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機能不全家族によって起きる擬似HSP現象

HSP(Highly Sensitive Person)という言葉をよく見聞きする。感受性が強くて繊細な人々のことを指す言葉だ。

エレイン・アーロン氏の著書から大きく広がった理由は日本人の気質に合っていたこと、原因不明の生きづらさをどうにしかして折り合いをつけようとした人が多かったのかもしれない。

私もHSPのような特性を持ち合わせているが、私の場合は擬似HSPと言ってもよい。

その話をしよう。


なぜ繊細さ生まれたか

HSPの繊細さや感受性は生まれつき持ち合わせているものとされる。ただ、この繊細さや感受性は後天的に身につけることができる。

幼少期から両親が不仲であったり、機能不全家族であれば、後天的に繊細さと感受性を身につけることができるのだ。

理由は簡単である。

こどもにとって親はどんな親でも絶対的であり、自分の生死を握っている。そこから逃げることができない場合、親の顔色を読む、些細なことに注意を払う、気配りをすることによって、生存戦略としての繊細さと感受性が身につく。

これは生まれつきの繊細さでも感受性でもなく、生きるために会得した技術である。


命がけの技術と戦略が生きづらさを生む

親に適応するために起きた繊細さと感受性の技術は社会に出ると不適応を起こす。

家族の人数は核家族が増えたこともあり5人以下だろう。社会や学校に出ればその何十倍の人と遭遇し生活を送るのだ。

顔色を読む、些細なことに注意を払う、気配りをするを何十倍の人に向けて行えば生きた心地なんてしないだろう。

明らかに情報過多であり、やめたくても生死が関わっている状態で会得した技術であるがために手放しにくいのだ。手放したら、今度は死の恐怖に囚われてしまう。


擬似HSPは現代版アダルトチルドレン

アダルトチルドレンは元々、アルコール依存症家庭で育ったこどもを指す。

擬似HSPは本人がどう自覚しているかは別だが機能不全家族で育っていること、また記憶がないくらい幼い頃に愛着障害(主に見捨てられ不安)から、見捨てられないようによい子を演じようと必死になった結果起きた現代版アダルトチルドレン現象ではないかと私は考えている。


擬似HSPの生きづらさには何が必要か

個人的に純粋なHSPと対処法は変わらないと思っているが、アダルトチルドレンからの回復方法を学びつつどちらからもアプローチしていく方法が安定しやすいのではないかと思う。

私の場合は、HSPとしての対処を学ぶと、元々対処に手間取っていたコントロール欲が強い性格タイプの人の対処が危うくなりやすく、アダルトチルドレンとして対処をすると不安から新しいことに挑戦しづらくなるといった弊害が起きてしまったため、どちらも取り入れる形をとり、状況に応じて組み合わせを変更しながら対処していく方法があっていた。

どちらにせよ個人差があるため、物事の処理に対して発生する自分自身の感情や行動の癖を知っておくと生きづらさを減らす近道になるだろう。


最後に、

私自身が機能不全家族で育った擬似HSPだが、どう社会や物事との折り合いをつけていくかが大事だと思っている。

人間は使わない能力は衰えていくので、新しいことを休みながらでも挑戦していく方が、生きづらさが減る可能性がある。なぜなら、経験が増えることで不安感がやわらぐから。(そこまで行き着くまでも不安感がとてつもないと思う。私がそうだからだ。新しいことをする時は常にガクブルである。ガクブルな自分を責めてはいけない。武者震いだと思おう)


新しいことに挑戦しようとするたびに、ガクブルになる擬似HSPのクマガイがお届けしましたʕ•ᴥ•ʔ







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