100点以外はダメな時がある~子どもが学校に行けなくなったら…
ついに学校に行けなく
なりました…
息子の同級生の
お母さんからの
ラインでした。
切羽詰まった感じでした。
ここ数週間、
何となく元気がないのは
知っていました。
何度か、相談を受けていましたが
これだと言える理由が
あるような、ないような…
というより
全てが憶測でしか
ありません。
悩むお母さんの気持ちは
痛いほど分かりました…。
何と返事をしたら…
我が子に置きかえて
考えてみました。
そして、
次のような
返信をしました。
多感な時期だし
人にどう見られているか
とても気になるのでしょうね…
友達関係とか
日々悩みも尽きないでしょうし。
もしかしたら、
本人ですら
何が嫌なのか
どうしたいのかも
分からないのかもしれないですね…。
そうだとしたら
訳を聞かれることも辛いだろうし…。
とにかく今は
とても辛くて悲しいのですね。
もし、
我が子が
学校に行かなくなったら
どうするだろう…
私は
待つことを
選ぶと思います。
待っていても
どうにもならなかったら…
と思うと、
怖くて仕方がないけれど…
それでも
生きていればそれでいい。
そう思って、待つと思います。
今は人生の小休止
そう考えて
ゆっくり休んでもいいのでは
ないでしょうか。
ラインの最後に
少しだけ主人の話にも触れ
勝手なこと言って
すみませんと
返信しました。
昨年、主人が
心の風邪をひいた時
生きていれば
それでいいと思いました。
ちょうどその頃
三浦春馬さんが
自死しました。
ニュースでそれを知った時、
人はこんなにも簡単に
死んでしまうものなのだと
とても怖くなりました。
死を選ぶくらいなら
仕事も学校も行かなくていい。
無理をして無理をして
どうにかなってしまうくらいなら
無理していることを
まず辞めてみればいい。
それを辞めても
命はとられない。
あとは、
そんな自分を
自分が許してあげられるかどうか…
それが一番大変なこと
なのかもしれませんが…。
子どもであれば、
親がそれでいいと
認めてあげれば
それだけでも、ずいぶん
楽になるのではないでしょうか。
話は変わりますが
息子は、少し前まで
高校には行きたくないと
言っていました。
ただ、息子の場合は
中学を出てすぐに
弟子入りしたいという
理由からでした。
今時、
高校を卒業していないと
仕事に就けないと
先生には言われたらしいのですが…
その時
主人も私は、
本人が
そう希望するなら
それでもいいと思っていました。
ただ、その後
息子は
高校に行く意味を見出したようで
今は、
やっぱり高校に行ってみたいと
言っています。
どちらでもいい。
いつだって
やり直すことも出来るし。
息子には
そう話しています。
なぜこんな風に思えるか
と言ったら…
私たちは、
息子を信頼しているからです。
この子なら大丈夫。
そう心から思えるからです。
それは、
何かが出来るとか
そういう
ことではなくて、
信じている
ただそれだけです。
どうして
信じることが出来るのか
と言われても、
今日まで子どもと
向き合ってきたから
としか言えないのですが…。
子どもを信じることが
出来れば
どんなことも
問題とは
あまり感じなくなります。
子どもを信じられない…
それは、
もしかしたら、
親自身が
何か他に問題や悩みを
抱えているという
ことなのかもしれません。
それは、
パートナーのことなのか
親子関係のことなのか
分からないけれど
何か引っ掛かるものがあって、
そのせいで
自信がもてない…。
自分を信じることが
出来なかったら
誰かを信じることも
難しいように思います。
それが、我が子であっても。
子どものことで
悩みが生じたら
そのこととは別に、
自分の中に何か
引っ掛っていることや
悩みがないか、
考えてみると
いいかもしれません。
なぜなら、
私のこれまでの
子育ての悩みのほとんどが
息子の問題ではなく
自分自身の問題だったからです。
自分の中の問題が
解決すると
息子の悩みは
自然と消えていったというか
悩むことでもなかった…
そんなことがたくさん
ありました。
私が握りしめているものや
こだわっているものについて
なぜそうなのか
掘り下げて見ていった時、
認めて欲しかったんだとか
愛されたかったんだとか
そう言う自分の課題に
ぶつかりました。
知らず知らずのうちに
それを息子の問題に
すり替えて
息子の問題を解決しようと
必死になっていたのでした。
何のことはない。
私の問題でした。
とは言え、
それと向き合うのは
大変なことではありましたが…。
息子が小学1年生の時
ある男の子がいじめにあい、
しばらく学校に来れなくなった
ことがありました。
その場にいた息子も
いじめに加担したのでは
とその子のお母さんに疑われ
私はとても悩みました。
でも、本人は
何もしていないと言いました。
ただ、その場にいたのは事実でした。
息子は、
ふざけているだけだと思った
と言いました。
この時は、
後日、男の子本人から
息子には何もされていないと
言われ、
その子とも、お母さんとも
これまで通りの付き合いが続きましたが
正直、しばらくは
生きた心地がしませんでした。
息子には
優しい子に育ってほしい
ずっとそう思っていました。
ただ、そこには
私の複雑な感情が
絡み合っていました。
息子が友達をいじめたとしたら…
その親である私が
人として信用されなくなる。
人から信用されたい。
良い母として認めてもらいたい。
そのためには
息子には、
優しい良い子で居続けて欲しい。
結局は
自分の存在を認めてもらいたい。
それが一番の理由だったのです。
自分で自分をすばらしい
と思えないから
自分に自信が持てないから
子どもに、何かある度に
不安になり、悩んでいたのです。
私は、自分の課題と
向き合うことにしました。
幼い頃の自分、
傷付いた自分と向き合い
自分自身を癒してきました。
このままの自分でいいんだ
そう思えるようになり
自分に自信が
もてるようになってからは
ずいぶん子育ても楽になり
子どもに何かあっても
子どもを信じているという
気持ちが支えとなって
どっしりと構えて
いられるようになりました。
最後に、
また別の視点からもう一つ。
臨床心理学者河合隼雄さんの著書
『こころの処方箋』の中で
印象に残っている話をご紹介します。
『100点以外はダメなときがある』
人生には時には
100点以外の答えはダメなときがある。
努力を続けてきたという人の中には
常に80点の努力を続けてきている人がいる。
確かにその人の平均点は
人並み以上どころか、大変高い。
ところが、100点以外はダメ、
という時も80点をとっていては
ダメなのである。
家族関係のことを例にとってみよう。
(中略)
100点満点の模範解答はない。
しかし、自分には今
100点満点が要求されている。
これしかない、
という自覚があるかないかで
結果は大いに違ってくる。
自分のもっているだけのものを
全力をあげてぶっつけてみるのだ。
そこにはじめて本当の対話が生まれる。
家族の対話が必要などといっても、
それほどいつも出来るものではない。
ピンチ即チャンスを生かしてこそ可能である。
これしかないという自覚を持って
全力でぶつかっていく。
ラインをくれたお母さんにとって
100点満点をとらなければならない時
それが、今なのか、
もっと前にあったのか、
私には分かりません。
河合隼雄さんの言葉を踏まえた上で
改めて思うのは
やはり、
日々子どもたちを見守り、待つ
ということが
一番大切なのではないか
ということです。
そう言う積み重ねの中で、
自然に『ここぞ』と言う時が
分かるようになると思うし、
どんな回答にせよ、
その『ここぞ』と言う時に
親として100点満点の行動を
とれるのではないか
と思います。
そう言う私も子育ての真っ最中。
偉そうなことは言えません。
普段の私は
60点いや
50点ぐらいかもしれませんが
ここぞという時に
100点満点を取れるよう
河合隼雄さんの言葉を肝に銘じて
これからも
日々子育てに励んでいきたいと
思います。