったら、絶対今夜眠れなくなることがわかっているから」
と頭の中で独り言をつぶやきながら恵美子は本棚の前に来る。
そして静かに本を読む人や自習を必死で行っている人たちのたちの中に、紛れこみながら本を探すのだった。
こちらが「スズメなす」こと「マクアプアン」
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シリーズ 日々掌編短編小説 305
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