福山から入る山の中 第602話・9.16
「そっか、福山も広島県だったわね。完全に岡山県と勘違いしてたわ」塩野珠子は、新幹線の自動ドアが開くと、広島県の福山駅に降り立った。ここに彼女の実家があったわけでも生まれ故郷でもない。親戚や友達がいるわけでもなかった。さらに旅行に来たわけでもない。実はあることを確認するために、埼玉の浦和から広島までやってきたのだ。
「ここから乗換。福塩線だけど、今からだと夜遅くになりそうね。だったら」珠子は、時刻表をあらかじめ調べていたが、福山からは彼女が向う終点の福町まで直接行く列車がなく、途中の府中までしか行かなかった。そして府中から乗り換えなければならない。
無理すれば行けないことはないが、午後3時を回ったこの時間から移動するとなると、現地に到着すれば相当夜が遅くなる。目的地である塩町には宿もなく、その先の三次まで行かないと無さそうだ。それならばと珠子は、新幹線の停車する都会の福山で一泊し、翌、早朝の列車に乗ったほうが得策と考えた。こうして駅前のホテルにチェックイン。
「朝7時の列車に乗れば、途中の府中での連絡もよくて、10時には塩町につけるわ」珠子がそれまで縁もゆかりもない広島に来た理由は、意外なことであった。それは昨年亡くなった曾祖母が、生前よく言っていたことである。
「珠子、もう誰もいないが、バァバはジイちゃんと広島の塩町から浦和に来た。ジイちゃんと同じ塩町で生まれ育ったが、三男だったジイちゃんは故郷を離れて町に行くことになった。『どうせ街に出るなら花の都、大東京じゃ』と行って故郷を出て行ったのよ。でもバァバは、ジイちゃんのことが好きだったから一緒について行くの。結局東京ではなく浦和で落ち着いて、ふたりは結婚した」
「じゃあ広島にはもう誰もいないの」「おらん。本家はもう絶えてしまった。そのほかの次男の親族も、確かえっと、ああ、松江、松江に行った。けど、家がまだ残っとると聞いたんだ。その松江の、もう死んだが、りかばあちゃんが、昔言ってた。もう年だからバァバが行くのは無理じゃろう。だから珠子、一度見に行ってほしいんじゃ」
珠子は、その話を10回近く聞いていたので正直飽きていたが、いざ曾祖母が亡くなったことで、その話を思い出す。
「生きている間に行けばよかったけど......」ホテルの一室で珠子は曾祖母との思い出を頭に浮かべながら感慨にふけっていた。
「今日は、もう寝よう。おばあちゃんの住んでいた町を見に行かないと」
ーーーーーー
翌日、珠子は朝6時に起きて出発の準備。ホテルをチェックアウトすると福山駅に向かう。そして予定通り7時台の福塩線の列車に乗り込んだ。「やっぱり浦和とは違うな。このローカル感って不思議」
列車が動き出すと、車両に揺られながら珠子はさっそく福町の情報を確認した。曾祖母の生まれ故郷、三次市塩町の情報である。
情報をくれた遠い松江の親族、曾祖父の兄だから祖父母のいとこ、両親の『はとこ』のさらに子だから珠子からすれば『みいとこ』と呼ぶ間柄ということも、このとき知った。
ちなみに曾祖母の言っていた『りかばあちゃん』とは、曾祖母の義姉に当たる人。
その『みいとこ』と連絡が取れ、詳しい話を聞くと、その人の祖父に当たる人。つまり珠子の曾祖母から見て甥にあたる人が、本家の家を相続したという。しかしやがて売却したとか。それからは、どうなったのかわからないということであったが、どこにあるのかは大体わかっているらしく、詳しい場所を教えてもらった。
「当時の住所が今の住所と適応させるとこの辺りね」珠子は揺れる列車の中でスマホを取り出す。そしてマップ上では、すでに塩町のかつての家があったであろう場所を、特定の目印をつけていた。あとは駅からの道筋を確認する。
列車は府中駅に到着した。「福山もびっくりしたけど、広島県には府中っていうところもあるのね。面白いわ。地名って」
ここからは本当のローカル線で1日に数本しかない場所。きっちり時刻表で調べていたから、それほどの待ち時間もなく、三次行きの列車に乗り込んだ。「この列車は芸備線の三次行きだけど、降りるのは福塩線との接続駅である塩町駅」
そう言い聞かせながら、車窓を眺める珠子。どんどん広島県の山の中に入っていく。そして曾祖母の生まれ故郷が近くなるたびに、珠子は徐々に緊張していた。
「松江のみいとこもいってたわね。『塩野の苗字は塩町と関係あるかも』って。でもそれ本当かしら」
こうしてほぼ定刻通りに列車は、広島の山の中にある塩町駅に到着した。
「え、駅から歩いて? これ、結構あるわ」珠子は予想以上に遠い道のりにため息をつく。だがここまで来た以上歩く距離はあれど、目指す曾祖母の家まで行かなければならない。「本当にあるのかしら、工場とかマンションになってないかな。それでも仕方ないけど」
珠子はいろんなことを頭の中に巡り合わせる。曾祖母の生まれた家だから築100年以上。そもそもそんな古い家が残っている確率の方が、はるかに低いのだ。
こうして歩くこと30分近く。「えっと、たしか あ、あれ?」珠子が見つけたのは古い古民家。そしてそれは古民家カフェになっている。「え!先週オープンしたばかりなの? だからまだ情報が載ってなかったのね」珠子のスマホには、この場所にカフェがあるとまだ載っていなかった。
「たぶん、店の人に私のバァバのこと言ってもわかるわけないわ。だったら写真だけ撮らせてもらおう」
珠子は古民家カフェの中に入る。靴を脱いで土間にある席に座った。そしてメニューにあったコーヒーを注文。
「あの、撮影とかしていいですか」「良いですよ」と優しそうな店主からOKをもらうと、珠子は店内を撮り続ける。幸い他に客はいなかった。
そしておそらく、奥でコーヒーをハンドドリップで入れている店主からすると、珠子は、単なる観光客が面白がって撮影しているようにしか見えないだろう。珠子がなぜこんなに必死に撮影をしている、本当の理由も知ることなく。
撮影が終わったときに、ちょうどコーヒーが来た。珠子はゆっくりとコーヒーを飲む。そして頭の中でイメージした。曾祖母が赤ちゃんとして誕生してから曾祖父を追いかけて、家を出るときまでの姿を、目の前に広がる古民家の風景と照らし合わせながら......。
ーーーーーー
「ごちそうさまでした。コーヒーおいしかったです」こうして正体を明かさぬまま、珠子は古民家カフェを後にした。
「さてバァバの生まれた家に無事に行けたわ。まさか古民家カフェになっていたなんてね。写真も撮ったし、コーヒーもおいしかったわ」
珠子は、ミッションを達成したことの喜びと、曾祖母の思いが果たせた二重の喜びで、帰りの足取りはとにかく軽い。
「さて、今度は芸備線と木次線を乗り継いで、今日中に松江にいかないと。そして明日は、初めてみいとこさんに会うのね。さてどんな人かしら」珠子は、旅の次の楽しみを早くも楽しみながら、塩町の駅を目指すのだった。
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