人事データと向き合う。HRアナリティクス事始め。
みなさんこんにちは。くにです。
私はここ数年、人事領域でのデータ分析に注力しています。一般に、HRアナリティクス、ピープル・アナリティクスと呼ばれる分野です。
私がSE時代に携わっていたシステム・プロダクトが人事系のシステムでした。そのシステムでデータ分析を活用したいと思い立ってデータサイエンティストに転身したという個人的背景もあり、紆余曲折ありつつHRアナリティクスの分野にたどり着いたというわけです。
現在は、インハウスの人事データ分析プロジェクトに携わりながら、外部クライアントの支援を行っています。
この記事では、HRアナリティクスの検討を始めた方に向けて、その目的やアプローチを手短に解説します。以下に示す内容は、一般的な書籍と個人的な経験に基づくもので、特定のプロジェクトを指すものではありません。
また、参考文献は本文中に記載しています。
何のために人事データを分析をするのか
人事データというと、どのようなもの頭に浮かびますか?
従業員の基本的な属性情報、所属歴、勤怠、成績…などでしょうか。
こうした人事システムに蓄積されたデータの他にも、組織内で実施されたアンケート情報やその他仕事の活動情報など、人事データ分析で利用されるデータは多岐にわたります。
では、何のために人事データを分析するのでしょうか。
HRアナリティクスに取り組む前、私はどちらかというと業務システムにおける機械学習処理の組み込みや予測タスクを中心に取り組んでいました。そこで、HRアナリティクスの分野に参入したときも、それまで同様に人事業務の効率化を狙った機械学習技術の応用を中心に考えていた時期がありました。
しかし、いろいろと活動して気づいたのは、HRアナリティクスの主たる取り組みは人事施策に対するファクトに基づく定量的な意思決定支援にある、ということでした。少なくとも、データ活用が始まったばかりの国内人事においては、人事戦略や施策評価のために人事データを分析することが求められているのだと思います。
一例として、人事の意思決定支援に関連するデータ分析例を「人事データ活用の実践ハンドブック」より抜粋してみます。
(a)適性検査データを用いたハイパフォーマー分析 p.38
(b)研修前後での「学習」「行動」の分析 p.56
(c)昇進・昇格後の活躍度と選抜方法の関係に関する分析 p.74
出典:人事データ活用の実践ハンドブック, 入江崇介 他, 中央経済社, 2021
どのテーマも人事の作業を効率化するということよりも、人事施策の方向性を検討したり、課題を解決したりするための分析例となっています。端的には、人事業務のPDCAサイクルを回すためにデータを活用しようという話で、データドリブンな人事業務の改革を目指す取り組みと言えるでしょう。
HRアナリティクスのテーマを発掘する
上にあげた例を人事の業務領域と紐づけると、(a)は採用、(b)は人材育成、(c)はタレントマネジメントの分析テーマになります。このように、一口に「人事」といってもその業務領域は広がりがあるため、人事の領域ごとに課題を明らかにして分析テーマを検討していく必要があります。
人事業務のイメージをつかむために、会社における人的資源たる”従業員”に対する人事的なアクションを追ってみましょう。
従業員として会社に入社した後は、どなたも特定の組織(所属)やジョブに配置さます。その後、しかるべき育成を施されつつ業務を遂行していき、組織の定めるタイミングで人事的な評価がなされます。成果主義を取り入れている企業においては人事評価に基づいて報酬が支払われるでしょう。そして、その人の希望や組織的な事情から再度の配置が検討されていきます。
ここで登場した「採用」「配置」「育成」「評価」「報酬」といったキーワードこそが、人事業務の切り口になりえるものです。また、これらが人事的なフローの上でつながりを持つものであることもわかります。この点については、以下の書籍に詳しい解説があります。
人事管理, 平野光利・江夏幾多郎, 有斐閣2018
図解 人材マネジメント入門, 坪谷邦生, Discover 21, 2020
したがって、分析テーマとして一つの人事業務、例えば「採用」を取り上げたとしても、検討を進めていくと「配置」や「評価」の議論に行きつくこともしばしばあります。つまり、HRアナリティクスの分析テーマを検討し問題設定を行う上では、これら人事業務の全体像や繋がりを意識する必要があるのだ、ということがわかってきました。
人事施策検討のための分析のアプローチ
大きな流れ
検討の切り口が定まると、データ分析のアプローチを決めていくことなります。解くべき問題によってアプローチの詳細は異なりますが、共通する大きな流れが見えてきました。これまでの経験から人事施策を改善するためのデータ分析の流れをおおざっぱに整理すると、以下のようになります。
ただし、この流れに入る前に取り組むべきテーマがある程度固まっていることが前提となります。
人事施策を改善するためのデータ分析の流れ
(1)現状の把握と施策の決定
(2)施策効果の予測
(3)施策のデリバリー
(4)施策効果の評価
(1)から(4)のステップそれぞれにおいて、問題設定から分析・評価に至る小さな分析タスクが存在します。またその分析タスクは一つだけとは限りません。例えば、現状を把握する(1)のフェーズでは、複数の仮説とその仮説に基づく分析タスクが同時並行的かつ探索的に行われます。
また、すべてのテーマが上で示した順に進むわけではなく、例えば(1)から(3)に飛ぶこともあるかと思います。場合によっては、すでに実施した施策の評価を出発点として(4)からスタートすることもあるでしょう。
分析手法について
施策評価と言えばA/Bテストが定番ですが、国内においては組織の中で統制実験を行っている企業はあまりないのではないかと思います。日々日常業務をこなしている人や組織を対象とするものですから、組織内でランダム化比較試験(RCT)を行うのは難しい面があると考えています。
したがって、HRアナリティクスにおいては当面は観察研究的なアプローチが中心になるだろうと考えています。つまり、分析対象データのバイアスに注意しながら、複雑に絡み合った事象を紐解いていく必要があります。また、相関と因果の取り違えにも十分注意すべきでしょう。
こうした背景があるため、上に述べた(1)の現状把握や(4)の施策評価では、統計的検定よりもデータ可視化や回帰などの統計モデルの利用がベターだと思います。単なる現状把握でなく施策デザインに踏み込むなら、因果推論的なアプローチも重要になります。また、分析の過程でデータの隠れた構造をとらえるために、教師なし型のアプローチを組み合わせることもあり得ます。
一方、(2)の効果予測は予測精度が重視されつつ説明性の高い手法が必要と想定されます。どのような施策であっても、しかるべき人が実施に対して判断を行う必要があるためです。
以上で説明したアプローチは、いずれも人や組織を対象としたモデリングが必要となりますので、この分野独自のノウハウが求められることになります。例えば、技術的には以下のような点が論点になるでしょう。いずれも興味深い話ですが、技術的な側面だけでなく人事業務のドメイン知識やその組織の歴史を踏まえて議論すべき事項だと考えています。
・隠れた属性・グループをどのように見つけるか。
・グループごとの違いをどのように考慮するか。
・欠損の背後に潜むメカニズムをどのようにとらえるか。
・階層構造をどのように表現するか。またはモデル分割するか。
・長期的に影響を与える事象をどのように数値化するか。
・各事象の発生要因やメカニズムをどのように想像するか。
・ドメイン知識から立てた因果仮説をどのようにモデリングするか。
なお、(3)施策のデリバリーは施策を浸透させるためのプロセスになりますので、必ずしもデータドリブンなものとは限りません。しかしながら、施策が従業員一人一人に動くことを求めるものであるなら、社内マーケティング的な側面でレコメンドやシステム通知への組み込みを検討する方法もありえます。この場合は仕組み作りになりますので、機械学習の活用が適しています。
以上のように、HRアナリティクスに取り組むデータサイエンティストは、統計モデリングから機械学習に至るまで幅の広い知見を持っている必要がありそうです。私はこの数年間で専門書の購入点数が加速度的に増しているのですが、その背景にはこうした事情がありました。
プロジェクトを進めるほど学ぶことが出てくる印象です。
逆の観点では、必ずしも最先端のアルゴリズムを適用してガリガリにチューニングすることが最適とは限りません。人事業務の施策を検討している人が必要としている情報をわかりやすく伝えることが優先されるからです。
データの整備について
組織内でのデータ活用では、どのような取り組みでもデータ整備が最重要課題であり土台になると思います。
人事領域も同様ではありますが、これまで人事的な管理やオペレーションを回してきたわけなので、全くデータが存在しないことはないはずです。企業内IT化の歴史の中では、人事給与システムは古参の部類に入りますので。
それが分析に適した形になっているかはさておき、土台となる情報が存在していることがHRアナリティクスの強みだと考えています。
個人的な話ですが、SE時代に大量のデータテーブルを眺めて得た微かな着想の終着点がHRアナリティクスだと確信しています。(この着想に至ったエピソードはこちらの記事に。)
試行錯誤からデータドリブン人事へ
国内企業で人事データ分析に関心を持つ企業が増えている印象をもっています。しかしながら、多くの国内企業の人事部門ではデータドリブンな文化を持っていない場合もあると思います。
したがって、技術的な観点というよりも、意思決定の方法や業務プロセスの見直しの観点で試行錯誤が必要になるだろうと考えています。
もちろん、データですべての人事的な戦略や施策が決定されるべきとは考えていません。しかし、人事分野はこれまで管理・オペレーションの一端としてデータが使われてきたのが実情で、意思決定に活用していこうというのは新しい流れです。その分、飛躍の幅が大きいのではないでしょうか。
一方、企業の外に目を向ければ、労働市場流動化など国内企業を取り巻く環境は大きく変化しています。こうした変化から考えると、データドリブン人事に対する期待は今後高まっていくだろうと考えています。
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夏休みにNoteを書こうと思ったとき、いろいろ迷った挙句に「読みたいことを、書けばいい。」と唱えつつこの記事を書きました。結局のところ、自分で経験し学んだことしか書けないのだと痛感しました。そういった意味で、本記事で書いた事項は発展途上とお考えいただけると幸いです。
まだまだ学ぶべきことが多い分野ですが、興味の尽きないテーマです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。