つまみぐい【ニ】
モンブラン味のキットカットに思わず手を伸ばそうとしたその時。
夫が遠くからゆっくり近づいてきて、牛乳を買い物かごにどすんといれた。
スーパーは秋のおやつが目白押しである。さつまいも、くり、かぼちゃ......9月に入ったからなのか、ハロウィン風のパッケージが目立つ。
去り行く夏。
色々なことが今年もあった。
この夏、私は、ある一つの作品に出会ってひとめぼれした。
それはXのタイムラインで流れてきた漫画だった。
「神様」という作品で、このリンクから無料で読める。
「その時 ワタシは 炊飯器だった」
というセリフから始まるこの世界は、そのセリフのユニークさからは程遠く、内容は決して生ぬるいものではなかった。
愛とかなしみと息苦しさが絶え間なく押し寄せてくる。絶望と希望の物語。
パンチをくらった気分だ。
いいものに出会うとそう思う。
「お前はそんなところでうじうじしてんじゃねえよ」と本から聞こえてくる。
そんな本が私にとってのいい本であり、いい存在である。
くそ、わかったよ、うじうじなんかしてやるか!と私に思わせるような話や人が、この世界にはごろごろ転がっているから、私はまだまだ生きられる、と思う。
この炊飯器の持ち主は「四時子さん」という人で、家には恋人の「サト」が来る。
炊飯器に宿った魂は、ある時は四時子さんの「靴」になり、ある時は四時子さんの「マフラー」にもなる。
この魂は
さいごに
神様になることを望んでいる。
現世と常世が
曖昧になる話が
好きだ。
私は特定の宗教も神様もご贔屓を持っていない人間であるが、亡くなると永遠になれるのだなと、亡くなった友人のことをふと思った。
彼女は年を取らない。
あちらに行った人たちは年を取らずにそのままとどまっていて
私だけがまた変化していく。
思念のかたまりや、においや、そこにかつてあった影のようなものを、忘れないことは必要だと思う。
けれども、私は同時に執着しすぎてもならないと感じた。
どこか美化しすぎないように。
「キムチの素は使いきりなよ」
とゆうゆうさんに長野のバス停で言われた。
彼女からもらったキムチの素の最後の一回分と、スガキヤのインスタントラーメンが、私はいまだに使いきれない。
そんな話をした。
私は、私と彼女を少しずつ解き放っていかねばならない。
そんなことを、この作品を読んで思った。
選書からもれた「心臓」という本に「神様」も収録されている。他の作品もこの世にはありえないモチーフがたくさん出てくる。しかし、よりリアルに感情が私にせまってくる。
風が涼しくなった。
秋の虫の声が、夜は聞こえるようになった。
暑すぎた夏は終わりを告げようとしている。
2024の夏にしか体験できなかった思い出をつかんだ私と
2024を乗り越えることのできなかった様々なものが
季節の移ろいをゆく。
キットカットは単純な栗の味ではなく、確かにモンブランだった。
しばらく手の中で握り込んでいたので、表面が少し溶けた。
モノゴトは様々な形を通して、私に訴えかけてくる。
きっと、ささやかれているメッセージや本質というのは、何も変わらないのだと漠然と思った。
秋を迎えよう。