パパイヤの味
「あちゃあ。忘れてた!」「どうしたんだ。大声なんぞ出して」海野勝男は大声を出した後、大きなため息が聞こえた。そのまま妻の沙羅がいるキッチンに向かう。
「あーあ。もう黄色くなってるし」「うん、パパイヤか」
「そう、あのときスーパーでタイフェアーやってたでしょ。青パパイヤが安かったから買ったやつ。それで久しぶりに、タイのパパイヤサラダでも作ろうと思ってたら、もう完全に忘れてた。これもう熟してるわね」
「常温で置いていたのか」勝男の問いに、うなづく沙羅。
「ごめんなさい。野菜室に入れようと思っていたのに。ああ、あのときいろいろなことが重なって」と沙羅は申し訳なさそうに、首を小さく前に出すようなしぐさで何度も頭を下げた。
勝男は熟したパパイヤを手でつかむ。「うん弾力があるな。これだったらうまく追熟したんじゃないか。これ湿度の低いところに保管していたのが幸いだったな。湿度が高いとカビが生えたり青いまま腐ったりすることがある。そういう意味では怪我の功名だよ」
「あ、ありがとう。じゃあこれは今日のデザート。でも」「今度はなんだ。ひょっとして、マンゴーも熟したのか」
「マンゴーなんて買ってないわ! じゃなくてモードがパパイヤ料理だったの。あのタイの辛いサラダが、口の中からイメージがぁ!」
沙羅の表情がおかしい。陶酔した表情で目をつぶり、首をゆっくり回している。どうやら過去のソムタムを食べた記憶が、口の中で蘇っているらしい。
「うーん」それを見た勝男は、しばらく腕を組んで考える。
「なら、代用しよう。ニンジンもしくは大根があるか?」「え、あ、ニンジンは無いけど、大根ならあった。確か」沙羅は慌てて冷蔵庫の野菜室に行き、大根を探し出す。
「お、あるな。そしたらそれを青パパイヤの代わりに千切りしよう」「大根のソムタム?」「うん、食感的にはニンジンのほうが近いし、それは現地でもある。だけどニンジンがないなら大根だ」
沙羅は一瞬固まったが、すぐに「う、うん。無いよりまし。作ろうタイの辛いサラダ『ソムタム』を!」と元気な声を出す。
「よし、俺も手伝うよ。でもメキシカンライムなんてないよな」「あるわけない。レモン汁ならあるわ」
「仕方がない。現地のものはメキシカンライム。レモンだとちょっと酸っぱくなるが、どうせ青パパイヤがここにあってもそうなるだろうし」
「でもナンプラーなら!」沙羅は自慢げに調味料が入った戸棚から、ナンプラーを取りだした。
「おっ、いいじゃないか。ナンプラーがあればタイっぽい。これが日本の薄口とか濃口だとな。クククッ。さすがに無理があったなぁ」と勝男は口を緩めて苦笑した。
「本当は生の赤トウガラシと、ガーリックを破壊したものでペーストをつくるんだけど、ないから仕方ないな。一味唐辛子あるか」「あるわ。ガーリックパウダーも」
勝男はそのふたつを沙羅からもらうと、すり鉢の中に入れる。「そのあと砂糖、レモンの汁、それからナンプラー。これがすべて等分にすればいいんだ。そうかレモンは少なめだな」勝男は独り言をつぶやきながら調味料を入れると、すりこぎ棒で混ぜていく。「本当は叩くんだがいいか」
その横で沙羅は大根を千切りにしていく。「はい、千切りできました」「よし、入れてくれ」
「はいよ!」沙羅がいつにもましててきぱきとした動き。相当ソムタムが食べたかったようだ。
勝男はすり鉢の中に入った大根の千切りを、最初は調味液に和えるように混ぜる。しばらくするとすり鉢にダメージがない程度に、すりこぎ棒でゆっくりと叩き出す。
沙羅は、インゲンマメとトマトを野菜室から取り出すと、適当な大きさにカットした。
「はい、トマトとインゲンマメ」切断したふたつの野菜もすり鉢の中に。勝男はこれも叩いていく。
「こんなもんだろう。うん、タイっぽい味がするぞ」味見をした勝男の表情は穏やかだ。
「確かキャベツもいるわね」最後はキャベツを少し大きめに切り落とした。
「ピーナッツなんてないよな」「バタピーなら」
皿に出来上がった大根のソムタムを盛りつける。その横にカットしたキャベツを置く。最後に砕いたバタピーを、ソムタムの上に数個配置した。
「おう、できたぞ!」「う、うん。でもやっぱりちょっと違うわね。しかたないけど」複雑な表情の沙羅。
「本当は干しエビもいるが」「中華食材の? そんなのないわ」
「しょうがねえ。それだったらあれで我慢してくれ」「え?」
勝男は自室にいったん戻ると、すぐにタブレットを持ってくる。そして電源を入れて操作すると次の画像が出てきた。
「あ、それって、タイ旅行の」
「そう、パパイヤのソムタムだ。悪いがこれ見て我慢してくれ」
ふたりは青パパイヤのソムタムの写真を見ながら、大根のソムタムを口に入れる。口当たりはパパイヤとは違う。パパイヤのような固さがなく、あっさりと歯で砕ける。いつも食べる大根の千切りと同じ食感で口の中から同じような音が聞こえる。だがそこからが違った。徐々ににじみ出る味わいと香りはタイの風味。今は春なのになぜか常夏の生ぬるい熱さの記憶が肌に蘇ってきた。そして甘酸っぱさにナンプラーからにじみ出る旨味。さらに油断してはいけないが唐辛子の辛味だ。勝男は辛いのが好きだから一味の量も多い。徐々に舌が辛味の刺激に支配されていく。
「か、辛い!」「おい、キャベツを食べてみろ」
「いや、そうだ。これこれ」沙羅は立ち上がると、そのままキッチンへ。
慌てて先ほどの熟したパパイヤを、カットして皿に盛る。そしてテーブルに置くと、真っ先に自らの口に含んだ。
「甘い! これはこれで正解」沙羅は嬉しさが全身からみなぎるような表情。それを見た勝男は「良かった。これでビールがタイのものだったらなぁ」とグラスに入った黄金色の炭酸水。日本のビールを眺めるのだった。
こちらの企画を元に創作した作品です。
私のために2本描いて頂いたイラストの1本目です。熟したパパイヤのイラストから東南アジアの風を感じました。
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シリーズ 日々掌編短編小説 410/1000
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