タンゴノセック 第832話・5.5
「伝統を大切にしないといけないな」未来の地球人であるXは誰にも聞こえないほどの小さな声でつぶやいた。
今こそは連邦地球国というひとつの国家だけが存在しているが、地球にはかつては200を超える国と地域が存在していたという。そのような遥か過去に存在した日本という小さな島国がもたらした文化は、未来においてもその国が存在した小さな島々の中では、伝承されていたのだ。
「かつては子供の日の祝日でもあった5月5日か」Xは自らの遠い先祖が、日本という国に住んでいることを昨年知った。それ以降は日本と呼ばれた島に移り住む。そこで日本が持っていた、かつての文化を調べ上げていた。その中のひとつに「端午の節句」という存在を知るのだ。
Xはかつて日本と呼ばれていた島々の中で、この日を迎えようとしたが、結局それはかなわなかった。
「悪いが、トラブルが発生したようだ。君、悪いが、明日至急チタニアの営業所に行ってくれ」
前日の夕方に、上司から突然言われた言葉。5月の上旬と言えばかつての日本ではゴールデンウィークと呼ばれ、祝日が並んでいた休暇の時期であったが、連邦国家となった今はそのようなものは消滅していた。
いわゆる元日も含めて祝日のようなものは一切ない。もちろん有給はあるので、長期のバカンスは可能。そのうえ週休3日制が定着していたので、実質的には祝日があった当時よりも多く休みは取れていた。
「早い目に、有給申請をすればほかの担当が行ってただろうにさ」Xは明日の仕事が終わってから端午の節句を家で祝おうと思っていたのに、その時は出張の移動と重なってしまった。
ちなみにチタニアとは太陽系第7惑星の天王星に浮かぶ、天王星では最大の衛星の名前。
すでに連邦地球国は地球本星以外にもすでに居住区がある。それは「宇宙植民地」と呼ばれていた。月をはじめ火星や金星をはじめ木星から海王星までの衛星のうち、居住できそうなところを抜粋して次々と人が住める町を作っている。
ちなみにまだこの時代、太陽系の外は未開の地であったが、太陽系内は、ほぼ人の出入りが自由にできるようになっていた。それは冥王星よりもさらに遠くにあるエリスという準惑星にまで人が住んでいる。
この星の間を、最大光速で走る宇宙連絡船が網の目状に結ばれており、Xは、急遽地球からチタニアまでの連絡船に乗る羽目になった。
「5時間の旅か、ちと長いよな」Xはすでに自作した柏餅をカバンに入れて宇宙船に乗り込んだ。
地球を出た宇宙船は徐々に速度を上げる。光速と同じとはいかなくとも相当速い速度で宇宙船は航行。あっという間に月や火星を越えたと思えば、木星の巨大な存在が徐々に近づいていく。
「土星が見えたあたりで、柏餅を食べようか」大赤斑(だいせきはん)とよばれる木星の大きな赤い目と目を合わせながら、Xは静かにつぶやいた。
やがて土星が遠くから見えてくる。「さてと、本当は地球で食べたかったが、仕方がない。土星でも眺めながら日本という国があった時代の文化、端午の節句を祝うとするか」
カバンから取り出したひとつの柏餅。もちろん今この柏餅を造っている業者などは、すでにこの時代にはなかったが、似たような食べ物はあったので、Xは古い文献を調べながら、自らの手で柏餅を作り上げた。
「ある程度の味は予想できる。中に入っている餡というやつは甘いはずだ」
宇宙船の窓からは土星の大きな輪が見えてきた。最も美しいと、乗船客の多くはその様子を記念にとカメラで撮影する。だがXは何度もこの宇宙域をビジネスで航行しているから、土星の存在はさほど珍しくもない。それよりも目の前の柏餅を注目した。だがXはこのあと大きな間違いをしてしまう。
「何も考えずに食べよう。ではいただきます」先祖の文化を大切にするXは最初に手を合わせると、さっそく柏餅を口に入れてみる。
「う、か、硬いな。あれ、な、なんだこれは!」Xはあまりにも食感の悪さに、柏餅を口から出しかけたが、ここはぐっと我慢する。「ご先祖様はこれでお祝いをしたんだ。我慢、我慢」と心の中でつぶやきながら...…。
「ふう、どうにか飲み込めた」渋い表情をしたXは、口の中を掃除するように水を一気に飲みこんだ。
「それにしてもご先祖様はよくこんなのを食べたな。餡とそれをくるむ餅は美味しかったのだが、それを外側にくるんでいる葉っぱがとにかくまずい、苦いし、何この筋っぽいのって。歯に引っかかるよ」
つまりXは、柏餅を葉っぱごと食べてしまったのだった。
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