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夜分遅くにすみません #月刊撚り糸

「伯父さん、夜分遅くにすみません」黒縁眼鏡姿の試水輝夢が、暖簾のかからない閉店中の店のドアを開けると、輝夢から見て親ほどの年の差のある白衣姿の男性と白い三角巾と赤いエプロンをした女性が待っていた。
「輝夢君、別に気にしなくていいんだよ。どうせうちは粉ものしかねえけど、まあ今夜はこれで我慢してくれ」
 輝夢は、この日暗くなってから伯父の家に訪問した。GW中は出勤。明日ようやく休暇が取れた。ちなみに輝夢はひとり暮らし。
 そこで比較的近いところに住んでいる伯父が「休み前に夜ご一緒に飯食べるか」と誘ってくれた。
 輝夢の両親は物心つく前にすでに離婚していて、父は行方不明。母は5年前に亡くしている。

 そんなこともあり、母方の伯父夫婦が親代わりのようになっていた。   
 さらにここは、もんじゃ焼きやお好み焼きといった粉ものを扱う店なのだ。伯父の父親つまり輝夢の祖父に当たる人が、月島の名店で修業を経たのち開業したという。その2代目として伯父夫婦が取り仕切る。
 輝夢が次の日から連休ということ。それからこの日は店が定休日と重なったのが幸いした。そこで特別にプライベートの場として3人でもんじゃ焼きを食べることを決める。

「本当はもっと早く来れる予定だったんですが、ちょっと残業になって」「輝夢ちゃんいいのよ。お仕事を優先してくれたら。私たちのことは気にしなくて十分よ」伯母は笑顔で輝夢を大きな鉄板前にあるカウンター席に案内した。和風の店内はオープンキッチンで、九の字型にカウンター席が15ほどある。そのほか4人掛けのテーブルが5つ。さらに奥には最大6人が座れる掘りごたつ式の席があった。

「そっか、今日は5月7日で粉の日か」カウンター席に座った輝夢は店内に掲げられている日めくりカレンダーを眺めながら、伯父と伯母に聞こえない小さな声でつぶやく。

「あ、義弘君はまだ」「そう、あいつは今修行に出してるけど、盆と正月以外帰ってくるなって言ってんだ。何しろあいつは3代目。あと2・3年で戻ってくるかな」伯父は腕を組んでそう言った。
 輝夢の従兄弟である義弘は、修行というより他店に働きに行っているというほうが正しいかもしれない。そこはチェーン店で、あと半年もすれば店長として手腕を振るう予定だ。
 そこでは焼き方以上に、店の運営方法を学びに行っているのかもしれなかった。

「さて、それじゃあ鉄板に火を入れよう」伯父はそう言って弱火にしていた火を強火に点火。
「あ、なんか悪いね。僕のために夜遅くまで待っててくれたんだ」

「だって、せっかくだから焼き立て食べて欲しいから。具材を用意さえすれば焼くのはすぐだしね」伯母が冷蔵庫から取り出したのはもんじゃ焼きに具材。輝夢は銀色のボウルに山積みされてる具材を見ているだけでも、口の中から唾液が湧き出そうな雰囲気。

 やがて鉄板に油が惹かれ馴染んでいくと、具を大胆に鉄板に乗せる。そして熱を持つ鉄板により具材の水分が熱により蒸発する音。あるいは同時に油から逃れようとするばかりに、高く跳ねる水滴の音が激しく店内に響き渡った。
 伯父はプロらしく何の違和感もなく手を動かす。大きなへらで具をどんどん刻みそして炒めていく。輝夢は水を飲みながらその光景をじっくり観察。

 やがてキャベツがしんなりしてきたのがわかる。「よしそろそろだ」伯父がつぶやくとドーナツ状に刻んだ具を構成していく。
「土手を作ってるんだね」「そうよ。ここからがもんじゃ焼きらしくなるわ」横で伯母が解説する。

 そして出来上がったドーナツ状の土手は非常に高い。その真ん中に作られた黒い鉄板が見える場所に、液状化した生地を流しいれていく。もちろんここでも高熱鉄板による音が鳴る。伯父の作った土手には高くて隙がない。
 だから生地が外にあふれ出ることがなかった。そして生地は土手内部に閉じ込められながら高熱鉄板により急速に水分を失っていく。気が付けばとろみが出始めていた。
 伯父は淡々ととろみのついた生地を端から少しずつ土手に混ぜ合わせていく。やがて形を整えながら鉄板に満遍なく広げていくのだ。ならし終えると鉄板の上には大きな粉でできた、食べ物の固まりが出来上がっている。
 表面がぷつぷつと言うてきた。「よし仕上げだ」伯父はトッピングで用意したチーズと餅を乗せる。最後に青のりを振りかけた。

「よし輝夢君。出来た。食べよう」こうして『ハガシ』と呼ばれる小さなへらがひとりずつ配られる。伯父は火加減を調整。テーブル席ではなくカウンターに並ぶように3人で座った。その理由はあえて聞かない。 
 恐らくテーブル席だと、あとの掃除が大変なのだろう。順番は左端から伯父、輝夢、伯母となっていた。
「いただきます」普段ひとり暮らしの輝夢が久しぶりに発したキーワード。 
 最初は端からハガシで掬い取る。いったん取り皿に置くと端で食べた。口の中にはもんじゃ焼きの旨味が凝縮された味と鉄板による熱が広がっていく。  
 猫舌の輝夢は少し辛い瞬間。熱さは残るが空気を口の中に入れながら冷ませばうまみ成分だけが残り、喉に押し込めば余韻が広がるのだ。

 つぎに生地の一部をハガシにこすりつけた。そして鉄板に押さえつけられた生地におこげができる。それができるのを見計らうと、ハガシを引っ張った。こうして取り上げて食べる。
「うん、美味しい」輝夢は素直においしさに感動。輝夢はお酒がほとんど飲めないからビールなども飲まず、ただ水だけで食べていく。美味しいためか、ついつい黙ったまま。3人は黙々と食べていく。

 結局それほど会話の無いまま食事が終わった。「ごちそうさまでした」輝夢は手を合わせる。「伯父さん、伯母さん。普段ひとりで静かに食べてたので久しぶりに楽しくもんじゃ焼き食べられました。本当に夜分遅くに失礼しました」といって帰ろうとする。
「おう、ちょっと待て」と伯父が止めた。
 輝夢は振り替返ると「おう、輝夢君よ。お前肉まんの店で働くってどうなったんだ」肉まん職人を目指している輝夢にとって、伯父のこの言葉は痛い。

「あ、うーん。なかなか見つからなくて......」
 大手の肉まん工場を退職後、全く無縁の派遣社員として工場で働いていた輝夢。夢はあきらめていないものの、なかなか理想のところが見つからず悶々としていた。

「そうか、いや。実は知り合いの中華料理店が、今肉まんの職人探しているんだ。何かひとり辞めてしまっていい人いないかって。それもあって今日の夕食誘ったんだ」
「え、本当に?」黒縁眼鏡の奥から輝夢の目が輝いた。
「そうよ、輝夢ちゃん。一度行って見たらどう。私たちはあなたの母さんが亡くなってから、あなたが立派になるまで見守らないと思っているのよ。早く理想的な仕事を見つけて、そろそろ相手も見つけないとね」

 輝夢は立ち上がり伯父と伯母に一礼。
 そして「ありがとうございます。ぜひ」と言って再度一礼するのだった。


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シリーズ 日々掌編短編小説 472/1000

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