ギヨティーヌ ~苦痛の少ない人道的な処刑道具~
「従来の死刑執行方法に関しての提案であります」ときはフランス革命が勃発した正常不安な時期。
1789年に憲法制定国民議会議員になったギョセフ・ギヨタンは処刑道具に対するある提案を議会に行った。
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「何だと、それは本当か?」「はい、見事に破壊され、対象者は逃げてしまいました」
「うーん、まずいな。悪いことをすると、こういう目に遭うという見せしだったのに」
「もう民衆の不満が頂点です。これから何が起こるかわかりません」
フランス革命が起きる直前、前年の1788年に事件が起こった。当時の死刑に対する処刑方法は平民が絞首刑で、貴族階級は斬首刑と決まっている。
またそれとは別に見せしめを目的とした公開処刑であった。それは車裂きの刑。今回はこの刑の執行中に事件が起こったのだ。
「おれは、無実だ処刑されるいわれはない」それは無実の罪を叫び続けた死刑囚。それを見た民衆はその死刑囚を憐れんだ。
「あれを壊してしまえ!」そしてついに民衆が処刑台に向かって行動を起こす。処刑台はし破壊してしまった。
死刑執行人の職務は忌避するタブーがあったがそれが破られてしまう。結局車裂きの刑は、これを持って廃止になる。
内科医だったギヨタンは、同時に斬首刑への疑問を持っていた。
「現在の斬首方法では、斧や刀を使いますが、これは執行人のスキルに左右されてしまう。スキルがない執行人の場合は、一度で斬首できず、受刑者に余分化苦痛を与えてしまいます。一度で斬首できるスキルの高い執行人は、裕福なものにしか回ってきません」
「ギヨタン議員、君の言い分は解る。だったどうすれば良い。斬首の練習など、そうやすやすとは出来ないではないか」
「人道的な処刑方法としては、受刑者に苦痛を与えることなくあっさり行える機会を使うことであります」
「ハハハア、そんなの無理。そんな機械どうやって作るのだ」他の議員からの嘲笑にあったギヨタンは一旦提案を断念。
だがあきらめてはいなかった。彼は粘り強く再度提案した。その粘りが功をそうしたのか1792年4月25日に議会で正式に処刑道具して「ギヨティーヌ(英語読み:ギロティーン)が処刑道具として議会に認められる。
「よし作ってみよう。誰に設計させるべきか、そうだアントワーヌがいいな」
ギヨタンから呼び出されたのは、外科アカデミーの秘書であるアントワーヌ・ルイ。外科医として守づつに関する記事を多数手がけていた。そしてギヨタンは彼に、誰が失効しても効率よく処刑できる道具のプロトタイプを依頼。
「わかりました。実はよい参考になるものが海の向こうにあります」ギヨタンに呼び出されたアントワーヌは得意げに答えた。
「海の向こうか?」ギヨタンの部屋の窓の方向を見つめる。その先にはイギリス海峡があった。
「イギリスの『ハリファックス断頭台』やスコットランドの『スコッチメイデン』が参考になります。これらは、上から斧の刃を落下させて首をそぎおとしました」
「なるほど、上から鋭い刃を墜とすことで首が飛ぶか。よし早速作ってみてくれ」
アントワーヌは、さっそく断頭台の設計を開始した。死刑囚となる囚人の首を板で固定したり、三日月形の刃などを考案する。
出来上がった設計図を、見たのはルイ16世。すでに革命後で王としての権限が制限されていたが、設計図を見るなり次の様に提案した。
「三日月より斜めの形状にすればどんな太さの首でも切断できるのではないか?」
奇しくも、その刃物で後に自ら処刑される運命にあるとも知らずに......。
こうして完成した処刑装置は、地面から37センチメートル地点の高さに首を挟むようになっている。そして4メートルの高さから40キロはあるという刃を自由落下させて一瞬にして首を落とせるようになっていた。
この機械の正式名称は正義の柱を意味する「ボワ・ド・ジュスティス」だが発案したギヨタンからギヨタンの子(装置)を意味する「ギヨティーヌと呼ばれるようになった。このギヨティーヌが英語読みにするとギロティーン(ギロチン)となる。
そして4月25日は、ギロチンの日となった
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