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認知症ケアは疲れるが、精神的に強くなっている自分がいる
仕事とは言え、認知症の高齢者の介護をしていると色々な目に遭う。
精神的に疲れることはたくさんあるが、一方で精神的に図太くなっていく自分に気付くこともある。
どう対応して良いか困ることもたくさんあるが、それが段々と面白いと思えてくることもある。
「どうしてこのような行動をするのか?」と頭を抱えることもあるが、知識や技術を学ぶにつれてその行動に納得することもある。
人生の先輩たちの個々の感情をストレートに浴びるが、色々な人生や価値観があると知ることができる。
コミュニケーションは支離滅裂で理不尽な思いをすることもあるが、人間というのは理詰めではなく曖昧なものだと実感できる。
意味不明に怒鳴られることもあるが、理不尽な苦情や街中に時々いる大声で声を荒げている人たちに寛容になれる。
―――認知症高齢者の介護は大変だ。それが仕事であっても、だ。
それでも、認知症というストレートな感情をぶつけてくる高齢者が多い中で他人の様々な思惑や感情を知ると、自分という人間のあり方を考える。
きっと自分も他人に色々な迷惑をかけていると思ったり、自分が正しいと思っていることも色々な考えの1つであると気づく。
また、対応に困ったり意味不明に怒鳴られたりした出来事を通じて、自分がどんなことに精神的ダメージを受けやすいのかも学べる。
これらはいわゆる「内観」であり、自分を見つめる機会でもある。そういう意味では介護の仕事は貴重な経験であり、精神修行にもなっていると思う。
加えて私の場合は、これら現場での経験に加えて介護事業の運営という立場でもある。認知症ケアに加えてビジネス目線で物事を考える思考を養えていると思う。
苦労をすれば良いというわけでないが、苦労というものは疲れるけれど自分という人間を鍛える機会だと、認知症介護を通じて改めて思い知らされている今日この頃である。
――― 今日は認知症の施設入居者が、何の前触れもなく施設中に響き渡るほどの怒鳴り声を突然発した。新人スタッフは困惑して固まっていたが、私も当然驚いたものの頭の中では「腹減ったなぁ」とも思っていた。
我ながら図太くなったものだなぁ、と呆れながら菓子パンを口にした。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。