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今日も麦茶は冷蔵庫の中で私を待っている

「冷蔵庫に麦茶が入ってるから」

義理のお母さんは顔いっぱいに流した汗をタオルで丁寧に拭きとりながら、私に話しかけた。

お姑さんのリハに週2回入っている。

彼女は先月股関節の手術を行った。人工関節を入れて、順調にリハが進んでいたが、なんと退院2週間後の受診で「疲労骨折」の診断を受けた。


それが先週の話。


担当医師は「自宅で安静にして1ヶ月後に再診」と告げた。


お姑さんの入院中の担当リハスタッフは、私が以前病院に勤めていた時の同僚であるので、電話をしたらさっそくレントゲンを見て確認してくれた。

「大転子のあたりですね」

骨折部位を伝えてくれる。彼と話して、中臀筋などの筋肉を使ったトレーニングを中止して、外来リハビリはひとまずやめることとした。

訪問リハは、手術した膝関節の拘縮が進まぬように膝のストレッチとトレーニングをすることと、股関節の骨折が安静に保てているか等の生活動作を確認するために、継続する方針となった。


実は訪問目的は体のことだけではない。

私は何としても訪問は継続させたい方針なのである。

彼女の話を聞くこと。
夫から望まれている私の役割の一つ。

それを訪問リハの時間を使って行う。

実際このことを開始してから、自宅へかかってくる電話が、以前に比べて半減したのだ。


お姑さんは失語症のお舅さんとの会話に張り合いがない。

誰かに話を聞いてほしいという願いは叶えてあげたいなと私は心密かに思っている。


お姑さんは私がくる時間に合わせて、暑い中での労を労おうと、麦茶をコップにそそいだ状態で、いつも冷蔵庫の中に冷やしておいてくれている。


私を待つもの。


ホルモンバランスが崩れて

体が熱くて仕方ないお姑さんと

きんきんに冷えた麦茶。


お姑さんはお舅さんが畑やグランドゴルフに出かけていると、きまって愚痴をこぼしだす。


入院中に洗濯物をきちんと畳んでしまってくれていなかったこと。

痛みがあるのに、心配してくれないこと。

家事などを率先して手伝ってくれないこと。

手伝ってと伝えても、内容がうまく伝わらなかったり、彼女の望むような形で、家事を遂行してくれないこと。

あまり続けてお願いすると怒鳴られること。

私はうんうんとうなづきながら聞く。

「夫婦で長年一緒にいて...こんなにわかってくれないなんて...かといって熟年離婚なんて、この歳でね」

と最後にしめくくる。

彼女はそう言いたいだけなのだ。だから私はそこは反論も共感も同情もせずに、ただいつも受け止めていたいと思っている。

こういう時。
「ケア労働」という文字が頭の中に思い浮かぶ。

家庭の中の家事・育児・介護などの「ケア労働」は、自分でニーズを満たせない子どもや高齢者に対する労働で、「無償労働(アンペイドワーク)」の代表的なものです。

朝日新聞デジタルより

彼女は教員を務めてきて、早期退職はしたもののずっと共働きだった。

彼女の義理の両親も同居していたので、介護などの面倒も見てきた。お姑さんにいびられていたことも、本人あるいは夫から話としては聞いている。

お舅さんは何も疑問を持たないのだろう。でも世代的には仕方なしと思う部分が、私の中では勝ってしまうのだ。


「ケアの倫理の議論」はご存知だろうか。

 程度の差はあれ、人は誰しも、誰か他の人に対して依存しており、相互依存関係のうちに置かれているということ。

Weblio国語辞典より

エヴァ・フェダー・キテイといった理論家たちは、ケア労働が社会的にジェンダー規定されていることを批判し、公的領域と私的領域のどちらにおいてもケアリングがなされ、またケア提供者は評価されるべきだと提唱している

バクゼンさんと新潟でお会いした時に彼女が話していたことで、忘れられない発言があった。

なんで、男性が家事を手伝わないことに関して、男性に言うよりも、そのように教育してこなかった女性に対して矛先が向けられることがあるのでしょうね。それがいつも不思議だなと思います。

ナイスバクゼン語録より

ケアする人を責めたり攻撃してはいけないと思う。

ケアする人をケアする人が、もっともっと世の中にはいてもいいと私は思っている。

昨日の記事であげた本に(「とまる、はずす、きえる」)

「ケアリング・マスキュリニティ」

ということばがでてくる。

新しい男性の役割に関する調査報告書

というものがあって、長いけれども興味のある方は一読してほしいと願っているが、ここに一部転記する。

まずはケアリング・マスキュリニティについて。

 EUの政策において、男性の変化を促すための方法が、「男らしさ」そのものを否定するのではなく、従来の男性のあり方に替わる新しい男性のあり方を推奨するというアプローチである。

 これまで、育児や介護に代表される「ケア」は「女らしさ」と結び付けられ、男性にとってはふさわしくないものであるかのように見なされてきた。しかし、男性による「ケア」への関与は、ジェンダー平等の実現において重要である。

 第1に、男性へのケアへの関与は、ジェンダー平等と女性の経済的自立の促進にとって重要である。男性はこれまで、自らはケア労働から遠ざかり、それらを女性に任せてきた。その結果、男性には職業労働を担い経済的自立を果たすチャンスがより開かれるのに対して、女性は家事・育児・介護といったケアにかかわる無償労働への責任から経済的自立の機会が大きく制限されてきた。また労働市場においても、ケアに関わる職業は家庭内の無償労働と結びつけられることで賃金が低く設定され、主として女性によって担われてきたが、そのことが男女賃金格差を生じさせる一因となってきた。したがって、ジェンダー平等と女性の経済的自立を促すためには、ケア労働を女性にだけ任せておくのではなく、男性も女性とケア労働を分かち合うことが求められている。

 第2に、男性のケアへの関与は、男性自身の生活の質や健康のためにも重要である。男性はこれまで、他者のケアを女性に任せてきただけでなく、自分自身のケア(セルフケア)も怠ってきた。男性役割を稼ぎ手役割に特化し、タフさやリスクの高い行動をとることを「男らしさ」と同一視し、弱みを見せたり相談したりすることを避けることで、生活の質の低下や健康の悪化を生じさせてきた。したがって男性は、他者はもちろん自分自身をもケアすることにより、自分たち自身に直接利益をもたらすことができるのである。

男性が新しい男性のあり方を考えたり、ケア労働に参画することで、いいことがあるよということを上記は述べている。女性が社会的に進出できるのもそうだが、私はこの「第2」の方が見過ごされやすいけども、意外と大事なところではないかと感じている。そしてセルフケアは性別問わず大事だと思う。

男性独居の高齢の利用者さんは、生活や健康を維持していくことが、女性独居の方に比べて難しいものだなと、私は仕事で感じることが多い。

食べるものは外食、お弁当。

整理整頓ができない。

誰にも心根を話せない。

友達との交流や趣味も少ない。

そんな人たちは、極めて不健康の一途を辿ることが、少なくはないと思ったりもする。

もちろんそうではない男性の方もいらっしゃるのだが、そんなケースは稀である。

この調査は国や年代や地域で分けて行われており、その結果の違いがおもしろい。

日本の中でも年代や地域での格差が顕著となっている。

私がこの資料で1番驚いたのは、この部分。

 職場での差別的な女性観を伝統的な男性性の指標と想定し、分析モデル設定時には、職場の女性観が差別的であるほど家事頻度が低いという結果を予想していたが、結果は逆であった。

差別的な価値観を持っているのに
家事頻度は高いという結果が出ている。

以下の文章は1つの解釈として、資料の中で述べられているので、転記する。

「仕事での成功」が依然として男らしさの重要な要素であり続けながら、新たに家事も「男がすべきこと」とみなされつつあるという男性性の累計的変化のなかで、仕事に限らない競争意識のようなものが、職場での女性観と家事頻度の両方に影響を与えている可能性が考えられる。
 すなわち、仕事のみならず家事もが「男がすべきこと」と見なされる状況のもとでは、競争に勝つことを「男らしさ」と同一視し、男らしくありたいと願う男性たちは、仕事での成功と家庭における責任遂行の両方において他者との競争を意識しつつ、自分はその両方を果たせているという自己イメージを保っていたいのではないかと考えられる。彼らが職場で女性を差別的に見てしまうのは、そうした見方をした方が職場における自己の有能感を感じられるからであり、また、仕事での役割をこなしながら自分は(これまで女性の役割と見なされてきた)家事もこなしているという(実態は別として)自負があるがゆえに、女性に対してはなおさら家庭責任を果たすことを求めたり、職場での女性の仕事ぶりをより厳しい目で評価したりしてしまうということなのではないだろうか。

うはぁ、けっこう辛辣...!

でもこのあとも、実はもっときびしいことが書かれている。

男性の変化のための3つのキーワードは

シェア
ケア
フェア

だそうだ。

私が今、できることは、お姑さんをケアすること。そして、私たち夫婦も、今後対話して話しあって進めていくこと。


あとは、私は冷たい麦茶を飲むことである。


夏の麦茶っておいしいですよね。



ケアについて、身近なところでも感じることがあるという話でした。


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