つまみぐい【一】
煮物はしていないが、コンロで手羽中の肉を焼きながら、あることを考えている。
最近「自分が何をされたら嫌なのか」が、あらためて見えた。
こんなことは、おそらくわからない方がいいし、わかったところでどうしようもないのだけども。
小さな「嫌」は、どんどん雪だるまみたいに転がって、止めることもできずに勝手に大きくなってしまう。
一度開いてしまったニットのセーターの穴も、ほつれたところは気づくと昨日より広がっている。
大きくなった「もう無理!」は「怒り」に転じやすい。小さな「嫌」から距離を取るのは大事なことだなと思っていた。
私は、自分のことは可能な限りは自分で決めたい。
誰かに「この人のためにこうしてあげて」とか「あなたはこうしないとダメだよ」とか言われること、言われそうな雰囲気がたまらなく嫌なのです。
意見をただ聞くことはできる。
でもそれを最終的に選ぶのは私なんだよねって思う。
そこには、ありがとうごめんねが混在してる。
気持ちは受け取ります。ありがとう。
でもせめて私のことだけは私に決めさせてね。
あなたのことはあなたで決めたらいい。
そういうところが「頑固」と言われる所以なのかもしれないけども。
他の人はどう考えてるんだろうと思ったりする。
手羽中は照り焼きの下味をつけた。コンロを引き出すと、きつね色のいい色合いになってきた。息子が手羽中のお肉が好きなのだ。手羽先でも手羽元でもなく手羽中一択。
ブックカフェに行く前に選書をした。
選書する中で、本を最近まともに読んでなかったことに気づく。
私はいつも、本をつまみぐいするように読む。
一冊を読み終わってから次!という感じではなく、今日はこの気分、明日はこの本を進めてみようと、気まぐれに読む本を手に取る。
今回選ばれなかった本たち。
つまみぐいのように読んだものを自分のために振り返ってみる。
「坊さん、ぼーっとする。」
作者は栄福寺というお寺の住職さん。
そして、この本はシリーズ化されており「ボクは坊さん。」と「坊さん、父になる。」の前著もあって、その続きの本になっている。
昨年からずっと「怒り」について悩んでいる。
「怒りをかなしみに」ということをどこかの本で読んで、かなしみに変えよう変えようと努力してきたが、それだけだと自分が苦しくなることもあった。
そんなことを友達に話したら「そりゃ難しいよ」と言われた。私はかなり無謀なことにチャレンジしていたのかもしれない。
今回の本はブックカフェに行く道中のバスで、上記のやり取りと共に友達に紹介している。
「大我」?
この大きな、絶対的な怒りについて、ピンと来ないという話を彼に伝えた。
大きなスケールの怒りに着目するとは.....??どういうこと?
「エネルギーの流れが行き場を失っている」
川の流れのようにせきとめておくと、いつの日か水かさが増して、洪水のように溢れ出てしまう。
どのように流していけばいいのか。ここの部分だけだとわからない。
怒りに蓋をせず、よく観察すること。
怒りを無理に無くすのではなく、そこから理想を描く自分を見出すこと。
今はそのようにするしか手立ては思いつかない。大我というものがどういうものなのかをまた考えていきたいと思う。
もう一つ取り上げたい箇所は「自由自在」について。
「ほっとく」
「やめるものを決める」
「あると言ったほうが近い、ある種曖昧な存在に目を向ける」
の3つの行為が
「私の思い通りにしよう」という心を解き放つ試みとなるとのこと。
著者は師匠から「この自由自在は元々、仏教の言葉ではあるが、今使われているような"自分の思い通りにする"という意味ではないよ」と言われたとのこと。
むしろ意味は逆。
「自分にこだわりすぎると、自由にも自在にもなれない。もっと<大きな世界>に自分を同化させ、飛び込んで、我を残さないこと」
これは道徳の話というよりも、技術に近い話であるそうだ。
そして「自分の意見ではなく、他人の意見で動きましょう」という話ともまったく違う話になるとのこと。
2つとも、今の私に必要なことだと思う。
いつの日か
飛び込んで委ねても、己であることは変わらないという心の強さがほしい。
私はすぐに、気弱になってしまう。
すぐに相手が入り込まないように鉄壁のガードを作り上げてしまう。機動隊員をすぐ出動させている。不穏因子を取り締まりたくなってしまう。それはある意味、自分の心を保つためにも大事なことではあるとは思うけども。
私にとって大切な相手ほど、私を知っていてほしい。
私という人間の解像度を高く持っていてほしいのだ。
しかし、そんなことからもいつか執着を手放したい。
私はたとえ自分がいなくなって、離れた距離にいってしまっても、相手の心に自分のカケラのようなものを置いておきたい願望があるので、全部を捨てるのは難しいと思っている。
だけども、そのようなものからも、いつか心を放せたらいい。
未熟な自分を今は知る。
またそこから進めばいいと思っている。
手羽中は息子がきれいに食べた。
彼は軟骨までがりがりと食べるくらい鶏肉が好きだ。
残された骨を見た。
最近書いた創作の話でもないのだけども、私はもう大丈夫と思った。
雨粒がまた屋根をたたいて大きな音を立てている。
洗い物の水の音が、耳の奥にいつまでも響き渡っていた。