まっさらな心で子どもを見る
数年前のこと。
区内の幼稚園から
仕事の依頼がきました。
年少クラスに
入園する子で
多動傾向の子が一人いるので
その子の支援についてほしい
とのことでした。
結婚前まで
幼稚園教諭として
働いていましたが
結婚と同時に退職し、
その後、
10年くらい
仕事から離れていました。
幼稚園への復帰は
考えていませんでしたが、
クラス担任ではなく支援員、
半年間という
期限付きだったこともあり、
色々悩んだ末に、
引き受けることにしました。
「あの子が、Rくんよ」
入園式が始まる前に
先生がこっそり
教えてくれました。
くりっとした瞳が印象的な
かわいい男の子でした。
もうすでに
落ち着かない様子で
廊下をくるくる動き回り
その後をお母さんが
必死に追いかけていました
この子がR君かぁ…。
これから
どんな生活が始まるのだろう…
不安もありましたが、
久しぶりの
幼稚園での仕事、
子どもたちとの生活に
ワクワクする
気持ちもありました。
いよいよ翌日から
R君との生活が
スタートしました。
話には聞いていたものの
ちょっと目を離した隙に
鉄砲玉のように
どこかへ飛んで行って
しまうR君。
まるで、
追いかけっこのような
生活が始まりました。
担任の先生からは
クラス活動の時は
一緒に活動させたいと
言われていたので
朝の会、帰りの会
様々な学級活動には
出来るだけ
参加させるようにしました。
座って待つ
話を聞く
順番を待つ
同じ年齢の子にとっても
なかなか難しいこと。
じっとしているのが
苦手なR君にとっては
なおさら難しい課題でした。
自分の席にいられるのは
ほんの一瞬のこと。
すぐに立ち歩き
部屋をウロウロしたり
時には
部屋を出て行ってしまうことも
ありました。
それでも、
最初のうちは
担任の先生の指示通り
出来るだけ
集団に戻す方向で
援助を試みました。
暴れるR君を力尽くで…
なんてこともありました。
気が付けば、
状況は悪くなる一方でした。
しだいに、R君は
私を避けるように
なりました。
これはまずい…。
私は、
担任の先生に相談し、
しばらくはR君のペースで
いさせてもらえるよう
お願いしました。
この時点で
すでに、私は心身共に
ボロボロの状態でした。
諭してもだめ、
おだててもだめ、
何をやっても
だめだめだめで
最終的に力尽くで
何とかしようとして
それでも
どうにもならなくて…。
今までの保育も、
我が子の子育ても、
全く通用しない…
その上、
現役の頃に比べ
体力もずいぶん
落ちていました。
それなのに、
10年前と同じ気持ちで
最初から全力で
突っ走っしまった私は、
案の定、
間もなく
体調を崩し、
倒れてしまいました。
今思えば
一度
どーんと落ちたことが
良かったのかもしれません。
私は、
自分の中のプライドや
色んな思い込みを全て捨て
まっさらな気持ちで
一からR君と
向き合うことにしました。
そしたら…
何だか、
気持ちが楽になりました。
その時、
思いました。
私は、これまで
R君のことを
ちゃんと見ていたのだろうか…と。
私の気持ちが
変わったからなのか
あるいは
園生活に慣れてきたせいなのか
R君の行動が
少しずつ
落ち着いてきました。
そして、
あれだけ嫌がっていた
クラス活動にも
興味を示すように
なってきました。
もちろん
一時も我慢が出来ない時
気持ちが向かない時も
ありました。
そんな時
R君のこんな叫びが
聞こえてくるような
気がしました。
本当は
ぼくだって大きくなりたい
この場に座っていられる
ようになりたい
でも、出来ないんだよー
だから、
ほんの少しでも
その場にいられた時は
褒めるようして、
出来ない時は
それ以上は
無理強いしないことに
しました。
日々
一緒に過ごす中で
R君の好きな物、
好きな遊び、
興味、関心が
分かるようになり
ある程度は、
行動の予測が出来るように
なってきました。
好奇心旺盛で
とにかく
色んなことをやりたがる。
我慢出来なくて
友達を叩いてしまうことも
あるけれど、
本当は心の優しい子。
ずっと見ているからこそ
R君の良さも分かり、
愛しさも増していきました。
ただ、
いくら私が、
R君の良さを分かっていても
おもちゃを一人占めしたり
順番を守らなかったり
乱暴をしてしまったり
ということが
しょっちゅうありましたから
「もう、いつもR君は…」
とクラスの子の不満は
たまっていきました。
その都度
互いの気持ちを受け止め
代弁したり
良さを伝えたり
できる限りのことは
してきましたが、
この年齢で、
互いの違いや良さを認め合う
ということは
さすがに、
難しいことでした。
それでも、
R君もいずれは
社会の中で
人とつながりながら
生きていかなければ
なりません。
今は難しくても
ゆっくり時間をかけて
自律心を育んでいくことは
とても大切なことだと
思いました。
わがままと個性は
全く違うもの。
自分の良さを発揮しながら
自分の気持ちも
コントロール出来るようになり
互いに認め合いながら
共に生活していけるようになる。
それが長い目で見た時の
R君の目指す姿であり目標、
そんな風に思っていました。
結婚前に
幼稚園で働いていた時は
ずっと、担任という立場で
クラス全体を見ていました。
だから、
こんな風に、常に
一人の子の視点から
クラスや担任の先生を
見ることは、
ある意味新鮮で、
たくさんの気付き、発見が
ありました。
担任という立場で
クラス全体をまとめて
いかなければならない時、
バラバラな状態というのは
とても大変なものです。
例えば、読み聞かせの時。
みんなが
絵本の世界に入り込んで
静かに聞いている…
そこで
大声を上げたり
飛び跳ねたり
走り回ったり
そんな風に
反応する子がいたとして…
みんなの集中力が
一気に途切れる。
全てが台無し。
そんな時
あ~と
ため息が出ます。
でも、
その声を出したのが
R君だったとして、
いつもは、
じっとしていられない
R君が
途中までとは言え
絵本の世界に集中していた。
あるいは
絵本の世界にどっぷりつかって
思わず声が出たり
はしゃいでしまったとしたら…
それは
むしろ喜ばしいこと。
でも、そんな時
担任であれば
「ここまでよく聞いてたね。
嬉しくて走り回ったんだね」
とは、なかなか言えないもの。
もし、そんな風に言ったら
こんな声が
聞こえてきそうです。
「僕(私)だって、
静かに聞いていたよ」
「そんなら
僕(私)も僕も走ろう」と。
こういう時に
支援員がいれば
すぐに、
その場に応じた対応が出来るし
担任の先生は
クラス全体への指導を
続けることが出来ます。
だからやっぱり
支援員は
必要なのだと思います。
今の私なら
ここでR君が
厳しく注意されたら、
「先生、それはあんまりです…」
と心の中で
反論してしまうでしょう。
でも、
そんな風に思えたのも
こちら側の世界に
どっぷり浸かることが
出来たからかもしれません。
だって、
一人でクラスを見ていたら
どんなに素晴らしい先生であっても
個々に応じた保育には
限界があります。
正直、
見落としてしまっていることは
たくさんあると思います。
もの凄い発見をして
大声を上げることだって
あるかもしれません。
それを
「今は静かにする時です」
の一言で片付けられたら…
本当は、
それはもの凄い発見で
別の場面であれば
大いに褒められるべきこと
かもしれないのに…です。
悲しいですよね。
そういうことが
見えてくるに従って
クラス全体がまとまるって
一体何なんだろう…
と感じるようになりました。
果たして
クラスというものが
まとまってしまって
いいのだろうか…
とさえ考えるようになりました。
学校で
様々な仕事や
ボランティア活動を
させていただく時も
同じように感じます。
いつだったか
担任の先生に
こう言われた時がありました。
「早い子のペースに
合わせたいのです…」と。
私は何だかどうしようもなく
悲しくなってしまいました。
では、ついて行けない子は…。
でも、先生も
本当に大変そうなのです。
次から次に
上からたくさんのことが
降りてきます。
新しいシステムの導入、
新しいカリキュラム…
その度に
子どもたちに
させなけらばならないことが
山のようにて出て来ます。
追い立てられるような毎日。
やるべきことを、
どんどん片付けていくために、
授業についていけない子は
おいて行かれ
出来ない子は
むやみやたらに叱られ、
一様の正解を求められ、
求められていること以外の答えは
今は必要ないと認められない。
まとまること
まとまることへと
導かれ
そこから飛び出すことや、
皆と違うことは
ダメなのです。
個性って何?
一人一人の良さって何?
はたまた、
この決まり必要ですか?
それって本当に守らなくちゃ
ならないことですか?
と、まぁ、
思うことは
たくさんあります。
もし、
子どもが学校が嫌いと言ったら…
それは、むしろ健全?!
なのかもしれません。
だって、
自分らしくいることが
許されないのですから…。
もっと自由になって
一人一人の良さが
生かされて、
支援も充実して…
そんな学校になれば
みんながもっと学校を
好きになるんじゃないかな…
そんな風に思います。
でも、
今すぐに
学校が、
世の中が変わるというのは
現実的に
難しいでしょう。
だからと言って
このままでは
子どもたちは
報われないままです。
では、どうしたら…
正直
分かりません。
でも、
例えば
身近な大人が、
私たち親が、
今、出来ることから
はじめてみるというは
どうでしょう。
それは
目の前の我が子と向き合う。
そんな小さなこと
かもしれません。
勉強が出来るとか
運動が出来るとか
そういう限られた
狭い評価を飛び越えて。
その子が
それをやっている時に
本当に楽しそうとか
いい顔してるとか
そんな風に
いきいきと
自信を持って
輝けるような
そんなこと、もの、場を
家庭の中で、
大切にしてあげられたら
ステキだなと思います。
学校の中では
認められる機会がなくても
あるいは
評価に値しないことであっても
親であるみなさんには、
お父さんお母さんには
きっと分かると思います。
我が子の良さが…。
小さい頃から
この子はこういうことが
好きだったな…。
こういう時
本当に嬉しそうにしてたな…。
ということが。
決まりに縛られ
やらなければならないことを
やるだけの生活は
感じることを
忘れさせてしまいます。
自分は本当は、
どんなことがしたくて
何をしている時が幸せなのか…
学校生活や
普段の勉強には
役に立たない
一見無駄とも思えるような
ものの中にこそ
生きていく上で大切なことが
たくさん溢れていて
私たちは
知らず知らずのうちに
子どもたちから
そういう大切な機会を
奪っているのではと
最近つくづく思うのです。
皆と違っていても
それって将来何の役に立つの?
ということであっても
その子の中にある
キラリと輝くものを見出して
大切にしてあげられたら…。
そしたら、
子どもたち一人一人が
もっともっと生き生きと
輝き出すのでは
ないでしょうか。
一人にできること。
それは
取るに足らない
小さな小さなこと
なのかもしれません。
そんなことして
何の意味があるの?
そんなことをしても
現状は変わらないよ。
そう言われても
仕方がないこと
なのかもしれません。
それでも、
その『一』は、
決してゼロではないから…
その『一』が集まれば
百になり千になり
いつか大きな力になる…
そしたら、
学校が、
世の中が変わるかも知れません。
だから、
私は、
これからも
コツコツと
続けていきたいと思います。
今、私に出来ることを。
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