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奥秩父のお犬様

「先生、それにしても三峯神社は遠いですね」「出口君、まさに奥秩父。こういう山の奥地に、神聖なものがあるのはいつの世も同じだよ」
 自称・歴史研究家の八雲と助手で事実上の恋人でもある出口は、埼玉県秩父の奥にある三峯神社にやってきた。バス停から階段を上る。この辺りはまだ境内の外の扱い。そのためなのか食堂や土産物屋が見える。

「それにしても先生、西武秩父まで乗った特急ラビューでしたっけ。あれははすごく斬新でしたわ。21世紀、令和の乗り物って感じで」「ああ、建築家の妹島和世が監修したというあれか。ふん悪いが、あんまり興味がないな」八雲は憮然と答えた。

「失礼しました」「まああの西武鉄道の特急よりも、秩父鉄道の多彩な車両のほうがずっと良かったな」
「西武秩父駅から直接神社に行く急行バスがあるのに、わざわざ三峰口まで行ってバスを乗るって手間なことをされたのは、まさか秩父鉄道のためですか?」
 今度は対照的に笑顔で語る八雲。「出口君、秩父鉄道は侮れないよ。できればSLにでも乗りたかったな」
 出口は「そんな昭和以前に活躍したレトロな乗り物に」と言いかけて口を噤む。

「先生、あれ!」「おお、さっそくお出ましだな。三ツ鳥居」ふたりは神社の入り口にある珍しい形の鳥居を注目する。

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「これはたしかに横に小さな鳥居が付いた珍しい形ですね」出口はスマホを構えて鳥居を撮影。
「そう、これは三輪鳥居と呼ばれておる。
「三輪鳥居?三輪素麺なら知っておりますが」「いや、その三輪! 奈良県の三輪山をご神体としている大神神社の系統の鳥居だ」

「大神神社とここは関係あるのですか?」
「いや、祀っている祭神が違うので一概には言えんと思う。この鳥居の由来もはっきりしていないようだが、古神道と関係あるかもしれんな」

「でも本当に山の中。大きな木が周りを覆っていて、心が落ち着く気持ちですわ」出口は両手を大きく斜め後ろに伸ばして深呼吸。鳥居の後ろには緑で覆われた樹齢の長そうな木々の森が構成されている。
「先生、ひょっとして今日4月3日が愛林日と知っていて、この日を選んだのですか?」

「いや、しらん。それにしても出口君、詳しいな」「念のため事前にチェックしておきました」と嬉しそうに出口は小さく舌を出す。

 このままふたりは森の中を歩く、森におおわれた山の中ではあるが、せいびされた道を歩く。苗木奉納などの碑や石灯篭が左右に並んでいているのでここが神社境内であることを認識させてくれる。こうして歩いていくと道が3つに分かれているところに来た。

「先生、これは」「左だ。真ん中と右は後で行く」
 ふたりは左に曲がる。しばらくすると朱色の大きな門が見えてきた。「これはまたずいぶん立派な門ですね」
「隋身門だな。確かこれは元々仏教系の仁王門だったはずだ」
「それはいわゆる神仏混合の名残ということですね」出口の的を得た質問に八雲は嬉しそうに何度もうなづく。
「そう、明治政府が強引に神社と仏教寺院を分けてしまったからなあ。今じゃ考えられんことを平気でしたんだよ。本当に余計なことだ」
 隋身門をくぐり再び山道を歩いていくふたり。やがて行き止まりになって右に曲がると登り階段がある。その上に見えてきたのは青銅鳥居だ。
「ここを上がるといよいよ拝殿だな」八雲はここで姿勢を正す。

 階段を上がっていく。上がりきったところに鳥居があるがそれをくぐる前に左手に手水舎がある。「先生これもずいぶん豪華ですね」
「ああ右手にある八棟木灯台も含めて豪華なものが多い。こんな山奥にある宝物と言えるな」

 青銅鳥居をくぐる。すでに拝殿が見えていた。しかしここも段差になっていて階段を上がる必要がある。そしてその階段の左右には、ひときわ大きな木がそびえ立っていた。
「ほう、これが御神木か。800年の樹齢というが、相当なパワーがみなぎっているという噂もあるやつだ」
「ええ、先生。これは見るだけでエネルギーをチャージできそうな気がしますわ」こうして大きな御神木を眺める。

 階段を上がると、いよいよ拝殿が目の前に現れた。「あ、拝殿。うぁあこれはまた立派ですね」「うん、漆を使った豪華な建物。日光東照宮みたいだな」
「先生、三峯神社は国造りのイザナギとイザナミが祀られているんですね」「そう、あとアマテラスと一番最初の造化三神も祀られている。あとで詳しく説明するが、お犬様が眷属として守っているわけだ」

「お犬様ですか、そういえばオオカミみたいな像が」「そう、神社の由来はだな」
「あ、それは事前に予習しています。日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が、この場所に遠征に来たときに、国造りのこのふたつの夫婦神を偲んで創建したのが始まりですね」

 話を遮ってまで語る出口。八雲はそれが可愛らしさもあり、うれしくてたまらない。
「さすがは出口君だな。そうだあとで行こう。さきほど随身門の前にあった3本の道の真ん中に行けば、日本武尊の像がある」
「それは行かなくてはいけませんね」「そうだ、その前にもっと面白いものがあって、そこには空手の大山倍龍の碑があるぞ」

「空手ですか? ま、まさかお犬様と戦ったとか、ククッ」出口は途中から自分の言っている突飛な発想で、一人受けしてしまう。
「まさか! ではなく、その大山がこの山の中で修業を積み重ねたので、弟子が碑を建てたというわけだ。もちろん神社も公認で大山に感謝状を贈ったそうだからな」八雲が若干熱くムキになる。

「先生、拝殿の話をしましょう。確か龍神」出口は慌てて話題を変えた。この辺りのふたりは絶妙なコンビネーション。
「そうそう、あれだよ。拝殿の敷石に水をかけると龍神が浮かび上がるそうだ。まさに神聖なるパワースポット。よし参拝しよう」

 この後ふたりは拝殿を参拝。一度姿勢を正すと、合わせるように深いお辞儀を行う。これを2回行うと、今度は胸の高さ右手を少しずらして手を合わせた。次に肩幅程度に両手を開き、2回手を打つ。この後その手を手をきちんと合わせて心を込めて参拝。
 それが終わって最後に深いお辞儀をした。

「さてこの拝殿の後ろに本殿があって、ああ、あれあれ」八雲は本殿のほうに向かう。拝殿よりも少し小さな本殿。しかし豪華さは拝殿と変わらない。

「ここも漆で塗らているから豪華だな」「そうですね。なかなかこんな豪華な神社なんてお目にかかれませんわ」出口はスマホを片手に本殿、次に戻って拝殿と撮影して行った。

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「さて出口君、お犬様を祀っている神社に行こうか」
「先生お犬様って、まるで犬を崇めていた徳川綱吉の生類憐みの令見たいですね」
 出口の突飛な発想に、今度は八雲が大きく笑う。
「ハッハハハ! それも確かに『お犬様』だな。だけどそれは直接関係ないが、この信仰が始まったのが江戸時代とのことだから、間接的には関係があるかもしれん。今まで見てきた通り、この神社は狛犬ではなく狼を配置していてるところが特徴的なんだ」

「たしかに、狛犬と違い何か威圧的でした」
「このお犬様は、この神社の眷属、つまり神の使いであるが、その眷属を祀っている専用の神社がこの先にある」
 八雲はそこまで言うと、その方向に向かって歩き出す。しばらく山の中の境内を歩いていると「これだ」と八雲もは足を止める。
「これはまた豪華な。金の鳥居ですか」ふたりは階段の上にある黄金の鳥居に視線をぶつけた。

「うん。御仮屋神社という名前で、祀られているのはお犬様で大口真神(おおくちまかみ)という名前がついている」
 ふたりは階段を上がって「遠宮」と書かれた金の鳥居をくぐり、拝殿に来た。

「ここに眷属がいらっしゃるのですね」「いや、普段眷属のお犬様は、山の中の奥にいるので、ここにいるわけではない。あくまで仮宮だ」
 そのあとふたりは一旦姿勢を正し、神社を参拝した。

「このお犬様信仰は、昔オオカミがこの山の中にいて、農作物を食べ散らかす厄介なイノシシを倒して食べてくれたので、神の使いと崇めるようになったのが始まりだ」
「でも今はニホンオオカミはすでに」「うん、20世紀の初めには絶滅したといわれているな。日本にいるのはもう動物園くらいじゃなかったかな」

「だけど信仰上ははいることにですね」「まあ、いることというか、見ていないだけで、実は子孫がいるのかもしれん。人が入れないような山奥で細々と生活していてもおかしくはないな」
 ふたりは改めて社を眺める。そしてこのすぐ近くの緑覆われた場所を見た。ふと緑の死角に、鋭い目つきで、農作物を荒らす獲物をターゲットに、探し回っている『お犬様』ことオオカミが居そうな気がする。

「あとは、遥拝殿に行って、そこから標高1332メートルある妙法ケ岳山頂に鎮座する奥宮の遥拝をすれば、今回の実地研究は一応終わりだな。出口君、あとは秩父で旨いものでも食って温泉でも入ろうか」
「先生、待ってください。あそこに縁結びの木というのがあります」出口が指さしたのは、御仮屋神社のすぐ横にあった。

「うん? 縁結びの木か。どうせ若い男女の見世物みたいなものだろう」「私はちょっと気になります。立ち寄りませんか?」
「君は本当にしょうがないね。わかった。少しだけだ」
 縁結びの木の前。ヒノキとモミの木が寄り添うように見えることからつけられたこの木の前には拝殿がある。縁結びのために若い男女が来る場所らしく、キュートな巨大絵馬が印象的だ。

「縁結びね。悪縁じゃなかったらいいけどな」八雲がつぶやく横で出口は真剣に参拝している。
「先生しっかり縁結びお参りをしましたよ」「何を真剣に?」
「それは、秘密です!」と、顔を赤らめながら突然八雲の手を引っ張るようにつかんで、我先に歩き出す出口だった。



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