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白鷺の城 第803話・4.6

「殿、ご覧下さいませ。美しいお城が8年かけて大規模に改修し完成いたしました」時は1609(慶長9)年、筆頭家老の伊木忠繁(いぎ ただしげ)は、自らが普請奉行として大改修を手掛けた城を、初代姫路藩主・池田輝政に紹介する。
「うむ、見事じゃ。さすがであるな」完成した大天守をはじめ城郭を眺める輝政は満足げな表情。
「はい、周辺の宿村・中村・国府寺村などを包括する広大な城郭を築いきましたゆえ、非常に大掛かりなものとなりました」

 輝政は早速城の中を散策する。「忠繁、この姫路の城は中世のころに赤松貞範が初めて城を築いたという。その後小寺家が主に城主を務めたそうじゃが、その中にはあの黒田官兵衛殿も城主となられたことがある」
「いえ殿、それ以上に、ここはあの天下人羽柴秀吉様の城として」
 忠繁の言葉に輝政は思わずにこやかになる。「おお、そうじゃった。秀吉様のことを忘れてはならぬ。かつて秀吉様が信長様の命により。中国地方を攻める拠点とされ田代じゃ。本能寺の変を聞いたの後、中国からの大返しの最中、いったんここに戻ってから、京・山崎に向かって明智光秀と戦った。そのように考えると、ここはまさしく出世城じゃな」

「それは殿も同様かと、家督相続時が13万石だったものが今では播磨一国52万石にまで出世されましたからな」筆頭家老だけあって忠繁は輝政の機嫌を取るのがうまい。
「そうか、俺にとってもここは出世の城」輝政は何度もうなづく。
「確か、秀吉様が明智を討つ時にわが父も合流し、それ以降は秀吉様に仕えた。結果的にそれが成功したも同然。何しろ俺が、信長様の棺を担がせてもらうという大役が果たせたものじゃ」
 
 輝政は過去の出来事をふりかえりながら、大天守の中に入った。内部の階段を登っていく、忠重は後ろについていきながら、天守内部について説明をしていく。
「うむ、この上が最上階じゃな」輝政はひとりごとを言うように最後の階段を上がった。
「おお!。これは見事な眺めであるな」最上階まで上がった輝政は思わず歓喜の声を上げる。「俺がかつて城主として入った。岐阜城も山の上にあったから、なかなかのものであったが、ここはそこまでは高くないはずなのに、素晴らしい眺めじゃ」
「ご満足いただき何より」忠繁は恭しく頭を下げる。
「それよりも殿、岐阜で思い出しましたが、秀吉様が亡くなられた後に、徳川につき、かつての居城だった岐阜城を攻めることになろうとは」

「ああ、まあ、戦とはそういう者じゃ」外を眺めていた輝政は、ゆっくりと忠繁のほうをむく。
「俺はあの石田三成がどうも好かんかった。加藤や福島とおなじ、何かと鼻につく男だったからな。やむなく家康様に近づいたが、それが幸いした。  
 岐阜には信長様の孫・織田秀信殿がおられたが、こればかりは仕方があるまい。それより岐阜攻略の恩賞として、この姫路を与えられたわけじゃ。といっても大坂城におられる秀頼様への監視のようなものではあるが」

 輝政は再び外の眺めを見ていた。「殿、せっかくでございます。この城にふさわしい名前を付けられるというのは」
「そうじゃな。せっかく8年もかけてつくりあげたみごとな城であるからのう」輝政はそういうと、外の風景を見ながら、しばらく黙って考え込む。

「よし決めた、この城は白鷺城(はくろじょう)というのはどうじゃ。この城は白く、白鷺のように美しいからのう。これだけ美しいとできればもうこの城で戦など起きてほしくないものじゃ」

 輝政がこう述べた通り、姫路城は以降の歴史において第二次大戦も含めほとんど戦っていない。大規模な戦火も被害もないために、現在まで美しい姿を保つことができた。ゆえに不戦の城と呼ばれている。
 しかし、池田輝政が大規模に改修した姫路城が、さらに拡張し三の丸や西の丸ができたのは、後に城主が変わり本多 忠政(ほんだ ただまさ)の時代になってからである。




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シリーズ 日々掌編短編小説 803/1000

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