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これから書き手をめざす人へのメッセージ(小説家・藤野可織)―文芸領域リレーエッセイ①

2023年度に新設する文芸領域への入学を検討する「作家志望者」「制作志望者」へのエールとして、作家、編集者、評論家の方がリレーエッセイとしてお届けします。

今回は文芸領域の教員で小説家の藤野可織さんのエッセイをご紹介します。

©佐山順丸

藤野 可織(ふじの・かおり)

京都市生まれ。同志社大学大学院修士課程修了。2006年「いやしい鳥」(『いやしい鳥』河出文庫)で第103回文學界新人賞を受賞し、作家デビュー。13年「爪と目」(『爪と目』新潮文庫)で第149回芥川龍之介賞を受賞。14年『おはなしして子ちゃん』(講談社文庫)で第2回フラウ文芸大賞受賞。他の著書に『ドレス』(河出文庫)、『私は幽霊を見ない』(角川文庫)、『ピエタとトランジ〈完全版〉』(講談社)、『来世の記憶』(KADOKAWA)など。

これから書き手をめざす人へのメッセージ

 日本では、小説家になるもっとも一般的な方法は、文芸誌が主催している新人賞に応募して賞をもらうことです。幼児のころ、私が誰かの労働の具体的な成果物として認識していたのは絵本だけだったので、私も当然大人になったら物語を書く人になるだろうと思っていました。でも、小説を書いて新人賞に応募して賞をもらわなければならないと気がついたのは、二十歳を過ぎてからでした。それからまた少し時間が経って、いよいよ就職を考えるころになってぜんぜん自分が小説家になっていないことに気がついた私は、あわてて小説を書きはじめました。

 小説でお金をもらえるようになってしばらくは、私は自分を、目の前で起こっている出来事を記録する機械だと思うことにしていました。機械には男も女もない。だから小説を書いている時間は、私は男でも女でもないと。そもそも私は、べつに女である自分に違和感はないけれども、自分が女であるということを少しも大切に思っていませんでした。だから自分が機械だと考えることを、私はとても気に入っていました。ただ、私に記録されるために目の前で起こる出来事そのものは、結局は私が人間だったときに得たとぼしい知識を素材にしてつくるしかないのが、どうしようもなく不満でした。

 あるとき私は、人間の私が持っているとっておきの情報を小説に使うことにしました。それは近視です。私は子どものころから強度の近視で、当時はハードコンタクトレンズを常用しており、それらとともに生きることにかけては世間の人よりもよほど詳しいという自負がありました。そうやって書いた小説が有名な賞をとりました。ところが、たくさんの取材を受けるうちに、なんだか変だなあと思いはじめました。受賞が決まった翌朝の取材で、私は「得意な家事はなんですか?」と聞かれました。新聞には「既婚」と書かれていました。招かれた先では、司会者の人が私を「主婦で作家の藤野可織さんです」と紹介しました。ひとりになってじっと考えて、誰も私に近視のことを聞かなかったということに思い至りました。私は自分の近視の経験を活かして近視の小説を書いたのに。私は「得意な家事はなんですか?」ではなく「視力はいかほどですか?」と聞かれるべきでした。新聞には「既婚」ではなく「近視」と書かれるべきでした。「実際に近視であり作家の藤野可織さんです」と紹介されるべきでした。誰も私が近視であることに関心を持たなかったことに、私は驚きました。関心を持たれた私の属性は、私が女性であることでした。しばしばそれは、小説家という属性についての関心すら上回りました。私は30歳を超えていましたが、そのときはじめて、女性であることはこの社会ではどういうことかを理解したのだと思います。

 私は自分が他人から「小説を書く機械」としても「近視の人間」としても見られなかったことに本当にがっかりしましたが、これをきっかけに、自分が女性であることをとても大切に思うようになりました。なぜなら知識や経験のとぼしい私にとって、「女性」という私の身体的・社会的特徴は、「近視」と同じかそれ以上に情報を多く含む素材であるということに気がついたからです。

 このようにして、私は私なりになんとか小説家をやっています。新人賞を受賞してから、数えてみれば16年くらい経ちました。それでも実のところ、いまだにどうやったら小説が書けるのかはよくわかりません。書きはじめるのに、私はいつも、ものすごく時間がかかります。私がやろうとしていることは面倒で、途方もないことだという気がします。これまで自分が小説と受け取ってもらえるものを書いてきた、それもまあまあいくつも書いてきたなんて、とても信じられません。毎秒もうだめだと感じます。

 絶対にだめだ、絶対に書けないと感じながら、必ず手に取る本があります。冨原真弓編・訳『トーベ・ヤンソン短篇集』(ちくま文庫)です。私はムーミンもよく知らないし、トーベ・ヤンソンについても話せることはないのですが、ここに入っている「往復書簡」という短編はいつも私の心を打ちます。この短編は、日本に住んでいるタミコという14歳の女の子からの、トーベ・ヤンソンへのファンレターのみで構成されています。タミコの夢はいつか「だれにも理解できて、だれもがこれこそ自分が思いえがいていたものだと感じる、そんな物語」を書くことです。「ヤンソンさん」からの返事を受け取ったタミコは、次の手紙でこう書きます。

ええ、そうですね。たくさんの年をかさねる必要はない、
物語を書きはじめればいい、書かなくてはならないから
書くのです。知っていること、感じていること、または
憧れているもの、自分の夢について、
そして知られていないものについて。ああ、
大好きなヤンソンさん。ほかの人のことを気にしない、
どう思っているのか、わかってくれているのかなんて気にしない。
そうすれば語っているあいだ、ただ物語と自分自身だけが問題になる。
それでこそ、ほんとうの意味で孤独になれるのですね。
いま、すべてをさとりました。遠くにいる人を
愛するとはどういうことかを。愛する人が近づいてくる前に、
このことを急いでしるしておきます。

冨原真弓編・訳『トーベ・ヤンソン短篇集』(ちくま文庫)

 小説を書くことは、まだ名前のついていないものに名前をつける行いです。私はしょっちゅうそのことを忘れますが、ここを読み返すたびにそれを思い出すことができます。「知っていること、感じていること、または憧れているもの、自分の夢について、そして知られていないものについて」、些細なこと、誰も気にしないかもしれないこと、誰かと語り合いたいこと、誰とも分かち合いたくないこと、そのほかいろいろ、名前をつけたいものはたくさんあります。それから、「遠くにいる人を愛する」というくだりは、タミコがヤンソンさんにほとんど恋情に近いほどの熱い気持ちを持っていることをあらわしているのですが、もしかしたら、ここもまた小説というものの機能や役割を指しているのかもしれません。これまで読んできた小説、私を助けてくれたたくさんの小説のことを考えると、きっとそうなのでしょう。自分がそんなふうに書けている気はぜんぜんしませんが。

 名前をつける、「遠くにいる人を愛する」、心の中でそうつぶやきながら本を閉じてパソコンに向かいます。これを読めばたちどころに書けるというわけではなくて、やっぱり書けなくてパソコンの前でひたすら固まったまま時間を過ごすこともしょっちゅうです。

 この文章は「これから書き手をめざす人に向けてのメッセージを」という依頼で書いているのですが、前半では私は自分の小説家としてやってきた時間を整理してひとつの物語にしました。私たちが知覚するものは膨大でとりとめもないので、その中からなんとか把握できるものだけを取り出して物語のかたちにしておかないと理解できません。このように書いたことで私は、私に起こったことはこのようなことだったと理解することに決めました。私たちはおそろしいほどたくさんのものを取り落としながら、こんなふうにときどき、でも絶えず物語をつくることによってのみ出来事を理解し、前に進んでいくのだと思います。後半は、私の言葉じゃなくてトーベ・ヤンソンの作品の紹介ばかりで申し訳ないのですが、もっと直接的に小説の機能や役割のことを紹介したつもりです。

 認識のうちから拾い上げられるものを拾い上げて理解できるかたちにし、名前をつけ、できあがった小説がいつか遠くにいる人を愛することができるように、いっしょに、それぞれ孤独にやっていきましょう。よろしくお願いします。

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