話題作過ぎて避けてた、なんで読んでなかったの..と悔しかった本
ザリガニの鳴くところ
11月に映画が日本公開され、映画を見る前に原作を読んでおかなくては、と読み進めるうち主人公のカイアがとても魅力的な女性であるゆえに、原作の想定イメージと異なる女優さんなら嫌だな…と思いなおし、読了し放心状態になった12月初旬には、映画は終わっていた。
映画としては良かったのかどうかわからない。
ただ、小説は2年連続全米でもっとも売れた本に、間違いなかった。
湿地帯にあばら家に棲む6歳のカイア。母が去り、兄が去り、Dvだった父にも置き去られ、学校にも通わず孤児院にも入れられず、たったひとりで暮らす。
29までしか数字が数えられず文字を読めないカイアは、魚や貝を摂り畑を耕し、子供ながら自給自足する。
彼女を取り巻くのは、人間界ではなく川辺の動物や昆虫や鳥たち、彼らの生態を美しく時には残酷に、いきいきと輝くさまが見事だ。湿地の生きもの達の鮮やかな描写にほれぼれする中、タイトルにあるザリガニは、最終頁以外に一度しか登場しない。
交互に差し込まれるのは、町の人気青年・チェイスの死体。転落事故か殺人事件か、足跡も指紋もなく、難航する捜査を保安官目線で記す。
後半は法廷劇だ。ここでも、カイアの日常とチェイス殺害容疑者としての裁判が進む様が交互に描かれる。
この小説をミステリーと捉えるか、恋愛小説と捉えるか、自然との共生小説と読むか、によって感じ方は180度ことなる。
私はミステリーとして読みはじめ、証拠品が消えたことを最後まで不思議に思っていた。
そこで、終盤。
このアマンダ・ハミルトンの詩に、
沼地・湿地に迷い込んでしまった。
https://editor.note.com/notes/nc7c5054a81ae/edit/ 早川書房note
『ザリガニの鳴くところ』
ディーリア・オーエンズ 友廣純訳
この結末は痛く哀しい。
息をのむような揺るぎない余韻がただよい、こころに小さな小さな針穴をあけたまま本を閉じた。
↓ くなんくなん sanの感想文が刺さります、
どうぞ。
ファクト・フルネス
幼いころから思い込みが激しい私は、妄想が現実と逆方向に行ってしまうことがタタあった。
自らの先入観や、グラフの未来予測や
あっち側の人・あっち側の国や
今しかないと焦る気持ち。
そのすべてが物事を正しく認識できない障害になる。
著者は読者に何度もこう訴えかける。
データ(ファクト)を正しくとらえ、思い込みをやめ、冷静に考えるアタマとココロを持っているか⁉︎ と。
なかでも、もっとも胸を打ったのはこの文章。
”人々の暮らしぶりにいちばん大きな影響を与えている要因は宗教でも文化でも国でもなく、収入だということは一目瞭然だ。”
西洋がもっとも進んでいてそのほかの地域は西洋に追いつけないなんて、とんでもない勘違い。知識はその都度アップデートし、ドラマチックな見方ではなく、事実に基づく世界の見方をしよう。
シンプルに世界を正しくみつめるコツを、この本は教えてくれた。
事実に目を背けず世界をみれば、世の中はそれほど悪くない。私になにができるか、考えてみる時期が来ているようだ。
50代から学びなおすのに、最適の本。
2022年は侵攻やコロナ余波や分断がしずまるどころか激しくなった1年。
子どもたちにもぜひ読ませたい一冊だ。
FACTFULNESS(ファクトフルネス)
ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド:著、
上杉周作・関美和:訳 / 日経BP社