見出し画像

水を吐くのではなく吸っている? 第779話・3.13

「ぐぅあああああああぁおおおん!」突然重低音を効かせた怒号のような大きな声が、いつもは静かな町の中にある公園内にに聞こえた。周囲の人々は一斉に声のする方を見る。すると公園にある大きな池の中から、青銅色した存在が突然現れた。その存在は想像上の動物として描かれていた龍(ドラゴン)に似ている。

 大きさはおそらく体長2から3メートルくらいはあるだろうか?だが、人々が驚くには少し小さい気がした。しかし、想像上の存在がリアルに声を出して登場するとなれば、それは驚き以外の何物でもない。
「なんだ!化け物か?」人々は恐怖のあまり逃げ惑うもの、恐れてその場から離れながらもチラ見するもの。さらに勇敢なものはスマホを片手に静止画や動画の撮影を始めるものなど多種多様。

 存在は、大きな口を開けている。そして口から水を吐いているのかと思った。そうであれば人々はあるものを思い出す。それは神社の境内にある手水舎にいる龍をかたどったもの。たいていは龍の口から水が出ており、その水を柄杓ですくい取り手を洗う。

 だが根本的なところが違っていた。なぜならばその存在は水を吐いているのではなく吸っているのだ。
 人々は驚いた。スマホで動画を取っている者は「まさか逆再生をしている」のではと。だがそれは真実だ。目の前の存在、リアルに公園の池からあられたその存在は、確かに池の水を吸い込んでいる。

 存在は水面のあたりに真空状態を作る能力を秘めているらしく、その真空状態に誘発された水が上昇。青銅色をした存在の口に吸い込まれるように入っていく。存在は水を吸っているときは黙ったまま。あの大きな怒鳴り声は一度きりなのだ。
 人々は当初恐れていたこと。つまり襲われる可能性の低いことを感じたのか、一部の人を除いて逃げずにスマホを目の前に掲げた。中にはしっかりしたビデオカメラを用意する者もいる。そればかりか、うわさを聞き付けた野次馬のような者まで現れ、存在の前には黒山の人だかりとなっていた。

 存在は大きな目を見開き、人々を睨みながら水を吸い取っており、吸い取る量はその表情とは裏腹にごく少量であった。おそらくこの存在は、真空域を作れる範囲が著しく限られているのだろう。
 これが幸いし、より人々を冷静にさせた。むしろめったに見ることのないレアな瞬間が目の前にある。突然現れただけでなく、人々の常識を覆る行動に出る存在。さらに吸い取る水の量が少ないので、池の水面が大きく減少することもないのだ。だから興味本位に、この存在に対し熱い視線を送り続ける。

 とはいえ、やはりこのような得体のしれない存在が現れたということで、110番通報するものがいたようだ。そのため静かだった公園内に今度はパトカーのサイレン音が響き渡る。さらに救急車も向かっているようだ。
 数台のパトカーからは普段よりも武装した警官、おそらく機動隊が次々と公園に入ってくる。「皆さん、危険ですもう少し離れてください。私たちよりも後ろに、早く!」と、来て早々交通整理のようなことを始めた。人々は存在への恐怖よりも機動隊に貴重な動画撮影を邪魔されたことに腹を立てた。だが相手は機動隊である。反抗したらその場で逮捕されることを重々承知しているのか、みんな黙って従う。だが存在は、機動隊が現れようがお構いなくただ水を飲む。ゆっくりと、そしてマイペースに。

 機動隊たちは盾を前面に掲げ戦闘態勢をとる。そしてそれぞれの利き手はいつでも攻撃できるように拳銃に手をかけていた。向こうが少しでも攻撃のそぶりを見せると一斉に射撃するつもり。だが存在はそんな機動隊のの警戒感どこ吹く風とばかりに、ただ水を飲み続ける。


 初めて存在が来て30分。機動隊たちの警戒体制は変わらず、その後ろで必死に良い絵を取らんとばかりに、スマホやビデオカメラを掲げた野次馬たちも変わらない。

 ここでついに異変が生じた。存在の口に連続して向かっていた水があるタイミングで止まった。どうやら飲みたい水をすべて飲んだのだろうか?池の水面は存在が現れる前と比べて若干減っているようにみえるが誤差範囲。存在は満足したのか、表情が急に緩やかになる。そして最初と同じように怒号の叫びをあげた。「ぐぅあああああああぁおおおん!」

「一同、構えろ!」機動隊長が全機動隊員に命令を出す。隊員たちはついに拳銃を手にかける。この後隊長のひと命令で、いつ発砲してもおかしくない状態。
 
 ところが存在はそのあと口を閉ざすと、ゆっくりと沈んでいく。機動隊員たちは半歩前進する。やがて首から下が消え、やがて首から上も池の中に沈んでいった。さらに半歩前進する機動隊員。存在はゆっくりと沈むためほとんど池に波紋が立たない。あまりにも静かなため、今緊迫した状態ではなかったのではと錯覚する。

 そして存在はついにすべての体を池の下に隠す。機動隊たちは池のすぐ目の前まで張り出した。だがそれからは何も起こらない。存在が現れる前の状態のまま。
「潜水班!」しばらく様子を見ていた隊長は、全隊員の攻撃態勢を解除、代わりに潜水を専門とする部隊が現れた。まず無人の探査機器を池の中に入れ状況を確認。すると先ほどまであった存在が影も形もない。

「行きます!」潜水班数名は、いよいよ実際の調査に入った。野次馬たちはこれら一連の行動も珍しいとばかりに動画を撮りづけている。
「隊長、やはり以上ありません。存在は消滅しています」「ば、馬鹿な!」隊長は声を上を荒げた。何しろ目の前で青銅色した存在は水を飲んでいるのを見ていたからだ。再度の潜水を命じるがやはり同じこと。
「ウームわからぬ、だが仕方があるまい。いったん撤収する、念のため池の前の立ち入りを制限しろ」隊長は一部の隊員を除いて撤収。後日再調査のためそれまで池の周囲10メートル以内の立ち入りが禁止された。

「いったい何だったの?」「動画再生で確認しよう。あれ?」野次馬たちはいっせいに驚きの声を上げる。存在を動画で撮影したはずなのに何も映っていない。機動隊たちは映っているが、肝心の存在が全く映っていないのだ。ただ、そんな透明で見えないものに対して隊員たちが、真剣な表情で警戒態勢を取っているから滑稽な画像になっている。
 そして同じことは静止画を撮影した者にもいえた。撮られているのは公園の池、そこには存在はいない。
 驚きながらも野次馬たちはしぶしぶ帰っていった。こうして元の静かな公園に戻る。後日池の再調査、池の水をすべて抜いてまで行ったが、結局原因不明、迷宮入り事件とした。

「一体あの存在は...…」リアルに見た者たちはみんな理解できないが、何も残っていない存在に少しずつ記憶から遠のいていく。ただこの人たちの多くは以降、神社の手水舎を見ると妙に緊張したり、不思議と視線をそらさず関心を持ったりしていた。特に水が出てくる様子を見て「これ、本当は吸っているのではないか」と。


https://www.amazon.co.jp/s?i=digital-text&rh=p_27%3A%E6%97%85%E9%87%8E%E3%81%9D%E3%82%88%E3%81%8B%E3%81%9C

------------------
シリーズ 日々掌編短編小説 779/1000

#小説
#掌編
#短編
#短編小説
#掌編小説
#ショートショート
#スキしてみて
#手水舎
#龍
#幻
#不思議物語
#眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?